「喜怒哀楽の感情が、物事の本質を見抜く力を鈍らせる。」
この世の考察1からの復習です。
目の前で起きていることに意味はなく、私たちが勝手に感情をのせているだけで、みんな頭で考えてしまうから、現実が狂ってくる。だから、思考していることに気づくことが必要だと書きました。
そして、前回は、不安や恐怖の感情をなくして、毎日、楽しく、ワクワクした生き方をしていれば、なんの問題もないんじゃないの?というところで終わっていました。
上機嫌をずっと維持することができるならばなんの問題もありません。
しかし...人間はやっぱり「思考」してしまうのです。
思考の落とし穴がこれです。
「こんなにいいことが続いていいのだろうか。」
「私だけこんなに幸せでいいのだろうか。」
「今だけ良くて、この先悪いことが起こるんじゃないだろうか。」
楽しいなら、楽しいままでいればいいのに、余計な「思考」で「不安」を抱いてしまうのです。そして、その思いが現実となっていく。その「不安」が無意識のうちに悪い方への行動につながっていくのです。
視点を変えましょう。
「恋は盲目」と言いますよね。
確かに好きな人ができれば、その人に夢中になって、感情のまま、欲望のままに行動してしまします。そして、ある程度、恋心が落ち着いたところで、自分がどれだけ感情に振り回されていたかに気づくのです。
その「気づく」段階は人それぞれで、もっと素敵な人が目の前に現れた時、ふられた後、あるいは結婚を目前にしたとき、あるいは結婚後数年たった時、そしてずっと気づかない人...等々。
物事の本質に気づかない。見抜く力が曇ってしまうのです。そして、正しい判断をしているつもりでも間違った選択をしてしまうのです。
人それぞれに「気づく」時期は違いますが、「なんでもっと早く気づかなかったのだろう。」と思う人もいると思いますが、実はそれも「必然」なのです。
人生に「偶然」はありません。だから「確率」もない。
この話は、また別のところでしたいと思います。
さて、怒りや悲しみはもちろんのこと、このようにプラスの感情も現実を狂わせてしまうことがあるのです。
じゃあどうすれば?
最初に言ったとおり、「感情をのせなければいいのです。」
それじゃあ人生がつまらないと思う人は、今までどおり生きてください。
感情に左右され、周囲に左右され生きるのが、この世に降り立った私たちの一つの目的でもあります。
感情をのせなければどうなるか。
生きるのが楽になり、「直観力」や「ひらめき」が増えたり、間違った判断をしなくなるのです。
つまりは、今と違った新しい人生が開けるのです。
争うこと、比べることがなくなり、勝ち負けにこだわらなくります。
実は、私がこのことに気づいたのは、最近です。
引き寄せの法則から、スピリチュアル、真実の追究をし続け、思えばこの感情にたどり着くまで約5年かかりました。
5年前には確かに感情を無にする「瞑想」をしていました。
これがなぜ必要かがその時わかりませんでした。
今はしていませんが、その瞑想はヴィパッサナー瞑想でした。
感情をのせなければいいと言うけれど、そんなの簡単にできないと思われる方がほとんどだと思います。
その方法は、次回で。