こんにちは。
インデペンデント・アーティスト
Swishmar.Shell(スウィッシュマー・シャル) です。

以前の記事に記載してきましたが、
社会にとって、大切な事。
「協働関係という日常、かつ、自然体の生活意識」
ということを、祖母から、
自然に、教わってきた。
これを、理解して頂くために、
もう少し、古い過去を確かめていきます。
そこで、
次のようなテーマを掲げます。
「競争より共生」

ここから、ご紹介するのは、
青春を、どう乗り越えたかというものです。
私は、高校に入ってから、
個人的に競い合う部活動は、
もう、必要ありませんでした。
この感覚は、すでに、協働関係のなかにある充実こそが、
人生で最も、幸福と感じるものである。
という事を、明確に、意識し始めようとしていた。
それは、大人に近づいていた、証拠です。
自然界と、人間の関係を、
体感的に学ぶという、選択をしたかったので、
当時、山岳部という部活動が、存在しており、
どれにするかを、迷うことは、全くありませんでした。
入部前の紹介イベントの日、
山岳部の教室へ行くと、
2年生ひとりの部長が居ました。
同期と合わせて、少ない人数でしたが、
部長が居なくなる頃には、
また、すこし、楽しく過ごさせて貰いました。
そして、顧問の先生から、初対面で感じたことは、
なんだか、自然の物静けさを併せ持つような、
そんな感じがしたので、
直感的に、馴染める気がしたことです。
部活動自体は、実際は、想像以上でしたが・・・。
揃える道具も、最初、少しかかっても、
3年間ずっと使えるモノという事でしたし、
その道具は、今でも、有ります。
3年間ほとんど痛まなかった登山靴は、
残念ながら、社会人になってから、履かないことで、
保管場所が悪いゆえに、痛んで、ダメになってしまった。
残ったものは、
GoaTex生地の、ブーツに着ける、スパッツというものでした。
あまり使用しなくても、大切に、保管してきたから、
25年以上経っても、今でも、冬のシーズン使えています。

”道具を大切にする”
という、
社会で働くときに、改めて教わったことは、
高校で、すでに、理解していたと思います。
さて、部活動の内容は、
月に、1度くらいのペースで、
山に行くことが、ありました。
テントを幕営して、
前泊するから、土日になるのです。
その後、月曜日の登校は、
散々な気持ちも有りましたが、
屋上で、ぬれたテントなどを、乾かしたり、
道具の手入れをします。
そんな風に、
学校に来ているのは、
”生きて帰ってきたからこそ”
という、意味が一番大きいものです。
それに比べれば、
学校に行っても、
命の危険に遭うことは、ありませんし、
むしろ、授業が、眠くなるくらいです。
私は、足腰を鍛えることが、
唯一、自分の命を支えるものとして
認識していました。
雨天など、自転車の通学では無いときは、
重たい教科書などの入った、
黒いカバンを、背負っていましたから、
50分歩いて帰宅することを選択して、
自主トレを、していました。
雪の有る山も、通例のごとく
3月の春休みでも、行くこともありました。
この自主トレが、
一番ピークになったのは、
2月の真冬でした。
雪の上を歩いて、
家まで、50分のペースは崩さないで、
風雪に煽られたりしながら、
2月28日までの登校にて、14日以上続けました。
しかし、
帰宅してからの勉強中に、
学習机の上で、
うつ伏せに寝ることもあり、
その日の授業の理解に、苦しみました。
時には、
古典の授業は、
眠くなり易くなって、
一番後ろの席に居たから、
うつら・うつらとしてしまい、
少し眠ってしまったとき、
”○○、おまへ、死ね”
※昔は、「おまへ」とは、他人を尊敬して使う言葉としていた。
と、教師から、冗談じゃないように、
授業中に云われたことも、有りました。
睡魔の生理反応は、
この悪口を、
何とも感じないほど、
かき消す程に、強いものでした。

