望郷 ⑦ | 雪の上に照れる月夜に梅の花

雪の上に照れる月夜に梅の花

雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

 

 縁側に一人座って中庭の池に映る丸い月を見ていた。

 夕餉の後の本丸は一日が終わりほっとした雰囲気が漂っていて、皆は和やかに寛ぎ思い思いに過ごしている。

 短刀たちだろう、少年たちのにぎやかな声が遠くに聞こえる。

 そこにかすかに混じる大人の男士たちが酒を酌み交わしながら笑いさざめく陽気な音。

 この本丸は大層趣味がよく、庭の意匠も落ち着いた美しさで庭木やなんかも吟味されており手入れも行き届いていて、朝の早い時間や昼下がり、夕方、雨の日なんかもそれぞれに風情があって美しかったが、明るい月が池に映る夜の中庭もなかなかのもので、俺はこんなふうに月の夜に中庭を一人ぼーっと眺めながら本丸の賑わいをかすかに聞いているのが好きだった。

 もちろん仲間たちと酒を酌み交わしながら馬鹿話をしたりするのも好きだし、短刀たちと腕相撲なんかをして遊んでやって騒ぐのも俺は結構楽しんでいる。

 だがこうやって仲間の喧噪を聞きながら一人静かに月の掛かった中庭を見るのは格別だと思えた。

 何故かどこかとても懐かしい気がするのだ。

 この本丸に来たばかりの頃に国広が言ったように、俺はこんなふうな共同生活しかしたことがないからかもしれない。

 以前の、新選組の屯所での生活。土方さんの元にいたときのこと。

 俺は多分、土方さんの元で、こんなふうに屯所の夜の隊士たちの喧噪を少し離れたところで静かに聞いていたことがあるのだろうと思う。

 そんなことを考えていると、廊下の微かに軋む音がして誰かがこちらにやってくる気配がした。

 振り向くと、長曽祢虎徹が手に徳利を持ってのんびりとした様子で歩いてきた。

 

「おお、今夜はなかなかいい月だな。一人で月見とはなかなか風流だ」

「なんだ、曽祢さんか。まあ、月見ってわけでもねえけどよ」

 

 曽祢さんはそう言いながら俺の横に座ると掌の中から俺に盃を手渡してきた。

 

「一杯どうだ」

「ああ、んじゃ遠慮なく。すまねえな」

 

 酒はそう沢山は飲まないが嫌いではない。ありがたく頂くとする。

 

「和泉守と差しで呑むのは初めてだな」

「そういやそうだな。ま、この賑やかな本丸で二人だけになる機会なんてあんまりねえわな」

「お前とは一度二人で呑みたいと思っていたんだ。聞きたいこともあるしな」

「聞きたいこと?なんだよ、改まって」

「まあ、そう急ぐな」

 

 とろりとした透明の液体が俺の持つ盃に注がれた

 互いに軽く盃を持ち上げて無言で乾杯の目礼を交わし、盃から一口酒を啜る。

 

「この前の池田屋に和泉守と出撃できたこと、俺は嬉しかった」

「ああ。そう言って貰えると俺も嬉しいぜ。なかなか気分のいい戦場だしな、あそこは」

「そうだろう。俺もいつかお前が顕現したらあそこでお前と共に戦ってみたいとずっと思っていてな。俺とお前、同じ新選組の刀ってことになってはいるが、昔、刀だった頃は実は大きな戦では一度も一緒には戦ってはいないからな」

「え?」

 

 ……そういわれてみりゃ、曽祢さんが戦う姿はあの池田屋の戦場で初めて見たような気が……。

 

「俺、実はよ、ついこの前、鳥羽伏見の戦場に初めて行ったんだが、あの場に立ったとき、俺はここを知ってる、来たことがあるって思ったんだ。だが、そういえば曽祢さんの姿や清光や安定、いや、近藤さんや沖田総司がそこにいる姿が俺にはどうしても思い浮かばねなくてよ。あそこにはいなかったような気がするくらいすっぽりと抜け落ちちまっていて……。ははは、情けねえな。まだちゃんと思い出せていないらしい」

「その記憶は間違っちゃいないな。近藤さんも、そしてあの沖田総司も、あの戦場には確かにいなかった。土方は初めて一人で新選組を率いていたのさ」

「そうなのか?」

「ああ。だからお前が俺を覚えていないとしてもそれはしょうがないってことだ。鳥羽伏見の戦いはお前が土方の元にやってきてから一年も経たないうちだったからなぁ。意外と俺とお前が新選組で一緒に過ごした時間は短かったんだよ。だから池田屋でお前に背中を預けて戦えたこと、俺はとても嬉しかった。お前の元主の土方って男もまた、新選組がまだ壬生浪士と呼ばれていたころからずっと近藤勇の背中を護っていたからな。池田屋に突入した俺たちを池田屋の外で時間遡行軍から護ってくれていたお前の姿は、まるで土方歳三の再来の如くだったぞ」

