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Sシャルのブログ

st2workerのブログから、インデペンデント・デビュー後、Swishmar.Shellのアーティストとして、Sシャルとして、引き続き、音づくりの記録をしています。 メンタルヘルスの検定へも向学しており、音楽療法の探求も、軽やかに、行なっております。

こんにちは。

Sシャルです。

 

以前の記事で示した通り、

再就職への、自己PRは、

祖母から、子供の頃から教わって

自然と身に付いていた、

協働関係であったことでした

 

仕事で、その協働関係が、

成果よりも大切にする姿勢は、

無意識の感覚でもあった。

 

前職の清掃業では、

21歳のサッシの仕事で、

6か月正規社員にして頂いたこと。

それ以来の、

17年ぶりの正社員だったのですが、

その張り合いのある、

責任感と、清掃の果たす使命に、

コミットしていたと思います。

 

入社して間もなく、

8年経験の年の近い、先輩パート女性の人が、

終業時刻を過ぎても、

倉庫などで、何かしていて、

もちろん元上司は、定時で帰っていました。

すると、

ツンとしていて、ムカムカしながら、

片付けをしているので、

たぶん、男性からすると、人によるかもしれないけど、

少し近寄りがたい雰囲気に、気を使うものでしょう?

 

しかし、

他の同期の男性社員も、

それに、まったく関わろうとせず、

先に、帰っていきました。

時計

わたしは、協働の意識が、自然なので、

「なにか、他にすることありますか?」

と、声をかけながら、応援していきました。

 

「じゃぁ、これやって。」

と言ってきたので、

 私は、

(やっぱり、まだすることあったんだ~)

 と思いながら、

そんな機会を、多く作っていきました。

 

すると、ある日から、

なんで、ツンとして、ムカムカしているのかを、

少しづつ、理由を言ってくれるようになりました。目

 

たしかに、その理由は、気になっていたから、

ダイレクトに、”どうしてですか?”

と聞くのも人によるかもしれませんが、

わたしは、そういうことよりも、

実際に、行動で示してあげることを選択しました。

だから、

”しっかり、協働関係が、出来ていた現れであった。”

と思いました。

 

この理由は、上司の日中の仕事進め方と、

その指示のことやら、

陰で、嫌味を誰にしてもするので、

その総合的な、1日ごとの感想が、

彼女にとって、納得のいかない毎日であること。

それが、ムカムカする表面的なものに過ぎなかったこと。

 

わたしが、

それを理解してくれる人としての存在になって、

仕事上の信頼関係が、構築し始めたのでした。

 

彼女は、

そのことが、返報性として、

わたしの正社員という立場とは無関係なほどに、

人間関係としての配慮をしてくれたのです。

 

具体的に、

彼女は、

その上司との会話の仕方を、工夫してくれて、

わたしに、嫌味の攻撃が行かない様に、

ブロックしてくれていたのでした。

 

でも、それは、彼女自身もかなり、

本当は、無理をする行為であることも、

私は、分かっていた。

 

 

実は、

その上司に変わる前からも、

もっと前の上司のときも、

女性を差別する暴言があって、

一旦は、

営業所から離れて、

別の現場で仕事をしていたのですが、

再び、戻ってきたこと。

 

また、

本当に、営業所の清掃は、

良いものではなかったこと。

そんな、

すっきりしない、物事を多く抱えていたのです。

 

少ない人数だったので、

清掃の技術的に、知識が高かった彼女から、

ほとんどの事を、教えて頂きました。

 

その後、次第に、

仲の良い関係に、なったのは、

わたしの協働関係の構築が、

とても、強い作用をしていたからです。

 

必要な清掃道具を、

仕事帰りに、一緒に、100均一で見て回ったり、

ホームセンターに、一緒に見に行ったりしました。

ラブラブ

そんな、自然なつながりが、

プライベートでも、一緒に歩くことが、

普通になっていったのでした。

時計

いつもの、仕事の関係上、

所々で、会話は、仕事での嫌なことを語ることも多かった。

 

でも、職場の問題が、まったく平行線で、変わることの無い、

永遠と続く、歎きでしかなかった。

 

