こんにちは。
現在、再就職の期間であるのですが、
インデペンデント・アーティスト、
Swishmar.Shell として音楽活動をしています。
インデペンデント・レーベル名:Unisync Records
夢は、スタジオを、田舎に建てて、プロデュース活動とか、音楽収録場所の提供などですね。
それ以前に、
就職のほうは・・・ということなのですが。
すでに、
「この活動が、全て。」
という、手っ取り早い、解答になります。
私は、仕事をするということには、異性との生活があることが重要であると考えています。
なぜならば、相手の命の尊厳を、平等に敬えることが、最も、心の宝であるからです。
つまり、世間体からの評判でもなく、財力でもない。
そこに、幸せがあるということを、知っているからです。
私が、今現在の、独身生活で、求めているものは、仕事でもあり、結婚でもある理想は、この価値観の共有による、心の宝を求めています。
いわゆる、アーティスト性の幸福というものでしょうか。
それは、命の尊さを敬う上で、愛することであるので、
人の為に働くという献身性と、
仕事に、奉仕するという意味を与えるからです。
エンゲージメントの心理に似ていますが、
この言葉を成しているような、仕事に対する単体だけではなく、
相手を包み込むように好きという事であることに対しても、
エンゲージメントがあるというものです。
少し、調べると、
・ワーク・ライフ・エンリッチメント
(仕事と生活の相互充実)
・関係性エンゲージメント
これらに、近い意味に該当することが分かりました。
なぜ、私がそう思うのかという理由は、
一方の祖父母の姿にあります。
戦後の日本の時代、終戦から15年が経った、昭和35年(1960年)になっても、誰でも、貧しい生活であった。
その頃は、協力的な、必死に生計を立てる夫婦関係がありました。
大正生まれ前後の、その一方の祖父母は、そんな夫婦でした。
ですから、その一方側の親は、とても、協力的な行動を取ります。
私は子供の頃から、なにかあれば、手伝うことも多かった。
その中でも、
祖母からのお願いで、おつかいの買い物をしてあげたりすると、
その買って来てあげた、材料を使って、
祖母は、食事の用意を一緒にして、
調理の仕方を、大まかに、教わったり、
炒飯の炒めたり、カレーや、豚汁を作るために、
台所に一緒に立って、何でも、実際にやって、覚えさせてくれました。
(もはや、男でも関係ありませんでした。)
このような、祖母からの教わりは、
いまでも、何も違和感なく、自炊する力となり、
協力して、生活する基本的な感覚を、教わっていたことに、気が付きます。
中学生の頃は、
家に、兄妹も居たので、両親が、仕事で居ない時は、
ご飯を炊いたり、
祖母から教わったようなメニューを、さらりと、妹と協力して作っては、
片付けの洗いものも、みんなの分を、進んで行っていました。
一方、中学校や、高校になっても、
調理実習では、自然と、食器を洗う手つきが、早くて、手馴れているので、
”早い…”と、女子生徒からの、視点が、妙に集まっていたような、気がします。
さて、
戦後よりも、
現代は、経済的に生活の質が良くなっている、令和の時代。
やりたいことを、やるという漸進的なことも、
少し、わがままに見えてしまうほど、
協力的な事を、嫌うような態度や心が、
平成の若い世代から、増長してきた様に思います。
その背景に、人を陰で、馬鹿にするようなことや、
陥れる言葉なども増えた気がします。
無差別に、人の生命尊厳を陥れることも、多かったと思います。
今は、協力的な生活というのは、少ない気もしますが、
祖母から見習った、あの精神衛生上の清潔な、夫婦関係の生活を、
わたしは、望んでいるのかもしれませんね。
私の考えを、少し、調べていくと、
・協力と、尊厳
・仕事と愛情
・転職
ということが、
私の自己PR のテーマになりました。
子供の頃から、祖母との食事を、一緒に作ることをして、
協力的な生活をすることを、体得してきました。
相手を尊重しながら、支え合う姿勢が自然とできていると思います。
この経験は、仕事観の基礎となって、成果というものは、
協力する仲間との尊厳を大切にすることで、より大きな意味を持つものであると思います。
こうした行動を通して、より成果を高める姿勢があります。
祖母から受け継いだ、価値観は、組織の力を強くするものとして、貢献したいと思います。
と、このように、自己PRになりました。
実際に、前職の清掃業での、
片付けの場面では、
歳の近い8年経験の先輩パート女性との、協力的な場面が、
事務員さんからは、思わず、”まるで、夫婦みたい”と言わせていました。
このように、
戦後の協力的な心を、令和に展開すると、時代を補うような視点がありますね。
私のアーティスト・プロフィールが、
僅か5か月ほど、
様々な方向性で公開されながら、