「ははん、そりゃちっとばかし俺を持ち上げすぎってもんだろ」

 

 少々こそばゆくもあり、俺は苦笑いをした。

 

「土方は、新選組の局長の近藤が陽の当たる場所での活躍に専念できるよう、裏側をすべて取り仕切って近藤を支えていたのさ。『鬼の副長』なんて二つ名で呼ばれるほどの厳しさでな」

「鬼の副長か……」

 

 その名を昔聞いた覚えがある。

 俺はもう一口酒を啜り、ちょっと考えてから口を開いた。

 

「だが、なんで局長の近藤さんも沖田も鳥羽伏見の戦いにはいなかったんだ?」

「正確に言うと近藤も沖田もあの場にはいられなかったんだ」

「え?」

 

 曽祢さんが盃の酒をぐっと飲み干した。

 

「近藤勇が狙撃されたことは、覚えていないか?」

「狙撃……」

 

 濃い霧の中にいるような薄ぼんやりとした記憶を辿る。

 曽祢さんが自分と俺の盃に二杯目を注ぎながら話し続けた。

 

「あの鳥羽伏見の戦いの直前、俺の元主の近藤勇は御陵衛士の残党に狙撃されてな、参戦できなかったんだ。あの戦が勃発したとき近藤は大坂城で養生していたのさ。労咳が発症してしまって戦えなくなっていた沖田総司と共にな。近藤は命には別状なかったものの銃弾は右肩を貫通していた」

「右肩貫通って……大怪我じゃねえか。それじゃあ……」

 

 俺は盃に口をつけようとしていた手を思わず止めて、曽祢さんを見た。

 

「ああ。あの人は二度と刀を握れなくなってしまった」

 

 盃の中の酒を見つめながら曽祢さんがぼそりと言った。

 主が刀を握れなくなる。その結果佩刀はどうなるのか、思いつくのはただ一つだ。

 

「鳥羽伏見での敗戦のあとすぐ、新選組は幕府の軍艦に乗って大坂港から江戸に戻った。江戸の品川のあたりの釜屋という新選組が東下したときによく使う旅籠をとりあえずの仮屯所としたのさ。そこで近藤勇は俺を手放した。釜屋の滞在費やなんかの足しにするために売ったとも、世話になった人に譲ったとも言われている」

 

 曽祢さんが盃の酒を一気に飲み干した。

 

「近藤さんとはそんなあっけない別れだった」

「近藤さんとの別れ……」

 

 別れ……その言葉が俺の心に鋭く刺さった。

 嫌な言葉だと思った。

 もちろんそれは一般的にあまり聞きたくはない言葉のうちの一つだろう。

 でもそれ以上に何故かそれは俺を酷く乱す言葉だった。

 急にドキドキと動機がして、俺はため息を吐くふりをして深呼吸をした。

 幸い曽祢さんは俺のそんな様子には気が付かなかったようで、話し続ける。

 

「だが、俺はあっけなく俺を手放したあの人を恨んじゃいない。いや、それどころかむしろ感謝の気持ちの方が強い。俺はな、文久三年の秋には近藤さんのところにいたのさ。そしてあの池田屋事件、それに続く禁門の変と、新選組の大事件を近藤さんと共に戦ったんだ。今ではいい思い出だよ」

「いい思い出……か」

 

 なんとか落ち着いた俺は一口静かに酒を啜った。

 曽祢さんは手酌で自分の盃に酒を注いだ。

 

「池田屋事件のあとすぐ、土方は隊士全員の刀を集めたんだ。何をしたと思う?」

「何をしたって?戦闘のすぐあとの刀といやぁ……そりゃ傷だらけっつうか、血と脂にまみれて見られたもんじゃねえよな」

「ああ、そうだ。使われていればいるほど汚れるし傷もつく。ものによっては折れたり曲がったりしてしまっている場合もある」

「だが……それを見りゃだれの刀がどのくらい敵を斬ったか一目瞭然ってもんだ」

「さすがは土方の佩刀だな。その通りだ」

 

 曽祢さんが俺の方を見てにやりと笑った。

 

「お前も見た通り、池田屋はなかなか大変な戦闘だった。だから隊士たちの刀はみんなボロボロだったよ。土方は隊士たちがどこでどう戦って何人斬ったかの自己申告と刀の傷の具合を見比べて、隊士たちが言ってることが本当か判断したのさ。そうやって会津藩から出た報奨金を隊士一人一人の働きに見合うように分配したんだ」

「あの人らしいな。抜かりねえこった」

 