それでも、

話を聞いてくれて、ありがとう。

という気持ちが、とても良かったらしくて、

その表情も、職場でのイラつくものより、

とても、素敵な表情に変わっていた。

恋の矢

男としても、同僚としても

それが、私の一番の宝物でした。

 

そんな彼女は、

上司の作業ハラスメントで、肩を壊してからも

退職後は、プライベートに強く作用して、

ひどい、心理的な悪影響がつづきました。

 

 

わたしは、

彼女の辛い心境を

嫌というほど知っている。

 

出先の車中でも、

泣いていたこともあった。

 

そんな心境を知っていた、

わたしは、

手作りのスコーンを焼いてあげて、

一緒に食べたりしてあげました。

でも、

不安定な時期だからといって、

誰にも会いたくない心境だからといって、

一旦、私との距離を置くように

お願いされたことがありました。

 

私は、次のようにメッセージを送りました。

「心を大事にして、ゆっくり過ごすと良いと思う。

 体のことも、長い目で、いつも良くなるよう想っています。

 新しい人生の道が開けるようにと。

 1年2年と、時間かかっても良いと思う。

 それが、私の願い。

 大丈夫です、距離を置きましょう。」

 

彼女自身の自分を責める性格を、

知っているからこそ、

このように、メッセージを送りました。

 

彼女からの、その返答には、

他にも辛い事が記されていました。

 

私は、別れもあると思って、

さらに次のように記してあげました。

 

「打ち明けてくれたんだね。

 私も楽しい雰囲気でいたいからね、つい。

 深いところの苦しみ、もっと聞きたかった。

 文章のほうが伝えられるかなぁ。

 迷惑かけたぶん、

 苦しんだぶん、

 人のために生きられるんだよ。

 自分を信じて。

 不思議と思うかなぁ。

 私も、周りの人に、迷惑かけてきた人生。

 だけどね、会うと、

 ○○さん楽しいそうだからさ。

 でも、内心苦しんでいたし。

 私は、苦しみも理解して、一緒に乗り越えたいんよ。

 迷惑なんか、無かったからね。

 安心して下さい。

 いつでも、苦しみ、話をしてください。

 しばらく永らくのお別れかいな?

 おやすみなさい。」

 

・・・それから。

 

二週間くらい経って、少し心配だから、

私は、メッセージを、次のように記しました。

 

「メール、失礼します。

 (たまに、近況は伝えようかと、思いまして。)

 心身不調は、落ち着かれましたか?

 今月は、連勤ばかりですが、体は大丈夫です。

 休みの時は、

 身の回りのことをやったり、○○さんのことを思って御記念したり。

 昨夜は、長芋のポン酢あえを料理して、簡単おいしい、おつまみでした。

 美味しいの何か食べて、良い年越しを。」

 

そうしたら、

精神的に、どん底の状態からは、

抜け出せたことを伝えてくれました。

それでも、

彼女は自分を責めることがあって、

謝る気持ちになっていた。

 

でも私は、謝ることなんかないと、思っていた。

 

その後は1年もたたない内に、

わたしの心身的な苦痛は、

職場環境からのリスクを受けて、

退職の選択をしたのですが、

彼女の心が、持たなかったのかも知れません。

 

退職後の2024年1月1日からは、

もう二度と、メッセージの返信も、

会うことも、できなくなりました。

 

無言の別れとして、

私は、宝の記憶として、

何かに昇華して、

何かの役に立つことへ

繋げたいと思い、

今回、少し、センシティブなことですが、

匿名で公開いたしました。

 

一度、距離を置いていた背景には、

突然、了承無く、

元上司は、退職後の彼女に会いに

家を訪れていて、

仕事の内容に、アドバイスを聞きに来たそうです。

それが、

彼女自身にとって、無理矢理の対応であったので、

心理的な大きな負担となって、

怒りがこみ上げたり、

数週間、放心状態が多くて、

自害的な意識が強まったことも、

辛い状態を、

一旦回復したあと、

告げてくれました。

 

ラブラブ

 

祖母から教わった、

私の自然な協働関係の行動が、

職場環境においての信頼関係のみならず、

同僚の心をサポートして、いった事実。

 

令和の時代でも、

”辛いのは皆おなじ”と、

意識を、ひとくくりして、

会社の成果とは、関係ないとする判断は、

どう考えますでしょうか?

