日野道中記・貴方の故郷を知りたくて…その1 | 雪の上に照れる月夜に梅の花

雪の上に照れる月夜に梅の花

雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

またまた急に行くことにしてしまった。

土方さんの故郷、日野。

新選組の始まりの地。

東京は近藤さんや総司さんの故郷でもあり、亡くなった地でもあり。
左之さんの亡くなった地でもある。
そして、新八さんもこの地に眠る。

人は、亡くなった地にその想いを強く残すものなのだろうか。

眠っている地に心があるのだろうか。


函館に行き、日野に行き、東京の史跡を巡り。
そしてそう感じました。
根拠はありません。
ただの私の感想です。


感想を先に言ってしまうのはとてもヘンですけれど、旅の後半、ずっと感じていたことなので。
忘れないうちに書き留めておきたくて。


そして、総司さんがどこにも居ない。

そんな感じがする。私たちはまだ総司さんに出会えていない。


これも、私と娘の二人の感想です。
もちろん根拠はありません。ただの感想です。


そして、こんなに沢山のお墓巡りをするんだったら、数珠を持ってこないとダメだなと思いました。
これもただの私の感想です。
娘が「自分のうちのお墓参りも行かないとね…お盆に行こうか…」と言い出したのも意外でした。


そんな感じで。

函館の時は、その場でダイレクトにいろいろ感じた旅でしたが、
今回は、後からじわじわといろいろ感じる旅でありました。


ということで、道中記、記録のために書き留めます。



・・・・・



朝9時半ごろ東京駅到着。
最後に東京に来たのは…3年前?かな???

駅ナカの充実に驚く。

とりあえず、荷物を駅ナカのコインロッカーに預け、作戦会議&ブランチ。
ちょっといろいろあって娘は前日ほぼ徹夜、私もあまり寝ていないので、新幹線で二人とも爆睡してしまったので。

…というより、駅ナカでよさげなカフェを見つけてしまったので入ったわけです。
サンドウィッチセットとチーズサンドセットをオーダー。
カジュアルな感じなのに食器が全部ロイヤルコペンハーゲン。
そう…デンマーク風のカフェなのです。
チーズサンドの中身がとろけるチーズとオレンジジャムで、意外なおいしさでした。

さてさて。
一番最初に目指したところ、それは流山です。
日野とは全く正反対の方向なので、先に行っておかないと…ね。
それと、土方さんが近藤さんと別れてしまった場所を是非見てみたかったので。


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ふぅん…立て替えられてしまっていて、あまりに綺麗で…。


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ということで、江戸川の渡しがあるほうに行ってみる。

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近藤さんはこの渡しから連れて行かれました…。

では、新選組が入ってきた渡しは…というとこちら。

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ふたつの渡しは1.5㎞ほど離れています。

最初、矢河原の渡しに行って川を眺めて。
なんかいい感じだったので丹後の渡しの方にまで歩いて行ってみました。

とても暑かったのですが、川沿いの道は川からたまに涼しい風が吹いてきます。
サイクリングロードになっているようでした。

川はかなり深そう。大きな魚がいっぱいいるのがわかります。

川の風景を見ながら歩けたのは良かったです。ほんとにすごーーく暑かったけれど。

街は変わってしまった。遙か向こうにスカイツリーが見えたりして。
でも川はまだ少しは面影があるでしょうか。

そんなことを思いつつ歩く。



そして、次に目指したところは五平新田金子邸です。


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甲陽鎮撫隊での敗走後、体制立て直しのために駐屯したところです。
ここで新八さん、左之さんたちは、近藤さんと袂を分かちます。

ここの立て札には、最初二十数名で受け入れたのだけれども、ばらばらに分散して敗走した新選組が徐々に金子邸に集まってきて、最終的に220名ほどになったということが書かれていました。


あぁ、でも暑い…。
一度休憩しないと。まだ明日以降もあるし。
金子邸はJR常磐線の綾瀬というところにあるのですが、とりあえず次の目的地の上野へ。

上野でやっと休息。
冷たいお蕎麦を食べて、私はビール、娘はかき氷もオーダー。

あ~生き返った~~~。

で、上野公園。
広いですね~~~。

行きたいところが北の端と南の端なんだな…悩む…。
かなり広いし…。
そして、上野といえば国立西洋美術館。行きたかった、すごく行きたかったけれど我慢…。

で、とりあえず、南の端へ。

彰義隊墓所です。

$雪の上に照れる月夜に梅の花

え…うそ、でかい。思っていたよりもずっとでかい。

ちょっと、いえ、かなり驚きました。
もっとひっそりとあるのかなと思っていましたので。
左之さんもここに眠っているのかなぁ…。


そして次は、タクシーで浅草の今戸神社へ。

タクシーの運転手さんがとても気さくで感じの良い方で、スカイツリーがとても綺麗に見えるスポットを教えてくださって、「帰りにでも写真撮ったらいいよ」と。
ごめんなさいね…食いつきが悪くて…。
でも、帰りに一応ちゃんと写真、撮りましたよ。

そして、今戸神社。

$雪の上に照れる月夜に梅の花

総司さんは、ここ、今戸神社の境内にあった松本順庵先生の私邸の一室で療養生活を送っていたと言われています。
亡くなる少し前に千駄ヶ谷の植木屋に移されたという話もあります。
でも、一時こちらにいらしたことは確かなようですので…。


さて、浅草の浅草寺に行ってみたい(←行ったことない)けれど、時間がないので諦めて、あとはもう一度タクシーに乗って上野の寛永寺へ。
寛永寺本堂(根本中堂)前で下ろしてくれたのですが…思った感じと違う???
というより、五重塔や観音堂あたりの賑わいに比べて閑散としていて…。
寛永寺本堂は昔は別の場所にあり上野戦争で焼けてしまって、こちらに建て替えられたということです。
ここは徳川慶喜が恭順のために籠もったお寺で、この現在の本堂の裏手に大慈院というところがあり、そこの4畳半(非公開)に慶喜さんは蟄居なさっていたらしいですし、新選組も短期間ではありますが警備をしたということなので来てみましたが、う~ん、思ったほど当時の様子は感じられず…。
でも、慶喜さんのお墓が近くにあるそうなので、慶喜さんファンの方にはきっと外せないところだと思います。
寛永寺には将軍家のお墓もあります。
でも、慶喜さんは大政奉還してしまい、亡くなったときは将軍ではなかったうえ、仏式ではなく神式で埋葬されたそうなので、寛永寺の徳川霊廟に入っていない唯一の将軍なんだそうです(泣)
残念ながら時間がなくて、慶喜さんのお墓を探すのは断念…。
寛永寺は広い上にあまりに閑散としていて、御朱印貰う場所もよく分からず、貰えませんでした。



そして本日最終は東京駅すぐ側の秋月種樹邸跡。
新選組が鳥羽伏見の戦いに敗れ、大坂から船で江戸に戻り、最初に滞在したのは品川の「釜屋」ですが、そこに一週間ほど滞在したのち、宿舎として秋月邸が与えられたとか。
でもここも、今は東京三菱UFJ銀行本店南側の、美しく整備された緑地になっていて、名残も碑も立て札もなにもありませんでした。


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この時点ですでに17時半。

まだこれから預けた荷物を持って多摩に向かわなくてはならない。



ということで、長くなりましたのでここでいったんおしまいにしま~す。