光と闇と心の在り方! | 東洋医学の力で人生を激変させた男〜黄 岩豹〜

東洋医学の力で人生を激変させた男〜黄 岩豹〜

東洋医学=単なるマッサージだと思ってたかつての私。
『髪を生やして痩せさせてやる!』と誘われて行った先が東洋医学の医院。
ツボを押された瞬間、体が熱くなり10キロ痩せたのをキッカケに、東洋医学に魅了され
自分が東洋医学マスターを目指すことになった男のブログ

“ 鬼は外、福はうち ”


2月3日の節分はこのような掛け声で多くの方が豆まきをされたことでしょう。

節分


節分の意味とは?


節分とは季節を分けると言う意味があり


年の立春、立夏、立秋、立冬の4回の節目のことを言います。


節分は4回存在します。


立春の節分に豆をまく意味とは?


これは中国から伝来した風習である追儺(ついな)と言う厄払い行事が元になっております。


追儺の行事は俗に


「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」

と呼ばれ
疫病などをもたらす悪い鬼を追い払うと言うものでした。


追儺の行事が最初に行われたのは、文武天皇の(奈良)時代です。


大化の改新のあとに藤原氏が勢力を強めた藤原京時代に唐の風習を行うようになりました。


藤原氏は藤原鎌足が始祖で、藤原氏は中国から渡って来たとされております。


鬼の目(魔の目=魔目(まめ))に、を投げつけて、鬼を退治(魔を滅=魔滅(まめ))する。

鬼を「魔滅」する「豆まき」は無病息災を祈るという意味を持っていたのです。


豆を炒るのは『魔目(まめ)を射る』ことで鬼退治に繋がります。


炒らない豆を使うのは拾い忘れた豆から『芽が出て縁起が悪い』とされるからです。




中国の追儺式について


追儺式は古く中国に始まり『周礼(しゅうらい)』によれば方相氏(ほうそうし∥ほうしようし)と称する呪師が熊の皮をかぶり、四つの黄金の目玉のある面をつけ,黒衣に朱の裳(も)をつけ、手に戈(ほこ)と盾(たて)とを持って疫鬼を追い出したと言います。

方相氏


中国で言う疫鬼は鬼神または妖怪のことを言い、日本で言う『鬼』とは意味が違います。


中国で言う『鬼』は、死霊、死者の霊魂のことを指します。


日本での鬼とは?


「鬼」という言葉は

  • 「陰(おん)」= 目に見えない気、なかでも邪気をさす
  • 「隠(おぬ)」= 姿の見えないもの、この世ならざるもの


と言うところに由来しています。


人間の想像をはるかに超えた災い(災害、疫病、飢饉など)は、鬼の仕業と思われていました。


日本の『鬼』おぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味しておりました。


そこからの力を超えたものの意味となり、後に人に災いをもたらす伝説上の人型のイメージが定着しました。


そのため憎しみや嫉妬の念が満ちて人が鬼に変化したとする話もあります。


嫉妬心から鬼と化した女性の話や、女性が男性を呪いで鬼に変えようとした歌もあります。

鉄輪


鬼の伝承


飛鳥時代から奈良時代の呪術者である役 小角(えんのおづぬ)が、前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)と言う夫婦の鬼を従えていたと言う話しもあります。


役 小角は文武天皇に人々を言葉で惑わしていると讒言され伊豆島流罪となりました。


前鬼・後鬼の伝承としては奈良県の生駒山で人に災いをもたらしていたとあります。


人間の子供を捕って食物としていたそうですが、役 小角が鬼の最愛の子を隠し心配した鬼が役 小角に助けを求め改悛させ、孔雀明王の呪文によって鬼の一家を人間に変え前鬼・後鬼として役 小角に奉仕するため仕えたと言う話しです。

前鬼・後鬼


また温羅(うら)と言う鬼に製鉄や造船、製塩などの技術を伝授されたと言う岡山の伝承があります。


温羅がいた地には豊富な鉄の産地だったために、覇権をめぐりヤマト王権と争いのが起こり温羅を追い出しました。


そして争いを正当化するために温羅を鬼として扱ったようです。


鬼の伝承は色々あり、特に東北地方では鬼が福をもたらす話しが多いです。


忌み嫌われた鬼をかくまったことで財産を築いた話しや、怠惰や不和などの悪事を諌め災いを祓いにやってくる使者(妖怪の類い)の話しもあるくらいです。




鬼と人の関係


『鬼』とは退治する存在でしょうか?


『鬼』とは必要のない存在でしょうか?


『鬼』とは忌み嫌われる存在でしょうか?


『鬼』とは必ずしも人に災いをもたらすものではないと言うことです。


『どちらが悪』とか『どちらが正義』だとかは関係ないことだと思います。


“ 悪には悪の正義がある ” “ 正義にも正義の悪 ” があります。


光と闇は表裏一体の存在です。


だから始めから『鬼』が悪で

災いをもたらす存在だと決めつけているのはきっと


 “ あなたの心 ” こそが『鬼』そのもの

だからです!


『鬼』の由来の「隠(おぬ)」

きっと自分が
『鬼』だと気付かず


心が「隠(おぬ)」

と言う愚かな状態なのかも知れません。


受け入れる心は与える心


神奈川県川崎市にある千蔵寺(せんぞうじ)では


神様がを堂内に呼び込んで説教して改心させると言うことで

「福は外、鬼は内」

と言う掛け声で豆まきをします。


福を外に出すと言うことは


自分だけでなく周りにも幸せになってもらいたい思いが込められております。


近年では相手のことを理解しようとせず


自分のことを理解してもらおうと依存される方が多いです。


また自分さえ幸せになればそれで良いと思う方が増えているようです。


『幸せ』ってなんでしょうか?


本当の幸せとは

『物』とか『夢』とか『愛』とか『達成感』とかではなく


『心の在り方』

だと私は思います。


自然界に生まれし『命の意味』を考え


命の有り難さに感謝をし喜びを分かち合うことが


本当の幸せに繋がるのだと私は思っております。


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