 

成果を、

より意味のあるチーム作りとしての、

実例のヒントとして、

ご活用いただければと思います。

わたしは、

ここに、記事に載せた内容は、

彼女自身の許可をもらっていないのですが、

後に、

生きているかもしれないと願う

彼女に、もしも会えたとしたら…

匿名かつ、それほど、内容を出来るだけ伏せていたこと。

客観的事実を、示したかったこと。

怒られても、いくらでも、謝るつもりです。

 

そう、もしも、生きてくれているのなら――。

 

信頼関係から生んだ

恋愛のようで

そうでもないような

とても、清潔感に溢れた、

永遠の別れのお話でした。

ご覧いただき、ありがとうございました。

2023/1私ですよ。

一緒に写りたがらないことも愛らしかった。

ありがとう。

 

こんにちは。

Sシャルです。

 

 サッシの仕事をしたいと思う人がいたら、

 参考にしてくださいね。

 

 私は、音楽の専門学校を断念して、帰省し。

 20歳なりたて、ホヤホヤのときに、

 アルバイトで、叔父さんの仕事に入っていきました。

 

 私は、叔父さんとの接点は、子供の頃から、

 だいたい、お盆とか年末年始とか、行事的なことでは、

 たまに、会っていて、遠いまなざしで、

 親しくしてくれていました。

 

 そんな、叔父さんとサッシの仕事をしていったのですが、

 まず、驚きます。

 

 職人~って感じだったことです。

 早いし、正確。

 

 それだけではなく、

 考えるスピードというか、起点というか、

 構造を再構築するような、クリエイティブな思考が、

 何度やっても、自在に展開して、上手だったのです。

 

 小さい会社で、社長と、叔父さんと、アルバイトの私と3人くらいでした。

 でも、応援でも、中年の人も、きて、最大でも4人でした。

 

 わたしが、アルバイトで、

 現場での、することは、アシスタントで、

 道具をもってきたり、物を押さえたり、

 そのうち、網戸の張替えを覚えました。

 

 これは、一通り、張り替えれるのですが、

 製品に成るかどうかの違い。

 

 網戸枠の、すべて四方の内側が、

 小さな網目の直線と、まっすぐ沿っていなければ、

 商品としての値が、付かない。

 

 失敗作は、

 網が、シワになって、盛り上がっていたり、

 網目が枠に沿って、斜めにズレる。

 

 押さえゴムひもが、入り込む溝の中に、

 網目が、めり込んでいって、

 網目が、うねっていると、売れない。

 

 つまり、やり直し。

 

 とても、厳しい。

 サッシ職人としての技術は、

 10年・20年の世界と教わりました。

 

 アルバイトなので、多少ずれても、

 多めに見てくれましたが、

 それを、建築現場に、

 社有車の軽トラックで、

 配達することもしました。

 

 馬というような、△の台が載せてあって、

 そこに立て掛けて、ゴムパッキンで、

 取りまわして押さえて固定します。

 

 軽トラが、マニュアルだったのですが、

 免許を取りたてでしたが、

 細い道と、急な坂道を下って、

 街中へ届けました。

 私は、まだ、通勤用の車が無かったので、

 社長が、この社有車の軽トラックを、

 通勤用に、貸し出してくれました。

 

 朝から、作業現場へ直行することもあったので、

 そのほうが、有効的だったからだと思います。

 

 ほんとうに、仕事は、インフラが有った時期で、

 建設現場での、広いサッシ枠の取付は多かったのですが、

 それも、1年過ぎると、冷え込みました。

 よって、事業も閉鎖となり、

 数か月、正社員になっていましたが、退職となったのです。

 

 応援に来ていたほうの親方は、

 私のことを、可愛がるように、

 使う道具を買いに、一緒に見て回ってくれたり。

 私の、大きなミスも、超叱って、

 ヘルメットの上から、ハンマーで叩きました。

 でも、変なこんなだの、

 私のあだ名は、”くん太~”と言われていました。

 

 今後、ライブ配信などで、活動する場面があったとしたら、

 ”Sシャル”と呼ばれてもイイし、

 この、”くん太~”というおかしな

 ペット仕様で、呼ばれても、

 良いかもしれないですね。

 由来は、ここからからあるということで…。

 