そんなひどいことを、言われても、
山に行けば、命がかかっている。
だから、
教室で、”死ぬ”ことは無い。
命は、一番大事でしょうと、
今なら、言い返せそうですね。
しかしながら、
死ね、などと言った、
その古典の先生は、
部活の顧問の先生の担当科目と、同じでしたから、
わたしが、山岳部であることを知っていたと思います。
と、するならば、
いったい、どんな教授的な思考を、私に与えたと思いますか?
それはさて置き、
入部してから、すぐ2か月後、
日本百名山の雨飾山に行きました。
観光客は、長野県の小谷村というところから、
1~2時間、歩けば山頂付近へ行けますが、
当時の私たちは、
別のルートで、6時間の登りと、下りの3~4時間でした。
そこは、
糸魚川市根知という谷があり、
それより、最深部の梶山という、
家が見当たらないような場所があります。

昔は、途中から、砂利道でしたが、
今は、舗装されているようですね。
一方の祖父は、戦時中から、
その梶山の地域出身で、
海辺まで20km以上を、
歩いて、往路していたそうです。
この遺伝的なことは、いつか別の記事で記します。
ここに、1件だけ、
現在、雨飾温泉があります。
登山口があって、
外で、テントを張り、
前泊してから、
AM5:00に出発するのです。
初めて、15Kg前後のザックを担ぐので、
下り1~2時間くらいすると、
バテながら、
足を運ぶだけの感覚を、
頼りにして、歩きます。
とにかく、歩くのを止めたら、
日が暮れるのが早いし、
遭難することになるし、
限界まで挑むことになります。
競争よりも、
自分自身の、精神力の限界と闘います。
5月なので、
雨飾山、梶山ルートは、
標高の高いところに、残雪があり、
雪渓を登ります。
初めての重量物を、担いでるし、
もしも、雪の急斜面にて、
勢いが止まらないまま、滑落すれば、
その先は急斜面なので、
多少の低い草木がありますが、
遭難して命に及ぶでしょう。
※じゃりっとした雪なので、
手袋をしなかったりして、
滑落すると、露出した腕など、
擦り傷になり、
かなり、ひどい状態になります。
これ以外にも、
多くの危険な箇所があります。
それらの、不安を補うように、
自主トレをしないと、
”自分の命は自分で守れない”
という、認識になっていました。
社会人で、
危険が有る職場に行くと、
良く言われる話です。
社会に適合するための事を、
すでに、会得していることになりますよね。
学校では、命は落とさなくても、
部活動では、命を失う危険がある。
そんな、山岳部の活動を通して、
厳しい自然界との向き合い方。
人の生命への、慈しみがあり、
人の命に対する愛は、
やがて、
私が、2、3学年を共にした、
同級生の女子生徒との、
無言の関係が、謎めくことになりました。
理系に分かれた初年度に、
物理の先生が、
実は、もう一人の顧問で、
”○○、これ分かるか~?”
と、慣れたように、聞いてきました。
この先生も、1年の頃から山行を共にした仲だから、
とても、フレンドリー(笑い)にしてくれていました。
私の席の、
後ろ側に居た、ひとりの女子生徒は、
私と、物理の先生が、
解答について、どうした何だなどと、
やり取りをしていると、
思わず、笑いをコラえたりするように、
ツボって居ました。
周囲も、
なぜ、彼女だけが笑っているのかは、
どうして?
という感じでした。
そのクスクスしていた、女子生徒は、
物理の先生と、良く話していて、
まるで、知り合いの様でした。
私は、その彼女から、
少し馬鹿にされている、
嫌な感じもあったから、
気が引いて、
直接関わって話すことはしませんでした。
私が、自主トレで、
歩いて下校する途中で、
ある夕方、学校から県道へ出てから、
海へ向かって、右側を通っていると、
目の前、20mくらい先に、
その彼女が、歩いている姿を見ました。
わたしは、
”(あ。ちょっと距離空けよっと)”
と思って、パーソナリティを作り、
少し歩くペースを、落としました。

