監督:ウェス・アンダーソン
脚本:ウェス・アンダーソン、ロマン・コッポラ、ジェイソン・シュワルツマン
出演:オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン
2007年/アメリカ


映画を観た帰り道、家までの長い道のりを、
音楽も聴かず本も読まずに帰りたいと思うことがたまにある。
頭に残っている映画の音楽や、空気感を変えてしまうものを全てシャットアウトしてしまいたい。
街の音だけで十分。

感想を言えと言われても言えない。
まとまりがつかない。
そんな映画は、感動や衝撃とは全く違うところで存在している。


ドキュメンタリー映画を見続けていた最近。
こういう映画らしい映画は、とても新鮮で、そしてこの、映画の礼儀をしっかりと受け継ぎ、
そして、映画のルールをしっかりと裏切る映画は、
またもや映画の奥深さに驚愕させられることになる。

カメラの視線に、無意識になりがちな視点を急速に思いださせられる。
切り取られ、連なった映像の瞬間的に、そして継続的な矛盾した力に、静かに圧倒される。
BGMになりがちな音楽が、ごく自然に映画の一部として心揺らす。


インドに背負える荷物だけで旅をしたのは、もう10年以上も昔の話。

いまでもその衝動は、ときどきどうしようもない気持ちにさせる。
インドの旅は、まだまだ終わらない。

バックパックに安宿。
そんな旅は、もう体力的にも出来ないかもしれないけど、
彼ら3人がした旅の意味は同じように私にも分かる。
形なんて、きっかけなんて、どうでもいい。

自分の全て、世界の全てを受け入れないと、
インドから逃げ出すしかない。
目の前にある常識も、自分も、
全部全部、嘘。
そして、本当。

インドは、「全てを受け入れること」が出来る人ほど、
楽しむことを許される国。
いつだって、「今の自分で行ってみたい」って、
思い続けて憧れ続ける。

3人が、
「もう二度とインドに来たくない」って言ってたのに、
母に会う為だけにインドに残ったことは、
インドにまんまとダマされた証拠。

残る為の言い訳は、
この国では何だって通用する。
この国では、言い訳も嘘もホントも、
全部真実になる。
いつか、そうなる。

そんな国でしか出来なかったロードムービー。


監督・編集:ニコラ・フィリベール
2002年 フランス


先日の「パリ・ルーブル美術館の秘密」のニコラ・フィリベール監督の作品。


自分が小学生の頃の記憶ってほとんどない。

小学1年生や2年生の、
毎日見ていた絵みたいなものが、実は意味のあることに気づく瞬間とか、
数字は無限にあるってことを認めなきゃいけないけど、よく分からないって感じ。

今となっては、そんな気持ちには戻れない。


だから、こうして少しずつ、
大人になったら当たり前のことを、
当たり前じゃなかったころから、少しずつこっち側に来てしまう、少し悲しい人生の初期のほんの一瞬を、
こうやって見れるのはいい。


家で宿題をする姿。
母親の子供への態度。
どの家も全く違うけど、全く同じ愛のかたち。

何回も何回も同じことを聞いて何回も間違え続ける。
それに付き合う母親、家族。

これはとっても優しい愛。

先生も同じ。
「こんな小さい子に言っても分かるはずない」
ってそんな気持ちはみじんもない。
ちゃんと、一人の人間として扱って、「今はまだ知らないだけだよ」って、
知らないことをちゃんと教え続ける。
根気よく、そしてちゃんと厳しく。


この映画を観て思い出したのは、保坂和志の「季節の記憶」

これほどに、子供に対する優しい態度を、
まっすぐな態度をとれる大人が出てくる本はなかなか少ない。

こういう姿勢でもっと子供を描いて欲しい。


自分にもこういう時があったっていうのを思いだせるって、
とても素敵。


監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴァンダ・ドゥアルテ
2000年 ポルトガル=ドイツ=フランス

ドキュメンタリー映画という事を分かって観に行ったけど、
自分が観ているものは、現実の世界の事なのか、
どの国の話なのか分からなくなってしまった。

住んでいた、ドイツからそれほど離れた国ではないポルトガルでの話。
日本と違って、ドラッグが日常生活になっていることにも大きな驚きはないけども、
自分の中の何かが、これが現実の現在の話であるってことを受け入れられない。