 そんな言葉が口から出て、俺は少し視線を落としてフフンと笑った。

 

「俺はな、池田屋に一番最初に飛び込んでからのあのすさまじい戦闘の中で、唯一折れも曲がりもしなかった刀だったんだ」

「さすがは虎徹……あ……」

 

 口に出すと同時に曽祢さんは贋作だといわれていることを思い出して、俺は内心しまったと思った。

 

「なんだ、俺が贋作だって気にしてるのか」

「い、いや、そういうわけじゃねえけどよ……」

「近藤さんもお前とそっくりおなじことを言ったよ。折れも曲がりもしなかった俺に『さすがは虎徹だ』ってな。近藤さんはそれで俺を真作だと信じたんだ。」

 

 そう話しながら曽祢さんが俺の盃にまた酒を注いでくれたので、俺も徳利を受け取って曽祢さんの盃に酒を満たした。

 二人でしばらくちびちびと盃の酒を啜った。

 

「だがな、和泉守。こんなことは天下に名だたる名刀ぞろいのこの本丸じゃ大きな声では言えないが、俺にとっちゃ自分が真作か贋作かなんて、実はそうたいして重要なことではないんだ。周りの奴らが俺のことを贋作と呼ぼうが何と呼ぼうが、主だった近藤さんが俺のことを真作だと信じてくれていたんなら、俺は近藤さんをがっかりさせないよう、近藤さんの期待に応える働きをするまでだ。あのときも、今も、そしてこれからも。ずっとだ。虎徹だからというよりも、近藤勇の佩刀として恥ずかしくないよう戦いたい。今の俺の望みはそれのみ……だな」

「その気持ち、俺もわかる気がするな」

 

 曽祢さんの言葉は俺の胸に深く響いた。

 曽祢さんにとっては近藤勇。俺にとっては土方歳三。そして清光や安定にとっては沖田総司。

 みんな似たような気持ちを持っているのだろう。

 そしてそれは俺たちだけじゃなくて、他の刀剣たちだって同じなのかもしれない。

 遠い過去の元主の思い出を、刀剣たちはみんな心の奥底に秘めている。

 多分それが俺たち刀剣男士の矜持なのではないか。

 元の主の名を辱めないよう心して今を戦うのが俺たち刀剣男士……。

 それはこのところ俺がずっと考えている、あのとき国広が言った土方さんが俺に込めた思いというものにも重なるところがあるのかもしれない。

 

 目の前に広がる池の水面が夜風にそよいで、そこに移る月がふるふると揺れた。

 

「なぁ、和泉守……」

「うん?」

「近藤さんと土方の最後の別れのこと、俺に教えてくれないか」

「えっ……だが、俺は……」

 

 突然そんなことを言われて少々驚いている俺の盃に曽祢さんは構わずまた酒を満たした。

 

「俺はもうそのときは近藤さんの側にはいなかったからな、あれから近藤さんがどうなったのかは人づてに聞いた。でも最初にそれを聞いたとき、あの土方が近藤さんの側を離れたというのが意外だった」

「俺は……曽祢さんも知っての通り、土方さんとの記憶を失って顕現しちまってる。少しずつではあるが思い出してきてはいるんだが……。そういうのは国広に聞いた方がきっと早えぜ。あいつのほうが正確に覚えているだろうしよ」

 

 記憶に自信がなくて目を伏せる俺に、曽祢さんは少し笑って「いいや」とゆっくりと首を横に振った。

 

「国広だけじゃなくてお前にも聞いてみたいと思っていたんだ。正確かどうかも確かに重要なことではあるが、お前があの二人の別れをどう感じたのかを聞いてみたかったんでな」

 

 急に鳥羽の戦場で脳裏に浮かんだ土方さんの言葉がよみがえった。

 

『絶対に見捨てちゃいけねえ相手を捨てて、てめえだけ生き残ってるんじゃねえかよっ!』

 

 あれは……。

 そうか、あれはきっと近藤さんとの別れたときの土方さんの想いだったんだ。

 土方さんがたった一度だけ、俺の柄をその手に握りながら涙を見せた……それがあのときだったのだ。

 土方さんの辛さ、悲しみ、そして自分への怒り……。

 思い出せば、そんなもろもろの土方さんの胸の痛みが我がことのように俺の心に押し寄せて、なんだか胸がつぶれそうに思うほど切なくなった。

 畜生。なんでこんな我が身を切られるように辛いんだ?