すると、
何か察したのか、
後ろを、一瞬、振り向いてきたので、
私は
”(え。あ。っとと。)”
と、内心、動揺したことを覚えています。
その時、彼女の顔が、
赤面状態だったので、
さらに私は、
”(あ。う。)”
という感じになって、
意識する感情を察して、
しまったのです。
あるとき、
社会科目の授業で、
机をどかして、
イスを円状につなげて、
ディスカッションをする日に、
隣になぜか、彼女が居るという
シチュエーションになりました。
私は、
”(う。え。あ。)”
という心境になって、
心臓が、ドクドク止まらなくなって、
顔が、熱くて、汗ばんできたことがありました。
隣を見ると、
彼女も、顔が赤くなって、
ソワソワしているように見えていました。
こんな、青春の心だけの
カワイイふれあいが、
とてもスイートで、
でも、
会話も出来なかったのに、
温かい記憶で、一生忘れない。
わたしは、
ラジオでも良く流れていた、
松任谷由実さんの歌を、
アーティスティックな感性で、
この彼女との心の触れ合いを、
重ね合わせるように、聴いたりしました。
このように、
私は、彼女の感情を知ってしまっていたし、
2学年当初から、
そんな気になる存在であった人が、
クラスに居て、
とても、安心感はありました。
大人しい私は、
教室では、ずっと、座っていることが、
自分でも変だと思うけれど、
そうしていることしか、出来ない時間だったから、
クラスの人からの印象は、
何を考えているのか分からない
遠い距離間のある存在だった。
関係性に、バランスをとろうとする姿勢が、
周囲からの評価を、優先にして、
”わたしは、別に、たいした人間ではない。”
と、そんな風に、
彼女に対して、心の距離を置いていました。
だから、一度も、話をしていません。
だけど
彼女だけの意識が
こちらに向いてくれている。
清らかな雫が光るように。
それだけで、十分でした。
とても、謎めいている関係とは、
このような、関係性だったからです。
彼女は良く、
山岳部顧問でもある、物理の先生に、
放課後に、授業の質問に行っていたから、
教務室の前で、よく見かけていました。
この先生は、廊下に響くほど、
大きい声で、解説する方でしたから、
気が付くことが多かったのです。
また、それだけに、
山に行ってきたことも、
彼女は、その先生から、
聞いていたはずです。
例えば、
新潟県柏崎方面にある、
米山の積雪1mくらいある時期、
12月下旬に、
山頂の山小屋で、1泊して、下山した話も、
聞いていたと思います。

そんな顧問から聞いた彼女は、
昼食の時間、友達との会食中も
私の席の近くに、何故か居たので、
いつも聞き耳立ててしまうのですが、
「雪山に、行ったんだって~。」
「私には、そんなことできないよ~。」
こんな会話が、聴こえてきたことも、覚えています。
学校生活は、苦しかったものの、
こんな風に、2学年の時は、
私が、周囲との関わろうとしない態度は、
個性的に仕方ないまま、
淋しいという一面もあった。
けれど、
山岳部の活動の方は、楽しいことがあり、
唯一の、登校の理由にもなっていた。
そして、
こんな、彼女のような
見てくれるだけでも、
温かい存在が、居てくれたから、
唯一の、苦しい学校生活を
乗り越える力にもなっていました。
一方の祖母から教わった
「協働関係の仲での幸せ」
は、同じように、
苦しい学校生活の中でも、
彼女との、
心だけの触れ合いによって、
エンゲージメントを得ていたと思う。
ときに、
社会科の先生からは、
「○○、生きてるか?」
と、からかって頂き、
クラスメイトへの、
お笑の的にしてくることもあった。
その先生も
「社会に出れば、人も変われる。」
と、授業で言っていましたから、
あれから、
わたしは、個性を伸ばしてきたでしょうか?
3学年になると、
山岳部の活動も、最終盤に入り、
6月には、谷川岳というところが、
県大会のロケーションとなりました。
とても、
天候が、霧状に雨模様になっていて、
視界も悪く、
歩く距離も、30km超えていて、
3年間で、最も、疲労が高いものでした。
ここ谷川岳は、遭難者が多く、死者も多い山岳地です。
足もとから、首、脳まで、
すべてが、
疲労感と、鈍痛となって、
意識が朦朧としそうなくらいになっていました。
やっと、テント内で、就寝になっても、
あまりの疲労感で、
よく眠れなかったことを覚えています。
しかし、県大会の7位入賞の成績で、
終わることができました。

