7月3日

いまみると、害害は常に頭にあったのですが、月干干合、司禄星、天貴星はまったく忘れていました(ーー;)

 

僕は、乙・癸・己 という天干で、戊癸干合で、乙・丁・己に変化します。

「追い込まれると」を干合変化の条件として設定しているのですが、その意味では、追い込まれることがなかったわけではないのですが、追い込まれ感を持たない生き方の実験をしてみました。

 

今月は「害」を意識して、自分ではなく、霊魂様にハンドルを任せるというテーマで生きてみたのです。

 

*自分の感情にとらわれずに(手放し)、霊魂様に人生の運転をさせる

*「生類憐みの令の」拡大。

 

おもにこの2つ。

感情にとらわれないというのは、8歳の女の子に教わりました。

霊魂様にハンドルを、というのは仮説実験中です。

 

 

これは、体内記憶を持つお子様お二人の言動をまとめたママさんの日記です。

まったく存じ上げない方で、たぶん、「あなたと同じような記事を書いているブログ」というアメブロの案内で見つけたのだと思います。

何気なくみたら、「神様」や「霊魂」や「次元」という言葉が7~8歳の子供の口から当たり前のように、飛び出してくるんですよね。

 

以前、人に薦められてその手の本を読んだこともあるのですが、これもタイミングですね。その時はピンとくるものがありませんでした。

今回は霊魂に関心を向けた時だったので、大変興味深く読めました。

 

それでできるだけ最初から読んでいったのですが、今やっている霊魂論ともリンクすることが多く、とても勉強になったのです。

 

そしたら、先日、塾生の方が書いた、「シュタイナーの眠りについて」という一文で書かれていることと、このお嬢様のいっていることがぴったりと一致していて、これもまた驚きだったのです。

 

 

「ぐるりとめぐる胎内記憶」のどこかに「寝ている間に天に還って、地上で汚れた魂を浄化して戻ってくる」というような話が書かれていたのです。

 

で、もうひとつ、以前紹介した荒木勝先生のアリストテレスの霊魂論講座の中でも語られていたことを思い出しました。

 

『私が『ウパニシャッド』を読んでびっくりしたのは、人間が眠っていることがいかに大事かということを延々と語っている。ウパニシャッドの世界では、人間が寝ているときにこそブラフマンと一体化しているというのです。それこそ本当に開放された魂の生きた状態だと』(荒木勝先生アリストテレスの霊魂論講座より引用)

 

「ウパニシャッド」というのは、古代インドの数々の哲学書の総称です。

これが紀元前7世紀あたりですから、前に紹介した、ギリシアや古代中国の思想が確立されてゆく年代と重なるんですよね。
「ブラフマン」というのは、算命学でいう神に近いものだろうと思います。

『ウパニシャッドの中心は、ブラフマン(宇宙我)とアートマン(個人我)の本質的一致(梵我一如)の思想である(ウパニシャッド哲学)』<ウィキペディアより>

 

「ウパニシャッド哲学」は大昔、まだ学生だったころ(まじめに人生とは何かを探求していたころ)、「老子」とともに興味を持ったものでした。

当時、インド哲学の権威の教授が東洋大学(我が家の近所でした)で講義をされているというので、たまたま友人が在籍していたので、こっそり授業を受けに行ったことがあったのです。

 

それがまた今頃蘇るとは・・・

でも、その友人が大のマージャン好きで、、、そこからギャンブル人生に火がついてしまったのですが・・・(T_T)

 

思うのですが、自分が向かうべき道というのは、若い時とか子供のときとかでも、どこかで触れている可能性があるんですよね。

あ、また横道にそれた、すいません(ーー;)

 

えーとなんでしたっけ、あそうそう、感情にとらわれないという話です。

それで、この日記に出てくるお嬢さん(なほさん)がすぐ感情的になる母のいらだつ感情を解放させたくて、わざと次々といらだたせるような言動を重ねるんですよね。

 

この怒りっぽい母さん、ある時怒りがピークに来ます。そこで、なほさんが「実は」母さんにわかって欲しくてわざとやっていたと告白します。

 

このね、「わざとやっていた」というのが重要なのです。

通常はやっているほうも「わざと」という認識は当然ないでしょう。

でもたまたま特殊能力をもっているお子さんがいて、そういう認識を持って、母に伝えることができた。

 

もしかして人生で起こる出来事は、すべてこうした構造下にあって起こっているのかもしれないと考えると、現実がまったく違った見え方をしてくると思います。

 

気に入らない人は誰でも周囲にいるでしょう。その人はもしかしたら、自分のために「わざとやっている」、そう思うと見え方が違ってくると思います(^^)

これは高尾先生がおっしゃる、「神の示唆」にもつながるでしょう。

 

そこで母は、なほさんから「怒りを手放す」ということを教わります。

とにかく、怒りがわいたら、手放すと唱えて、気持ちを落ち着かせます。

これを繰り返していくうちに、すぐれものの母さんは、怒りの感情からどんどん解放されていくんですよね。

この母さん、実はただものではなくて(たぶん天将星かなぁ(笑))、なかなかの人物のように感じます。

 

もう一人おにいさんのなおとさんも昔は同じような能力を持っていたのですが、今は普通の男の子になっていて、昔の記憶は忘れています。

兄と妹が激怒り母の更生の為にやったというシーンもブログにのっています。

 

 

一見、よくある怪しげな話にも思われてしまう危険もあるのですが、母の紹介の仕方が実に素朴で淡々として、見事なんです。

非常に頭の良い人で、子供の伝言を神の代理の伝言として、われわれに伝えてくれています。

 

それで、僕も「手放す」を実践して、これが本当に心が解放されて、僕的には、霊魂様に人生の運転をお任せしているという感覚を得られたのです。

まだ、「手放し」初心者ですが、疑り深い龍高星もこれは確信に近い、生きる極意だと感じました。

 

ただまぁ、こういうのはおおむね初期に有効で、徐々に元に戻ってしまうものです。

次元と同じように、そこに至るにはふさわしい苦しみや問題と対峙するある程度の期間は必要だろうと思います。

こうすればこうなるというテクニックで、できることではないです。

 

 

でも、やってみる意味も価値もあります。

手放せるかどうか(自分を離れられるかどうか)の実験と、霊魂様(神様)を本当に身近に感じているかどうかの実証になるように思います。

 

今回はいろいろなことがリンクして一つにむかっている感じがしました。

W害期間中だったからできたってこともあるように思います。

 

あれ、またまた、予定外に話を広げてしまいました(;´Д`) うぅっ。。 

続きは明日やります。

 

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