望郷 ⑥ | 雪の上に照れる月夜に梅の花

雪の上に照れる月夜に梅の花

雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

 

 

『池田屋の記憶』から部隊が帰還してきたとの連絡を受けた。

 

いつもは部隊長からの報告を部屋で待つのだが、今回はやはり少々心配で、部屋の障子を少し開けて刀剣たちの帰還してきた様子をこっそりと見た。

 

今まで池田屋には新選組の刀たちだけで行かせたことはなかった。
それは、和泉守兼定の顕現を待っていたというのももちろんあるが、彼らが万が一冷静さを失いそうになったとき、それに対処できるものの存在は必要だと思ったからだ。

和泉守兼定以外のものたちは付喪神としてこの本丸に顕現してからもう何度もあの場所を経験していて、今では我が本丸ではみなベテランの域になっており、もうそんな心配はしてはいない。
だから思い切って新選組の刀たちに未経験の和泉守兼定を連れて行かせても大丈夫だろうと判断したし、新選組の刀だけで行く事で、彼らは誰にも遠慮することなく和泉守兼定に新選組の思い出話をしてやれるのではないかとも思った。あそこにはいずれは彼ら全員そろって彼らだけで行かせてやりたいと常々思ってもいたのも確かだ。

帰還後の和泉守兼定の興奮冷めやらぬ様子は十分予想していたことではあったのだが、少々不安を感じた審神者の私は部隊長だった長曽祢虎徹の報告を聞いたあと、和泉守兼定を一人私の部屋に呼びつけた。

 

廊下から閉められた障子越しに聞こえた「和泉守兼定だ。参上した」という声に「入れ」と返事をすると障子が開けられた音がし、振り向くとあいつが外の陽の光を背に立っていて、逆光も手伝ってしばし私は眼をしかめた。

やがて眼が慣れてあいつの姿がはっきりと見えてくる。

充実感に満ちた表情は、土方歳三という敬愛する元主の役に立てたことによるあいつの内なる歓喜を表すには十分なほど晴れやかで、そして真剣必殺姿の和泉守兼定は傷だらけでありながらも全身から輝くばかりの霊気を放っていた。

その姿は一介の未熟な付喪神とは思えぬような、あたかも半裸の軍神のごとき神々しさをまとっていて、私は一瞬息をのんだ。

 

真の意味で、刀剣の最も美しい姿を目の前に示されたと思った。

 

これがこの若い付喪神の…『和泉守兼定』の魅力なのだ。

芸術品としての価値があるわけではない。重みも品格も神威も、人が畏れを抱くほどのものはなにもないはず。

それなのに彼の放つこの澄み渡った美しさ。

こういう一途さの持つ輝きは生まれ持った性格からくるもので、あとから身に着けることは出来はしない。
この刀剣にこれほど深く思われている土方歳三という男が全くうらやましい…。

 

護るべきもののために戦う悦び、それを成し遂げた達成感を知った和泉守兼定は、予想していた以上に気持ちを高揚させていた。

本人は中傷で、しかも真剣必殺も発動していて重傷一歩手前のボロボロなのだ。なのにその痛みも何もまったく感じていないらしい。

そして、もうとうに戦闘は終わったのに、自分が未だ全身から尋常ならざる量の霊気を放っていることにも気づいていないのだろう、それを隠す素振りもない。

それが和泉守兼定の未熟さを露呈しているわけなのだが。

 

この若くて根の真っ直ぐな付喪神をもう少しこのまま喜ばせておいてやりたい気もするのだが、なにせ相手は末席とはいえ神のはしくれ。

未熟で神威の低い和泉守兼定は自分が潜在的に持つ力がどれほど強大なのかにまだ気づいていないのだろうが、私もあいつが最終的に付喪神としてどれほど成長するのかは予想できない。

私は…審神者は刀剣の付喪神である彼らの心を励起(れいき)するきっかけを与えているだけにすぎないのだから。

ただ、過度の興奮状態が続きすぎて本人が自分自身を制御できなくなり、最悪の場合、審神者の手に余ってしまうようになってしまってからでは遅い。

目を覚ましてやらねば…。

 

 

 