※掲載画像は、当時、順位未記載のままコピーして頂いた、
レプリカ版に、7位をあと書きしています。
顧問の先生も、生徒の未成年の親に代わって、
3年間、山で、わたしの命を預かっているので、
ストレスや、緊張感や、不安もあったことでしょう。
しかし、
わたしは、先生に心配を掛けない様に、
意を決していったのは、
1年生の夏合宿のことでした。
蓮華温泉
~(北アルプス)白馬岳
~唐松岳
~八方尾根へと続く、ルート。

3泊4日の山行で、
先生が、テント内で
”○○、大丈夫かなぁ”
”ザックを大事に歩いてもらえればなぁ”
など、結構、心配していたのを、
眠りに入れない時に、
目を閉じて、聴いていたからです。
だから、
自主トレのお陰で、
顧問の先生が
ある時、教務室に、呼んで、話をしたときに、
わたしに対して、
「○○は、ひとりで生きていける。」
と、おっしゃって下さりました。
これは、
自主トレまでして、鍛えている、
私の行いの意味を、理解してくれていて、
先生自身の、生徒の命を預かる不安やプレッシャーを、
ある程度、拭って、軽くしてくれたこと。
山屋としての、対等の立場まで、
登山の技術を、身に着けたこと。
伝えてくれた言葉は、悪い意味ではなく、
「人としての関係性を、バランスを良く、もっていこうとする姿勢」
を、評価して頂いたと思います。
そう思う、裏付けとなったのは、
20歳代の社会人になって、
ある時、再び、先生の元へ訪ねたとき、
「一緒に、山に行くっか?」
と、言ってくれたことがありますが、
断ったものの、
卒業しても、先生は、
山登りとしての対等の立場で、
意識してくれていたのです。
これも、一生忘れません。
さて、高校3学年でも
あの彼女は、同じクラスに居ましたが、
大学受験等などで、
それぞれ、進学・就職へと、忙しくなって
あっという間に、時は経ちました。
意識していた、彼女へ、お礼の言葉すら掛けられず。
悔いを残して、卒業していたので、
思い出の、恋心は、貝を半分にして、海に投げ入れ、
大切な思い出に残す、その半分は、私の心に残していた。
それから、19年の歳月が経って、
スーパーの品出しをしている時に、
お目通りするようになってから、
彼女に纏わりつく、噂が、
とても、
私にとっても、
彼女の心にとっても、
センシティブな噂に広がって、
嫌らしめていました。
どこにでも、私の姿をみると、
その噂をされて、郊外の地方へも、
かなり、拡散されている様でした。
だから、この記事を見た人は、
こんな、
心だけの触れ合った関係性だった…。
と、理解してもらえると、
私も、
彼女自身も、
救われると思います。
どうか、お願いします。
そして、
もう、静かにしていてもらいたい。
それは、
青春の歌の物語なのだから。
5年くらい経っても、
引き続き、私のプライベートまで、
噂で引き付けるような人が多くて、困っています。
また、
これが、素因となって、
私が、物陰から、
「てめぇ、○○○(彼女の名前)さんと、結婚するんじゃ、なかったぁんかよぉ~!!」
と、勝手に彼女の名前まで引用されて、罵倒されたり。
決定的に、この地域で、精神衛生上に悪い出来事として、現実化してしまいました。
わたしにとっては、
大切な思い出の片割れを、破壊されるように、
攻撃的、かつ、センシティブな噂として、
周囲から、与えられている感覚です。
そして、心許せない。

