知恵泉で新選組 そして UFOtable Café とか | 雪の上に照れる月夜に梅の花

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雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

ちょっと前のNHKの知恵泉で「新参者として認められるには」「ナンバー2の生き方」という題で土方さんの話をやっていましたね。それらの感想と、いろいろ。

 

一週目の「新参者として認められるには」

その要素の一つとして「武士以上に武士らしくあれ」というのが挙げられて、隊規違反は切腹とか、死番とかの話題が出てきました。

 

4日に一度来る死番。

新選組は前もって危険な役をすることを隊士本人に知らせておくことで覚悟を促しました。

隊士はそのつもりで仕事に臨むことになるので、いざというときでも全く臆することなく敵に向かう。

その姿が在京する藩士たちのあいだでも一目置かれるようになったとか。

「憶するということはなくとも、一瞬躊躇することは誰しもあるだろうが、彼らは躊躇なしに行くところが実に素晴らしい」(「桑名藩京都所司代中の事情」より)

 

一瞬ひるむとか、躊躇があるのとないのとでは、最初の一撃を出すスピードが違いますよね、きっと。

 

そして、八月十八日の政変では御所には向かうものの最初は蛤御門を守る会津藩の部隊に不審者と思われ押し問答をしますが、誤解がとけると、会津藩が戦場で味方を見分けるための印である黄色いたすきが新選組全員に配られ、新選組隊士たちは大いに喜んでそのたすきを身に着け、仙道御所付近(御花畑の傍)を担当し存分に働きました。(「騒擾(そうじょう)日記」より 会津藩士・鈴木丹下 著)

 

そして「新選組」の名を会津藩からもらう。

 

それでも、立派な名前はもらえたけれど、身分は臨時雇用。

活躍の場も身分もなく、脱走するものも増え、そして将軍家茂も京から江戸に帰ってしまう。

このままならば新選組を解散するか、江戸に帰してくれと近藤勇は松平容保に訴えます。

ここで知恵泉は、将軍を守るという新選組の存在意義がなくなってしまっからだといった。

 

少し違うように思う。

ここが、多分、一般認識が及んでいない部分だと思うんだけど。

この時期の新選組はそもそも攘夷集団。

「新選組の本旨」というのは、将軍が中心となり攘夷実行をすること。

幕府がそれをしないのならばもう新選組を解散させてほしいと訴えた。

 

そのとき池田屋事件が起こる。

近藤隊が4人だというけど、違うんじゃない?12人だっけ?

それに「此の方ご上意」という言葉も、それを書いた史料のソースが「人から聞いた話」なので、うーんと首をひねっている人も割といそう。

 

 

「迷った時こそ原点を見失うな」か……。
これは……そうやなあとは思うけど、示された原点がちょい違うんちゃうかなと思った。



 

原点といえば……。

 

土方歳三のお兄さんの子孫の方の書かれた本の冒頭に、日野に多い土方姓のルーツは、戦国の頃、後北条家に仕えた三沢十騎衆という武士集団であると言い伝わると書いていらっしゃいます。

江戸時代になるころに兵農分離が行われたけれど、その前の時代から続く半農半兵の一族の末裔。

おうちにそういう話が伝わっているということは、土方さんもそんな家であるということを強く意識していただろうなと想像します。

そしてまた、日野には八王子千人同心という人たちもいた。
井上源三郎の家は八王子千人同心のおうちでしたね。

 

そういうのをいろいろ考えると、土方さんたちは従来言われていたみたいな農民から武士になって一旗揚げようというのとはちょっと違うかもしれないなあと最近思ったりします。

農業に従事しているのは生活のためでありそれも大切だけれど、いざ国に何かあった時、国を守るために戦うのは当たり前だというような考えが心の底にあったとしてもおかしくないような気がする。

 

まあそれは、日野という土地の歴史をもっと知らないとわからないことですが。

 

でも、幕末、結構そういった郷士とよばれる人たちが、国のピンチだという意識の元に立ち上がったような感じもするなぁと、あまり知識ないんですけど、思ったりしています。

私の住んでいる地方にも郷士と言われる人たちがいて、その土地は藩とかとは関係なく天領で、でもやはり関西だからか朝廷派。

 