和泉守兼定が私の前に座った。

「どうだった、池田屋は?」
「ああ、良かったぜ。スカッとした。ああいう戦場なら何度でも行きてえもんだな」

 

普段は反抗的で、私に対して刺のある態度を取る和泉守兼定、そいつがいつになく素直だ。
こいつが顕現したときの私の先制が効きすぎて逆に私に酷い警戒心を懐かせてしまったからなのだが、こんなに嬉しさを隠さないその様子は正に若さにあふれた青年そのものの清廉さと可愛らしさで、こちらも思わず顔をほころばせそうになってしまってあわてて表情を引き締めた。

 

「新選組のあんな姿は文字通り紫電一閃(しでんいっせん)、刀の一瞬のきらめきの如し…だ」

「え?」

 

和泉守兼定は一瞬きょとんとした。

 

「どういう意味だよ?」

「栄華は泡沫(うたかた)の夢。この世は無常。果敢無(はかな)いものだ」

「何が言いてえ?」

 

和泉守兼定はみるみる間に憮然とした表情になり、私を睨みつけた。

「いや。何も。言いたいことはそれだけだ」

 

私は眼に何の感情も含まないように気を付けながら、私を睨みつけたままの和泉守兼定を見つめて言った。

 

「わかってるさ。あんたはいけ好かねえ俺が土方さんの手伝いが出来て気をよくしてるのが気に入らねえんだろ?それでわざわざ俺一人を呼び出して、そんな風に俺の気持ちに水ぶっかけるようなことをいいやがるんだ」

「いいや、そんなつもりはないがね」
「生憎だな。俺は今まで見たこともなかった土方さんたちの活躍ぶりをこの目で見られてすげえ満足したよ。この気持ちは絶対忘れない。何があってもな」

 

そうだ、忘れるんじゃない。土方たちの活躍ぶりをお前にわざわざ見せたのはそのためだ。

 

「好きにするがいい。ただ自分の使命さえ忘れなければな」

 

私は文机の方に向き直って、彼の言っていることが全く取るに足らぬことだというようにそういった。

彼の使命…それは歴史を守ること。

それがどんな歴史であっても。

和泉守兼定が悔し気な顔つきになって黙り込んだ。

 

「どうした?」

「あんた…知ってんだろう?この先、土方さんがどうなるのか…」

「ああ、土方歳三の生涯なら知っている。それがどうした?」
「俺は…その、肝心の俺が土方さんと一緒にいたときのことをすっかり忘れちまっている。
何故なんだとずっと考えている。でも考えれば考えるほど悪い予感しかしねえ…。
それに、夢中で戦っているとき、突然、閃光のように戦の風景や土方さんの声が頭に響いたことがあってな…。そんで、一度だけ…負ける夢も見た…」

徐々に目を伏せるようにして話す和泉守兼定からは、あたかもしゅるしゅると音がするかのように放っていた霊気が消えてゆく。
おいおい…。

全く…もう少し神様らしく多少は取り繕えよと内心苦笑してしまう。

「そうか」

私はそう短く答えた。

和泉守兼定はしばらく黙ってもぞもぞとしていた。

 

「なぁ…あのよ…」

「手入れ部屋でまずはその傷を治してこい。お前もかなり練度が上がったから、手入れ時間も資材も随分とかかるようになっているはずだ。まあ今日はゆっくり休め。
また次の戦場が待っている」
「……お、おお。あ、そっか…。わかった…」

 

あいつが何かを聞きたそうにして口を開いたのを私は気づかないふりをした。
あいつもまたそれで口をつぐみ、大人しく「んじゃ…行ってくるわ…」と腰を上げた。

 

 

和泉守兼定よ、お前は今度は彼らの選んだ道を、たどる運命を、その目でもう一度見ることになる。

そしてあの時代でお前の味わった辛さをもう一度なぞることだろう。

でも前の主である土方がお前に託した思いをお前がしっかりと背負うためには必要なことだ。
それを理解したとき、お前にもきっとわかるはずだ。お前は自分が思っている以上に土方に愛されていたということが。

辛い思いに深く苦しめば、そんな戦場にお前を送り込んだ私を、お前はさらに嫌うのかもしれないが。

 