私は、アーティスト活動を開始して、
人権的な啓発をするのは、
実際に、揺るがされた人権について、
正しさを、示していく事です。
このような、エピーソードが、背景として、
誤解や、御幣を、振り撒く、他人の噂を、
意図的に、意地悪く広げて言うことは、
ある中毒者のように、快感を覚えて、
むしろ、
それ以外にしか、楽しみが無いひとの様です。
そんな人たちに、対して、真っ向から、
人権啓発に代える、アーティスト活動となります。
まるで、
いつもの日常が、
非日常にならないと、面白くない。
そんな人の様に。
それほどに、
日常の繰返しに、従って、
ただ、
お金や、良い生活を求めるだけ。
そんな、日々に捉われて、
そんな、つまらない生活に、
いつの日か、
他人の噂を集めて、言い広げることに
快感と新しい刺激を求めては、
噂づけた他人のプライバシーや、
噂の他人とのパーソナリティを破壊しては、
喜んでいるかの様です。
良い加減というものに、変えてはどうだろうか。
そんな、
マンネリ化した生活に、
つまらないのなら。
それ以外の
何かを外側へ求めるのであれば、
何か、楽しさを、
内側から見つけだして。
譬え、人と同じことでも、
10人なら10種類の違う表現を、
発掘して、楽しみを広げ。
または、
他人や、社会のためになる、
新しい、発見をしたり。
そうなれば、
誰もが、
パーソナリティを破壊され、
乱暴な侵入を繰り返すことも無くなり、
自尊心をゆるがして、陥れることも無くなる。
そんな、平和的な認識のために、
アーティストの感覚で、探っていきます。
前職で、清掃業をしていた時、
公衆トイレの匂いが、
無くなるシステムを起草していったことがあります。
これは、清掃への負担、利用者への負担、洗浄薬剤の負担を減らしたいからでした。
これを、自主研究課題として、業務傍らに、考えていた事があります。
そのように、
人々の為になる、循環システムの発想すら、思いつくものです。

私は、
わたし自身の情報を、
ここに、プロフィールとして、明かすことに、
アーティスト活動としています。
また、
人から聞いた話の中から、
まるで、ニュースや、意地の悪い記事として、誇張する見出しのように、
「〇〇なんだって~」
という風に、
誤解と、御幣を引っかけて、
嫌味を誘い出し、
パーソナリティを侵害してくる噂。
そんなことを言う、多勢に無勢には、
黒人差別を生んだ、ホロコースト現象のようであり、
いったい、だれに、反論すれば良いのでしょうか?
※黒人差別の問題については、キング博士(牧師)や、ローザ・パークス女史などの人権の運動家によって、解決へと向かいました。
私が綴る記事を通して、
似たような、精神風土を濁す地域に対しても、
平和的な世界に変わることを、願っています。
ご覧いただきありがとうございます。
Swishmar.Shell の Spotifyアーティストプロフィールに、
[ Feeling Souls ] として、共感した楽曲のプレイリストで、集めています。
今回は、次のアーティストの曲を、紹介して、終わります。
Spotify
2025年10月29日 出典:VAA
追記:尚、最近の山々は、とても気象状況も激しく、
数十年前より、ガケ崩れが多い、雪崩も多い、
とても、昔の感覚では、入山はしにくいものと、
ご認識されたほうが、私は、良いと思っています。
北アルプスでも、
2025年、遭難事故が多く発生しております。
私は、麓の探索くらいですが、必ず、
山に対して、会釈します。
心から山の守り神への存在に、感謝しています。
その自然への向き合う、心の在り方が、
草木が、風に揺れることで、
何かを、自然が、人に教えてくれています。
そんな風に、
気象の変化を感じ取りやすくなって、
すぐ、引き返して戻ることで、
危険を、回避することが、多くあります。
装備があるから、大丈夫だとか、
確かに、準備は大切である。
しかし、
遭難は、無くならない。
もう一度、
自然と、人間との向き合い方に
神秘的な、尊敬の心を学ぶべきだと思う。
(某高校山岳部OB25周年を記念して。)