結果的に、再就職への、自己PRが、完成へと導かれました。
あとがき。
祖母から教わってきた、昔ながらの、仕事も、周りを見て、他人の仕事も、積極的に応援するという、自然さは、もう令和では、見られないのでしょうか。
あの、一方の祖父母は、戦後、菓子屋の商売を始めて、睡眠時間も4時間で、朝早くから、仕込みをおこなって、私の一方の親の兄弟を、育ててきたそうです。
その名残りで、商売はしていなかったのですが、
子供の頃、笹を取りに行くのを手伝ったり、
”笹餅” を作るのを手伝いました。
祖母は、熱くて柔らかい餅を、手で広げて、
私たち子供は、すでに、あんこを丸めてあるものを、そこへ落とす。
すると、祖母は、手で、丸く包み込んで、
私たち子供は、笹を二枚重ねて、広げる。
そこに、祖母は、丸めた餅を、載せてくれる。
それを、最後に、
笹を、折りたたむように餅をはさむ。
このうに、時には、
笹ではなく、きな粉の上で転がしてたり、よもぎ餅なども作ることもありました。
このような体験を、ずっと、やってくれていたのですが、
祖父母の昔の、協力的な生活を、いつも、イメージしていたものです。
自己PRが、まとまってきて、
2023年12月末日の退職後から、1年と、11カ月が経とうとしています。
先日までに、ブログの記事に記載した、前職の清掃関連の仕事では、私自身は、協力的であっても、
非・協力的な場面もあったり、言われなければ手伝わない、という、自主的な協力も、少なかったのが、残念でした。
田舎過ぎるのか、分かりませんが…。
誰も居ないところを狙って、罵られたりする、嫌味の攻撃の数々。
会社の人以外にも、
・清掃している最中に、その施設の職員からの、私の男女関係の噂による、”優柔不断なやつめ”という罵倒や、”ハハッ子供みたい”と、人権を謗る言葉を浴びせられた。
・スーパーマーケット閉店後の床清掃の時、見えない陰から、”てめぇ〇〇〇さんと、結婚するんじゃなかったんかよー!”という罵倒。
さらに、プライベートまで影響して、
・お店の店員が、私を目撃すると、無造作に ”あのひと、(最近の噂)〇〇なんだって”という、パーソナリティの破壊行為で、自尊心が、壊される。
当該会社の元職場での苦痛のみならず、私生活まで食い込む、田舎の人が、他人を観察する目つきは、とても気持ちが悪い。
清潔感のない生活社会で、精神衛生上、悪い地域。
退職後も、拭いきれない苦しみであることは、想像できると思います。
それにも関わらず、退職後の、
2024年2月17日に、嫌がらせに該当する、あたかも仕組まれた、不当な、当該会社と全く関係のない私の家族への接触により、心理的影響は、より強い苦痛を、与えられました。
その結果、転職活動における、資格取得などにおいても、苦しみを強くさせられる結果となり、学習に大きな障壁となりました。
当2月17日の事案による、苦痛の心境を抱えながら、資格取得は、出来きました。
思い起こされるものは、在職時に、退職願いをするために、私からの積極的な面談申請3回に渡り、転職活動を全面的に提示して、十分に考慮され、退職が決定したことで、2023年12月31日付で退職したという事実です。
したがって、それにも関わらず、その後も、引き続き、私の立場が、あたかも、当該会社に強く関係しているかのように、私への接触を、しつこく、試みられたのです。
この不当な接触を試みる、動きは、2024年1月10日、私が東京の荒川区にある、サンパール荒川3Fの小ホールにて開催していた、運行管理者(貨物)の基礎講習会に参加している最中に起こりました。
講義中に、マナーモードにしている、私のスマートフォンに、元上司が個別に使用している当該会社所有の携帯電話番号から、着信があったのです。
この着信は、私にとっては、すでに退職している立場であるので、当該会社の従業員、かつ、元上司による個人間による通話は、関係のないことであると認識しました。
その為、また再び講義中に、着信作動しないように、講義が休憩に入った後に、着信拒否にして、着信があっても、スマートフォンは、一切反応しないようにしました。
当該会社からの直接の電話であれば、退職後の手続きに関するものであるので、後で折り返しの通話をしていると思いますが、すでに、東京の本社から、書類1通が、送られてきていて、全て、完結していました。
運行管理者(貨物)の試験日2024年3月6日(水)に向けて、2週間半を切ろうとする、同2月17日(土)、夜遅く帰宅した私の元に、当該会社の倉庫に残してきた、不要な作業用の靴が、倉庫内に在る透明なビニール袋に入れられて、届けられていました。
そのことから、明らかに、元上司等の関係者が、持ってきたものと判別できました。
それを、受け取ったのは、当該会社とは何も関係のない、そして、何も知らない、家族の父親しか該当しないため、善意の認識として、受け取ったということは、当然の結果です。