私は心がチクリとして、小さくため息を吐いた。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「なんだ、国広、今回はお前と二人だけか?」
「ええ。そうですよ。今度行くところは敵の数も少ないですし、強くもないです。検非違使が出たらちょっと厄介ですけれど…」
「ちぇっ、審神者のヤツ、前は厚樫山みてえなところに練度の低い俺を無理やり放り込みやがったくせによ…。で、今度はどこだ?」
「鳥羽伏見の戦いです」

「鳥羽伏見?ふーん…」
「どうかしましたか?」
「あ、いや…。なんかどこかで聞いたことがある気がしてよ…」

 

国広は少し微笑んだたけで、何も言わなかった。

 

だが…。

その戦場に赴いた俺は一瞬目を見張った。

ここは…この場所は…まさか…。

 

「おい、国広…俺、ここ知ってるぞ…」
「ええ。そうですよね。僕も初めて来たときそう思いました」
「俺、夢を見た…。ここだ。この場所で、大砲を撃ち込まれて、火事になって、俺たちはそこを捨てて…」
「兼さん…」
「そして…そうだ、錦の御旗。錦の御旗だ。それを見た味方が戦意失っちまって、寝返るやつが山ほど出て、総崩れで…」

「兼さん」
「…源さんが亡くなって、山崎も大怪我して…」

「兼さん!」
「…もう刀の時代じゃない…」
「兼さんっ!!!」

国広の声に、我に返る。

 

「…なぁ、国広…。ここは…鳥羽伏見の戦いには俺はいたよな?ここは池田屋事件の何年後なんだ?」
「約三年半後です」
「たった三年半…」
「ええ…。あ…あれですよね、兼さんが夢で見た旗…」

国広が指さす方向を見ると、薩摩藩の軍勢が錦の御旗を掲げているのが眼に入った。

そして、時間遡行軍はその薩摩藩を狙っていた。
夢の中であの旗を見たときに自分の刀身に伝わってきた土方さんの衝撃や悔しさ、やるせなさといった気持ちが突然激流のように思い出されて、とっさに「土方さん!どこだっ!」と叫んで駆け出そうとした俺の腕を国広が「兼さん!ダメですっ!」と言って掴んだ。
国広が首を横に振って俺を止める。

 

「土方さんを…俺はあの人を負けさせたくなんかねえっ!」

「兼さん!ここは薩摩藩が勝たなくてはいけない。それが歴史です。歴史を変えてはだめなんです!そのために僕たち、ここに来たのですから!」
「いやだっ!俺は、俺はあの人を護る!お前だって元はあの人の刀じゃねえか。なのになぜそんな平気でいられんだ!あの人を護りたくねえのかっ!」
「護りたいです!だからっ!だから歴史を守るんです!」
「わけわかんねえっ!」

国広の手を振りほどこうと身をよじった。

「新選組に負けさせなくっちゃならない、それが歴史だって言われても、俺は土方さんに刃なんて向けられねえっ!土方さんを護る!」

「僕たちは時間遡行軍が歴史を変えることを阻止する、それだけです!土方さんや新選組に刃を向けるわけじゃありません!」
「歴史じゃ土方さんたちはここで薩摩藩に負けるんだろ!時間遡行軍はその歴史を変えに来た。つまりあいつらは土方さんたちの味方に付いて薩摩藩のやつらをやっつけちまおうとしてるんだろっ!なら、俺たちも!」

「あいつらは誰かの味方に付くわけじゃありません!ただただ歴史を変えようとしている、それだけです!過去のどこかの時点で少しでも歴史を狂わせれば、この世の中は将棋倒しのように歪みが生じ、連鎖が起こっていずれは全体を破壊することが出来る。奴らの狙いはそこなんです!だからそんなことをしたら巡り巡って今度は土方さんたちにどんな大きな影響が出るかわからないんですよ!」


国広は俺の腰に抱きついて必死で止める。

 

「離せっ!俺は土方さんのために戦う!刀の時代が終わったなんて誰にも言わせねえっ!」

「絶対ダメです!そんなことしたら兼さんは時間遡行軍と同じになってしまう!

