定義通りに考えていこうと思ったのですが、また引っかかる言葉がありました。

例題は午未天中殺のため、2旬3旬と大運天中殺になります。

そして天中殺現象は、運勢干である南方(精神の始まり)と運勢支中央(今現在)の二つにでます。

 

そこで、何か問題が起こったとすると、現実の出来事に直接アプローチして対処しても、それはうまくいかない理屈です。

それを作った原因として、精神のあり方をまず見つめ直すことが第一です。

心の形成の中に天中殺現象が生まれる」と書かれています。

 

それだけなら、天中殺は精神現象としての対処で住むのですが・・・

ここでまた、少々やっかいな問題が提出されます。

 

大運天中殺の複雑さは、天中殺の算出が「生日の干支」によって生まれた「西方天中殺」を使用しているために、精神のあり方や心の形成を整えたことによって、どのような効力を発するかと言いますと、物事の結果(過去)の美をもたらすというところにあるわけです。

これは、どのような形によって大運天中殺が推移して行くかを知るうえにおいて大切なところでありますが、生日干支から生まれた天中殺は諸々の現象の「過去」であり、「結果」であるところの空間が欠落したり、崩壊したりするということであります。

 

大事なところなので、長々引用しました。

通常は、精神の在り方や心の状態を整えれば、結果の美をもたらすのですが、天中殺の時は、日干支から生じた天中殺ゆえに、結果(日支)の空間が欠落したり、崩壊する、となっています。

 

なので、大運天中殺の最中は全く気が付かず、大運天中殺が終わるころに現象がどどっと押し寄せてくると書かれています。

 

天中殺は南干と月支の蔵干が空になるので、問題が生じると定義されていましたが、実際は、日支の空間が欠落したり崩壊する(ーー;)ってことです。

もう生きてられないんじゃないかと心配します・・・

 

大運天中殺だけでなく、すべての天中殺は、生日干支から生まれているわけですから、この定義はどうにも納得がいきません。

結果が形にならないという事のつじつまを合わせているようにも思えます。

 

ちょっと前には、過去はただの空間に過ぎないと語っていたと思うのですが・・・

人生には今しかないんだから(と算命理論は語っているのだから)、過去にフォーカスするのは自家撞着だろうと思います。

 

ただ、だからといって何をやっても同じということではないですし、過去がどうでもいいといっているわけではありません。

一方で分身律という考え方があって、霊魂(空間)はつながっているわけです。

霊魂的には今やっていることは過去になっても蓄積されているわけです。

こだわるのは、空間が作った現実が崩れても、空間(霊魂)そのものが崩れることはないのではないか、ってことです。

空間が作った今の現実は、天中殺でなくても消えるわけです。

 

それなら、一次元の空間から作られた現実は形にならない、というほうが分かりやすくていいと思います。

一次元か三次元かは現実の世界で、霊魂の経験値としてはどちらもで刻まれると思うのです。

あ、またまた反省が生きていない自己主張になってしまいました。

 

ただですね、僕が勝手に疑問を作っているだけかもしれないので、占いをする方も、される方も、天中殺現象については、もう一度考えてほしいと思うのです。

僕がやっているのは問題提起であって、間違いを証明する理論を持っているわけではありません。

 

今度こそ o(* ̄^ ̄*)oキッパリ!! 疑問の数々は保留して、大運天中殺で起こる現象面から探ってみます^^/

 

 

 

*紫字は原典算命学大系からの引用です。

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自然と一致するのは北方だけですが、主星が剋されるので目上を受け入れることで自然型になるという話でした。

 

これまでの位置法は、自分と周囲に配置された霊魂との相生相剋という「形(関係性)」に対して占うものでしたが、ここからはそれに星(霊魂の姿)がどういう意味を表出するか(中身)をみて行きます。

 

北と主星の関係は禄存星剋龍高星です。

直訳すれば、引力が改革を激剋するです。

 

目上が自分を激剋するという「形」に対して、中身は、禄存星と龍高星のぶつかり合いが起こっているととらえます。

その時に主体となる星の意味を強調します。

主体というのは、相生なら生じられる方で、剋なら剋す方です。

 

禄存星は「愛・奉仕・引力」で、砕かれる龍高星のほうは自分自身です。

 

これを言葉にすることは、僕にはできないので、原典の言葉をそのまま引用します。

目上から自分が剋されるという形も含めての解釈です。

 

総称して目上といえる人達に対し、よく従い、逆らうことが少なく、役目・役割としてではなく人間として目上に準じる。それは人間としての愛であり奉仕であり、目上を自己のものにしたいと願う引力のさせる業である

 

この人間は人間の精神的な部分(霊魂)と置き換えて読んでください。

場所と霊魂の関係は、占技によって主体が場所になったり、自分になったりします。

例えば、親や目上が禄存星的質を持つ、自分の晩年が禄存星的になる、精神がたどり着く所が禄存星、、、、、などなど、何を占うかによって、星の解釈や主語が変わってきます。

 

位置法の場合は、目上が禄存星的というのではなく、自分が禄存星で目上を引き付けるという答えになっています。

龍高星の意味についてのコメントがないので、ここでは「主星=自分」というとらえかたのようです。

 

 

 

*紫字は原典算命学大系からの引用です。

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