やっぱ、たまに東京に行くと、あー違うなぁと思う。

徳川将軍のお膝元ですものね。

こちらでは葵の御紋よりもやはり菊の御紋のほうが目に付くことが多いので、お寺とかで葵の御紋を見るとなんか感動したりします。

 

あ、話が脱線。

 

知恵泉の「新参者として認められるには」というので「武士以上に武士らしくあれ」というのは、それはそうでないと駄目やろうなとは思いました。

それはやっぱり現在でも新参者は実際以上に「らしく」して初めて認められる気がするから。

 

 

そして二週目の「ナンバー2の生き方」

組織作り、組織改革のお話。

 

永倉や原田、島田らが近藤さんの態度が悪いと松平容保に訴えた話は元治元年の9月の話で、永倉さんの手記に出てくるだけで他に記録がないのですが、葛山武八郎という隊士が死んでいるのは確かなよう。

永倉はその事件のあと一週間もたたないうちに近藤さんと共に隊士募集のための東下をしている。

会津公に訴えるほどの何か不満があったのに一緒に東下りするんだなあとちょっと意外に思った。
葛山が一番新参者で、土方さんが見せしめのために近藤さんが不在の間に責任を取らせて切腹させたと番組では言っていたけれど、本当にそうかなあと思った。

調べたけれど切腹だったのか、殺されたのか、自ら命を絶ったのかは不明みたいですね。

うーん……。

近藤さん批判を許さないとしても、批判した人たちの中で一番立場の弱い人に仮に責任を取らせて切腹させたんだとしたら、そういう組織ってよくない気がするなあ。

永倉さんはわりと何度も近藤さん批判をするので、気が合ってなかったのか、ただ単に気が短いというか軽率なのかw

もし本当に新選組から離れたいなら、永倉さんはその東下のときに脱走できたんじゃないかと思うけど。

でも、この年の11月に書かれた行軍録では永倉は完全に外されている。
それはこの9月の局長批判事件のペナルティーだと言われている。
これに関しては、この行軍録を見た佐藤彦五郎が土方さんに「なぜ永倉がいないのか」と問い合わせたみたいで、それに対して土方さんが「少々差し控えこれあり候」と返信している手紙があります。

 

トップの人を引き立てて、ナンバー2は泥をかぶるほうがいいという話から、「ナンバーワンになれなかった人」というより「ナンバーワンにならなかった人」だと言っていたのはちょい嬉しかったかな。
私もそう思うから。
でもやっぱり、ナンバーツーで最も光る人だったのかもしれないとも思う部分もある。

 

流山の件、近藤さんの首級がどこに眠っているかはまあ諸説あるということで。

 

「変わることを恐れるな」か……。

 

なんか、部分部分はそうは間違ってはいないと思うんだけど、話を単純化しすぎていて、なんかちょっと違う気がした。
時間の経過が上手くあらわされていなくて、やっぱどうも違和感を覚える部分があったなぁ。

やっぱ難しいね。土方さんの人生は短いけれど、最後の5年くらいの間がものすごく濃くて。

変わるというより、そもそもそういう人だったんじゃないかなぁ。

だからむしろ、最初の「鬼になる」というところで、彼は「変わろう」と思って変わったんじゃないのかなと思うんだけれど。

故郷の人が土方さんが「鬼」と言われているのに驚いたみたいな話もあるし、子どもの頃、石田散薬の原料の牛額草を採集するとき、子どもなのに人を動かすのがとても上手かったという話もある。
そして、奉公先から逃げ帰ったとかの話もあるけれど、最近小島鹿之助の資料館で見つかった資料で15年くらい一つの奉公先で勤め上げたことが分かったみたいで。12年くらいはちゃんと奉公を続けていたことが分かったみたいで。

人を使うこと、使われること、そして組織というものの動かし方。
元々の性格と、そういった長年の奉公で身に着けたんじゃないのかなぁと思う。

 

土方さんが根っからの武人だというイメージを持っている人も多いから、こういうのはウケないのかもしれないけれど。

でも、呉服屋さんに奉公に行ってて、その辺の下女よりお裁縫が上手だったとかいう話もあったりする。

反物をその人の体形や身長に合わせて仕立ててお得意さんのところに納めるとき、出来上がりをお得意さんのところに持って行って合わせてみて、具合が悪いところがあるとぱぱっと直せないといけなかったとか。
気が利いてお裁縫も上手、そしてセンスもいいから、呉服屋の主人が重宝して得意先によく土方さんを連れて行ったとかいう話も読んだことがある。