もう本丸に戻れない!戻っても闇落ちした刀剣として刀解されてしまう!そんなの僕、絶対にいやですっ!」

「闇落ちしようが構やしねえっ!刀解されることなんて怖くもなんともねえっ!土方さんを護って刀解されるってんのなら俺は本望だ!」

「兼さんのばかっ!どうしてわからないのっ!」

 

国広が後ろから俺を力一杯抱きしめて、俺の背中に額を押しつけてぼろぼろと涙を流した。

 

「僕にとっては兼さんを護ることが土方さんを護ることでもあるんです!

土方歳三の思いが宿る兼さんを僕は絶対に護る!それが僕が決意した僕なりの土方さんの護り方です!

新選組の刀のみんながどんなに兼さんの顕現を心待ちにしていたか!

刀身を失ってしまっている僕たちがどれほど兼さんのことを大切に思っているか、わかりませんか!

兼さんは…兼さんは…」

「俺に…土方さんの思いが宿っている…だと?」

 

俺は驚いて首をねじって背中に張り付いて泣いている国広を見ると、国広がドキリとした表情をして、あわてて俺から離れた。

鼻をすすり上げながら両手で涙を拭い、無理に微笑もうとして顔を歪めた。

 

「ごめんなさい。それ以上は僕には言えません。主に止められているのに、つい…」

「国広、土方さんの思いってなんだ?」

「……」

「知ってるんなら教えてくれよ!頼む!」

「いいえ、教えられません。それは兼さん自身が自分で気がつかなきゃいけない。だから主は僕に兼さんに教えてはいけないって言ったんだと思います…」

「俺は、土方さんの思いどころか、土方さんの名前も、土方さんとの記憶も、自分の思いも、何もかも忘れて顕現しちまったんだぜ。そんな薄情な俺に土方さんの思いを思い出せるわけがねえ。そう思わねえか」

「兼さん…。僕はずっと土方さんと兼さんと一緒に居ました。だから僕は兼さんのこと、誰よりもよく知っているって自負しています。兼さんは薄情なんかじゃない。とても温かい人です。そんな兼さんが土方さんのことを忘れてしまったことにはきっと何か理由があるんです。そしてその理由も含めて兼さんが自分で思い出すことに意味がある。きっと、きっと思い出せます。だから兼さん、いまのこの鳥羽伏見の状況だけを見て闇落ちしてもいいだとか、土方さんのためなら刀解されてもいいなんて言わないで。今の兼さんにはもっと見なきゃいけないものや行かなきゃいけない場所があります。そして土方さんの思いを思い出さなきゃ。ね?」

 

視線を落としていた俺の顔を、国広がそう言って覗き込んだ。

土方さんの思いは思い出したい。
そして、俺がなぜ土方さんのことを忘れてしまっているのか、その理由も知りたい。
でも土方さん…俺はあんたを助けたいよ…。

こんなとき、土方さん、あんた自身ならどうする?
 

ふと、土方さんが一度だけ俺に涙を見せたことを思い出した。

 

「絶対に見捨てちゃいけねえ相手を捨てて、てめえだけ生き残ってるんじゃねえかよっ!」

 

あのときもまた、土方さんが握った俺の柄から土方さんの辛く悲しく、そして傷ついた気持ちが伝わってきたんだった。

何がどうだったのかは思い出せない。でもそうやって土方さんは辛くても自分の役目を果たしたのだということはわかる。

もし土方さんがここにいたら…。

きっと俺に「役目を果たせ」というだろう。
俺がどんなに懇願しても、俺が役目に反して土方さんを助けることは許してもらえないだろう。

 

そうだ。あの人はそういう人だ。

 

「…わかったよ…」

 

俺は俯いて唇を噛み、両手を握りしめながら国広にそう告げた。

 

「兼さん…、わかってくれたんですね。よかった…」

 

国広が俺に抱きついた。

 

俺は…。

今まで…土方さんと一緒にいたときも含めて、自分の思いには敏感だった。
だが、自分もまた誰かに思われているということに気付いていなかった。

この国広のように、俺を思ってくれる人がいるなどとは露とも思わなかった。

 

 

 

土方さん…。

あんたもまた、俺を思ってくれたのか?

そして俺に自分の思いを込めたのか?

 

 

 

あんたの思いを俺は知りたい…。

 

 

 

~続~