 仕事の内容には、2年くらいでしたが、

 色んなことをしました。

 

 コンクリの建設現場では、

 図面が合って、

 そこに、AWー1とか、SDー1とか、

 指定のサッシ枠を持っていく。

・AWは、アルミ・ウィンドウ。

・SDは、スチール・ドア。

 

 その製品が、まだ現場に到着していない場合は、

 振動ドリルと、脚立を手に持って移動しながら、

 次々と、コンクリート開口部に、釘が飛び出ていたりする目印に、ドリルを当てて、斫(はつ)ると、埋っている溶接用アンカーが出現します。

 

 飛び出ている、釘が長い場合は、邪魔なので、番線カッターで、釘を切り落としたり、ハンマーで叩いて倒します。

 

 また、下の部分だけには、そのドリルで、等間隔に、穴をあけて、アンカーをハンマーで、叩き入れます。

 そして、

 サッシの枠に、溶接用の金属性のアンカーを付ける。

 

 サッシ枠を、開口部に、番線で吊るして、その下に、次の工程の、建て込み用の木の板を、下に置いていく。

 

 それを、している内に、

 叔父さんたちが、

 ”建て込み” というサッシ枠を、

 建設の図面通りに、1ミリも誤差無く設置していきます。

 平木の楔(くさび)状の板を、互いに組み合わせて、

 高さ・左右・前後を、L字の差し金で合わせる。

 同時に、垂直を下げ吊りで合わせる・平行を水平器で合わていく作業です。

 後に、私も、少し、建て込みをしました。

 

 やがて、

 建て込みが終わっているところから、

 鉄筋棒を、やや、L字角のように曲げて、

 サッシ枠を、溶接をしているので、

 私は、その鉄筋棒を、曲げるサポートに回ります。

 

 溶接が終わって、少し熱が冷まれてきたら、

 私は、建て込み用の、楔状の平木などを、取り外して、

 再び、建て込みする一式へ集めます。

 

 このように、連続して、連係プレーが、3人で回り、

 1F、2Fと、順番に仕上がっていきます。

 

 順番に、左官屋さんが、追ってきて、

 その次は、次第に内装の仕上げに、電気屋さんや、大工さんというように順になっているので、

 早くしないと、いけません。

 私のアルバイトの、この色々な動きを、

 周囲の様子を見かねては、

 すごく、動き回るし、

 その一つ一つの作業を、

 何が何でも、早くしなければならないので、

 最初は、心臓バクバクして、手元が焦って遅くなったり、

 「まだかー!」とか、呼ばれてくるし、もっと気が焦るし、

 とにかく、クソ~という感じで、必死に、なります。

 

 でも、そのうち、

 どうすれば、早くできるかを、考えながら動くので、

 私の、アーティスト性が発動し、

 閃光が放つように、オリジナルのやり方が誕生していきました。

 道具の使い方や、ビスの持ち方に、スピードが付いていきました。

 

 出来なくて悔しいことが、技術の向上に変わる瞬間を体験しました。

 

 それが、ひと段落していったら、 

 外側の、窓枠の雨水などの流れる部分。

 いわゆる、水切りの製品を、手に持って、

 外周の足場の方へ上って取り付けます。

 これにも、アンカーを付けて、

 コンクリ面に、ドリルで穴をあけて、同じ数のアンカーを叩き入れます。

 その水切りを、外側から、インパクト電動ドライバーを使って、ビスで止めていきます。

 

 水切りが、コンクリートが当たっているときは、

 鏨(たがね)を、ハンマーで叩いて、コンクリを、少し斫って、図面通りの自然な位置で、止められるようにします。

 

 溶接したところは、鉄なので、そこには、後で、左官屋さんが、モルタルを詰めていくのですが、

 モルタルは、空気が含まれているので、錆びてしまいますから、さび止めスプレーを掛けていきます。

 

 しばらく時期が過ぎて、内装が出来るころには、ガラス入りの窓が、入っているので、”建付け”という、戸がサッシの枠にピッタリすき間が無く閉じるように、調整します。かつ、鍵がスムーズに掛かるように調整します。

 