 俺は目をつぶって薄っすらとこみ上げてきた涙をなんとか我慢した。一つ鼻を啜ってしまったけれど。

 

「土方さんは、結局自分は近藤さんを見捨てちまったって思っていた……」

「結果論だな。土方は近藤さんを自ら見捨てたわけじゃあるまい」

「ああ、もちろんだ。土方さんは命に代えても近藤さんを助けたかったと思う」

「だが近藤さんは、土方に自分のために命を落としてくれるなと願っただろうな」

「えっ?」

 

 考えてもみなかったことを曽祢さんに言われて、俺は驚いて曽祢さんの顔を見た。

 近藤さんのためなら土方さんはきっと命を惜しまなかっただろう。

 そして今の俺たち刀剣男士の心の中にも、主のためならばという強い思いを持っているものは多いはず。

 でも、近藤さんは自分に命を賭けてほしくなかったというのか?

 

「命には使いどころというものがあるだろう。刀を振るえなくなった近藤さんにとって、逆に土方を生かすことを己の命の使いどころにするというのは理由として十分だったんじゃないかと思ってな」

「だ、だが、それじゃあ土方さんは絶対納得しねえよっ!命に代えても護りたいと思っていた近藤さんを逆に犠牲にして自分が生かされたなんて、土方さんが余計に辛えだけじゃねえかっ!」

 

 思わず強い言葉が口から飛び出した。

 

「おいおい和泉守、まるでお前自身のことみたいに怒るじゃないか」

「え?あ……いや別に、そういうわけじゃねえけどよ……」

 

 言われてみればその通りで、俺はそんな自分に少し驚いてあわてて口をつぐんだ。

 

「土方は近藤さんを助けたかった。でも近藤さんは土方に是非とも生き残って守ってもらいたいものがもう一つあった。それが何なのか、多分土方はちゃんとわかっていた……」

「……新選組……か……?」

「そうだな、きっと」

 

 近藤さんは土方さんに新選組を託したのだろうか……。

 

「ひっでえよな、近藤さんは……」

 

 空になった盃を掌で弄びながら俺はぽつりと言った。

 曽祢さんが「ほう、和泉守はそう思うか」と言って少し笑った。

 

「やっぱり土方さんは自分が命を賭けて近藤さんを護りたかっただろうよ。ずーっとそのつもりでいたんだろ?土方さんは。自分が近藤さんを護って先に死んじまうことはとうに予想も覚悟もしていただろうが、まさか自分が近藤さんに護られて生き残っちまうなんて、そのうえ二人で作り上げた新選組を託されちまうなんてよ……それって想定外ってやつじゃねえか」

「想定外か……」

「ああ。そうさ。それによ、そんなもん背負わされたら、土方さん、そう簡単には死ねなくなっちまうじゃねえか。自分が死んじまったら新選組と一緒に近藤さんの大願とか大志とか、近藤さんと二人で見た夢とか、みんなすっかりこの世から消えちまうみたいでよ……」

「そうか……。そうだな。託されたものにとってはそうかもしれないな」

 

 近藤さんのそんな話をしているのに曽祢さんには悲壮感はない。むしろとても穏やかだ。曽祢さんにとってはもう近藤さんとのことは完全に過去の思い出なのだろうか?

 では、なぜわざわざ俺から近藤さんと土方さんの離別の話を聞きたがったのだろう?

 なんだか少々解せぬと思った。

 

「おっと、酒が切れてしまったな。今夜はこのくらいにしておくか。

和泉守、今夜はお前の話が聞けて良かった」

「あ……いや、たいしたこと言えなくてすまねえ。そういうのはやっぱ国広に聞いてくれたほうがいいと思うぜ。俺はまだあやふやで頼りねえしよ」

「いや、十分だ。思っていた話は出来たよ。ありがとう。もう夜も更けた。それじゃあ俺はそろそろ部屋に戻るとするよ。じゃあな。おやすみ、和泉守」

「ああ。おやすみ」

 

 遠くから聞こえていたはずの短刀たちのにぎやかな声も酒を酌み交わしながら談笑する男たちの陽気な音もいつの間にか消えていて、本丸は夜の静けさにすっかり包まれていた。

 部屋に戻って行く曽祢さんの後ろ姿を何気なく見つめていたが、曽祢さんは話を聞きたいと言って俺のところにやって来たわりには聞くというより曽祢さん自身が話したことのほうが多かったんじゃねえかと思うと、ふいに本当は俺に話をしに来てくれたんのではないかと気づいた。

 曽祢さんは、俺がまだ気が付いていない大切な何かを教えに来てくれたような気がする。

 

 夜の空気は清けく月は麗しく。

 なんだか寝てしまうにはまだ少し惜しくて、俺はそれからもしばらくの間池に映る月をじっと眺めながら、長曽祢虎徹の言ったことをもう一度思い返した。

 

 俺が気付くべき大切なこととは何なのか。

 長曽祢虎徹が俺に伝えたかったことは本当は何だったのか。

 それを俺はじっと考えた。



 

~続~