そういう経験で、怖さや厳しさだけでは人は動かないということも、土方さんはよく知っていたんじゃないかな。

そして、店の主人は立派で好かれる性格の人がよく、番頭さんはきっちりとお店を仕切れる性格の人がいいというのもそういうところで知ったんじゃないかなとか思ったりもする。

 

あ、なんか話がまたそれてきちゃった。

 


 

うーん、でも知恵泉、前はもっと面白いと思ったんだけどなぁ。

最近、ヒストリアはもう興味なくなってしまったし、知恵泉もだんだん中途半端な感じになってきたし……。

あとは「英雄たちの選択」かな。

 

あ、今「ザ・プロファイラー」観てる。たまたま地上波で今再放送中。石田三成だよ。

この番組は好き。岡田准一さんの司会もいいなぁ。

だいぶ前に土方さんも扱ってくれたような記憶が。

石田三成と土方さんも少し似たところがあるね。ナンバー2の辛さみたいな。

あ、でも解説があの先生や……。あ、でも戦国が専門だからいいか。

この先生の新選組の話は全然あかんけどね。

 

 

この知恵泉の新選組の回は10月17日、24日Eテレで夜10時から再放送される予定です。

 

 

さて。

話は全然変わる。

 

金曜日にufotable Caféに行って来た。

梅田のほうにあるのかと思ったら、仕事場から一つ向こうの駅のところにあることを知りまして。
丁度オットが出張だったから、仕事が終わってから行ってみた。
 

プレミアムフライデーだったし、夕方混んでいるかなと思ったんだけど、すごく空いている。

あまりの空き具合に不安を感じたよ。

不安は的中したけど。

 

整理券がいらないときは飲食しなくてもお買い物は出来ると言われたけど、せっかくだから食べてみた。

 

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「梅園での会話」(水ようかんと栗大福)

「梅園のサイダー」(梅+ブラッドオレンジ+サイダー)

 

 

「梅園での会話」の刀型の菓子楊枝がいいね。

でもすごく食べにくくて。

右の栗大福の中の栗がめちゃくちゃ固かった。

ぱっと見た目は左の水ようかんのほうをこの菓子楊枝でどうやって食べるんだ?と思ったけれど、意外と固くて楽に食べられた。

味がなぁ……。

両方とも全然甘くないです。

さっぱりとした控えめな甘さと言いたいところだけど、それ以下(汗)

いま、こんなのが流行りの味なの?

もう少し甘くないと私は美味しいと思えなかった。

 

「梅園のサイダー」はほんのりと梅の風味あり。
でもこれも甘味がない。

私、最初これ、ものすごく薄味のカンパリソーダかと思った。それくらい甘さなし。

いや別に甘くなくてもいいんだけど、味がほとんどしない。

 

ちょっと最近では珍しいくらい美味しくないよ、これ(泣)

元々こういうお店に味を求めたりはしてはいないけどもだな、やっぱりもう少しなんとか……。

 

まあでもしゃーない。兼さんのコースターのためだ。

 

ということで。

娘が前に行った時に買って来たものとかと合わせて結構グッズ集まった。

 

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たまたま10話のグッズの週だった。ラッキー。

やっぱ泣いてる兼さんのコースターはすごくうれしい。

見るたびによしよしして、泣かないでって言いたくなるけど。

そして11話の台本ノートの梅と兼さんの絵がとても素敵です。

百花の魁といわれる梅が咲く寒いころの感じが出てる雰囲気のある絵で、一目見て気に入って買ってしまった。

 

カンバッジは後ろの針がイマイチで、落としそう。

まあ、付けないけどw

かわいいから、裏にボンドでマグネット貼り付けてキッチンで使おうかなぁと考えてる。


 

 

グッズあるからそれなりに人は入るんだろうなと思うけれど、もう少し味を良くしたらリピーター増えるだろうに、もったいないなぁと心の底から思いました。

 

 

 

ああ、活撃終わったんだなぁ。

土曜の夜……なんかちょっぴり寂しいや。