 ここまできて、やり直しもありますが、モルタルが入っているので、それを斫って、鉄筋を溶接しなおしたりして、ズレを調整します。

 溶接した鉄筋棒は、冷まれれば、縮むから、図面通りに建て込んでも、ズレて来ることがあるからです。

 

 大きなエントランスの、自動ドアのサッシ枠の類は、それぞれの枠の、隣り合わせの連結部分が必要で、方立(ほうだて)というものを、インパクト(略)で、ビス止めして、固定します。溶接が終わったら、方立カバーを、軽くたたきながら、はめ込みます。

 

 SD-1など、スチールドア枠に、重たいスチールドア本体を、持ち上げて、丁番(ちょうばん)というところへ差し込んで、ドアクローザー(自動で閉じるもの)と、ドアストッパー(土上げ開きすぎないようにする部員)を床にアンカーを打って、ネジ式で止める。

 

 アパートのようなところは、背中にスチールドアを担いで、玄関先までもっていって、2人で、同じように、ドアを取り付けます。

 

 このように、コンクリート建築の現場では、すごく大変でした。

 

 アルバイトの動きのほうが、すごく、運動量が多くて、なんだか、親方って運動的には、それほど無いから、ずるいよ~って感じでした。

 

 休憩室では、お茶を入れる係りになったり。

 自動販売機で、缶コーヒーや、お茶を買ってくるパシリをしたり。

 

 下積みという世界を識りつつ、頑張っていました。

 

 他にも、学校の教室の耐震構造部の鉄骨に、スチールカバーを取り付ける作業だったり、住宅や施設の増設に、サッシ類の施工をしたり、自動ドアの取付や調整などをしました。

 

 2年くらいの短い間でしたが、経験として濃厚な期間でした。

 

 これらの、建設現場での下請けは、大変なのですが、道具の使い方が良くなるので、頑張るだけ、技量が上がりますよ。

 

 もしも、この世界で、頑張りたいのなら、最後に、アドバイスを2つ、

 

・すべての道具を、大事にすること。

・技術は、見て盗むように、覚えて、自分のものにすること。

 

 それでは、ご安全に。

 以上。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

 

こんにちは。

 

 インデペンデント・アーティスト、(愛称)Sシャルです。

 

 私は、人生途中から始めた感じの存在になるのですが、

 

 25年間の活動を目標としています。

 

 この目標を持っているから、

 今期は、1年目ですが、

 来年までは、私の、プロフィールから、

 いろんな側面を出してきています。

 2年目からは、

 作りたいものを、形にそれぞれ、

 表現していきたいと思っています。

 

 そして、

 これからの、若手のエネルギー溢れる活動者への、

 手本として、

 

「 自分を、自分で裏切らない心 」

 

 を、示していきたいと思っています。

 

音譜最後まで、この心があれば、

 何かと、いろんな事が有っても、

 引退するときには、きちんと

 清潔感のある、終わり方もできるのでは?

 

音譜抱えている、自分の不利な面を、

 嫌うのではなく、

 それに、

 責任を自分で持っていこうとする。

 

 きっと、

 このことが、自分を裏切らない心になる。

  と、ふと思ったことも、裏付けています。

 曲を作って、したいことをするけれど、

 反対に、自分の心を、

 不利な面が有るからと言って、

 それを、裏切る心があって、

 それを、秘めていること。

 

 いつか、自分をダメにするし、

 応援してくださる方が、居たら、

 理解してくれるだろうけど、

 自分から、裏切ることになると思うからです。

 

汗これでは、良くない感があります。

 Youtubeなど、文化芸能活動ということは、

 どんなことなのだろうかと、

 他のいろんな活動する人をみていると、

 

 若さのエネルギーだと思います。

 

 どんどん、いろんな文化を作ってもらい、

 楽しませる心を、広げていって、

 人の生きる心を支えていく世界だと思います。

 そんな、大切な世界であるから、

 もしも、

 プロデュースする側の立場であったとしたら、

 

 その世界の清潔感のために、

「自分を裏切らない心」に対しても、

 評価を置いて、

 心理ベクトルを、きちんと整えてから、

 受け止めていく方針を執っていくと思います。

 

 自身のアーティスト活動についても、

 いろんな人を、手本として、

 佇んでいけたらと思っています。

 

ご覧いただきありがとうございます。