朝から晩までずっとコークやヘロインをする人達。
それが、煙草を吸うような感じのとても日常的な行動で。
それと同時に、生活の為に野菜を売りに行く事をしたり。
なにもかもが、同一線上にある日常生活。
現実。

この映画は、
例えば「貧困のためドラッグに逃げた」とか「こんな悲惨な暮らしがある」
といった事を押し付けようとする感じもなく、
ヴァンダの部屋の中にある彼女の現実が、ただただ描かれているだけ。

でもその現実は、
「ある日、主人公に劇的な出来事が起こった」
と言うような、
よくある映画のような非日常さへ衝撃や驚きより、
明らかにもっと、
隅の方に押しやっていた感情を引きづりだされるような強烈な強さをもつ。

そして、柔らかに混乱をさせる。
涙もなく、怒りもなく。
その現実を現実と思えない自分と、
こういう景色が当然あるに違いないと、ずいぶん前からも知識として知っている自分のイマジネーションとのギャップがどうしてもうまく埋められず戸惑うばかり。


このドキュメンタリーを、それほど重苦しくなく最後まで観る事が出来たのは、
光の美しさ。
光の国であるポルトガルなのに、部屋に光が少ない。
その部屋に窓から入る光。
光と闇が絶妙なバランスでスクリーンに置かれている。

そして、その光を「希望」のメタファーと感じさせないことは、
ますますこの現実を強烈にさせていく。






監督・脚本・プロデューサー:ジェシカ・ユー
プロデューサー:スーザン・ウェスト
2004年 アメリカ


ホメオパスをしてた頃。

その人の、問題または病を作り出している、
ある傾向に傾き過ぎた考え方や後天的に環境や、親の影響で本当の自分からかけ離れてしまった性格。

それが、その人の肉体や精神の問題を作っているということを、
気づかせるのが私の仕事だったが、
はたして、
その部分を使って創作している人を治療していいのか。

その問題は、未だに答えは出ていない。
意見はあるのだけども。。。


この映画を観て、そのことを強く思いだした。

確かにダーガーは、自分の部屋に閉じこもり、
空想の中に自分の現実を作り出すことで、「生きていた」のかもしれない。
それがあるから生きてこれた。

でもどこかで、
「それは、本当の人生じゃない!本当の幸せなんかじゃない!」
と思う私もいて。


彼のイマジネーションは、
想像を超えるユニークさと、現実を超えるリアリティーがある。
才能が溢れ出すというのはこういうことかとも思う。

でも、あまりに悲しい人生に、
現実の人生をどこかに離し置いて、
誰にも愛されるということを知らずに生きてきた。

絵を描くことで決して癒されない。
だから、描き続けるしかなかったのか。


彼の描く絵は世界を客観的に見る冷めた視線と、
現実離れしたファンタジーという矛盾を抱きながらも、
とてもリアルなものを見せてくれる。

字幕を読まずに、耳で聞いて、目で絵を追いかけたい映画。
もう一度、じっくりと観てみよう。


監督:ニコライ・フィリベール
1990年 フランス

それそれ、どうなってるの?
ってことをちゃんと教えてくれる。

いつもは見れないミュージアムの裏側。
説明は何もなくても、観ているだけで、たまにボーッと思いだすような素敵な疑問が解決。

地下の迷路。床がエレベーターになってたり絵が展示されていく様子。
ピストルは何のため?
絵を運ぶおじさんたちの制服の着こなし。

何度でも観てしまえるよな楽しいドキュメンタリー映画。
子供のように、ワクワクがたくさん戻ってくる。



監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ・ブルネロ・ロンディ
1979年/イタリア 西ドイツ





監督:ジャン=パスカル・アトゥ
出演:ヴァレリー・ドンゼッリ、ブリュノ・トデスキーニ
2006年 フランス


監督・脚本・製作:バーバラ・リーボヴィッツ
2007年 アメリカ





監督 : ハスチョロー
出演 : チン・クイ 、 チャン・ヤオシン 、 ワン・ホンタオ
2006年 中国