よって、この事は、私以外の、家族に対しては、一切何も関係のない出来事のように思える事なのです。
つまり、私と一緒に作業をしていた人、かつ、現場で同じ配置でなければ、理解が出来ない事であり、それは、元上司からのハラスメントが、退職後も、嫌がらせのように迫ってきたものでした。
それ以外の人には、当然、表面上の事象の出来事だけしか、理解できないことである。
これによる、無関係の周囲の人との、認識の差が、歴然と開いてゆき、生活環境である、家庭、そして、外の環境、どのような所でも、私を見かける他者が、どこかから仕入れた噂で、受け取られている認識の違いのまま、ヒソヒソ話を、私の姿を見せるところで行なわれました。
それが、私にとって、真実ではないことへの苛立ちと、ストレスが発生していました。
また、その周囲からのストレスから、怒りが伴い、大声をあげる衝動に突き動かされたり、隔離されるような孤独感にさいなまれる心理に陥っていました。
さて、この事案に、ついて、私がどのように感じたことであるかを、再度、詳しく示します。
私が、不要な忘れ物として認識する作業靴が、届けられた事であること。
そして、最も大事なことは、私に何も直接許可を取らずに、自宅を訪問されていた事、及び、在職時に一切住居の場所を特定できるように、教えていないにも関わらず、当該会社に残された個人住所を、私の同意なく、無断で使用されているという、客観的な事実があります。
これにより、恐怖を持ったのです。
また、当試験の学習は、ほぼ毎日10時間連続で、進んでいた時期であり、かつ、試験があと17日間しかないほど、迫っていた為、余計な事に、気をそらしたくない時期でした。
このことが、思い出したくもない、私が在職時の、元上司により嫌味など、ハラスメントされてきた背景とあって、一切の電話による応答も避けて、心の状態を、なるべく平常に保ちたかったのです。
苦痛を与えられながら、何とか、試験には合格しました。
もしも、この様な事が無ければ、試験の合否によらず、より一層、転職活動として、自己分析が進み、自己紹介における内容など、心と意思が、まとまるはずでしたが、このストレスにより、阻害される日々に変わりました。
つまり、先に示した、当2月17日の事案により、心理的な、苦痛が、そのポジティブな意識を、まとめ上げることに対して、心理的に抑圧が、引き起こされていたということです。
また、田舎の人口が少ない地域でしたから、たとえ、郊外に行っても、退職後の私の行動の様子を伺う、周囲からの評価の噂が、立ち上る環境であり、勝手に広がっていくことが良くあることである。
近郊も含めて、田舎チックな、パーソナリティの侵害が、かなり問題的です。
以前、私が勤めていた、24hのスーパーマーケットでは、レジ前で、”話しろ!”とこちらを睨んで、罵られるなどがありました。
レジ前では、お客さんが居ても、公然として、嫌味の含んだ、噂話を、お客さんを巻き込んでまでして、どんどん、拡散されていきます。
つまり、SNSよりも、強力に、悪い意味として、嫌味として、拡散されていくので、特に、異性関係や、他人の仕事や生活態度などについても、気持ちが悪いくらい、精神衛生上、悪いものに変えられます。
また、それによって、晒される人権的な抑圧感も、そのストレスの中に加わり、悪循環となって強化されてしまい、自尊心を失いかけていました。
実際に、その苦痛により、住居より離れた地域の商店街等で、人権についての啓発を、示す行いとして、レシートの裏に「個性を大切して、人権を大切にしましょう。」などと書いて、資源回収の場所に、挟んだりして、周囲への意識が変わることを願ったりしました。
それも効果なく、その心理的苦痛が、ストレスとなり、怒りを増大させてしまい、大声上げて、周囲に迷惑をかけたようなことも多く有ります。
この突発の症状については、適切な医療措置に係ることは必要の無い程度であり、落ち着きを取り戻すことが、可能でした。
これらにより、転職活動に最も、必要なことである、自己分析のまとめと、自身の再評価などを行うことに対して、非常に、その進捗を、阻害するストレスであったことが、再度、示されます。
付け加えると、家族との心理的な乖離で、独りで部屋で食事を済ませるようになっていき、外出も、夜がメインに変わり、郊外の24H営業の店で、買い物場所を限定して、周囲からヒソヒソ話で言われる事を、最小限に減らして、自尊心が、なるべく揺るがない環境づくりをしていきました。
最初は、片道1時間、往復2時間もの、買い物になって、とても、心理的な苦痛は変わることは、無かったものの、人目を避けて、自尊心の保護に努めた結果、私は、心理的な整理を、文章で仕上げたり、家族にそれを公開したり、独りで出来ることを進めていました。
そのように行動していると、生涯の社会的役割の夢を、立ち上げることに、勇気を持って、インデペンデント・アーティスト、Swishmar.Shell として、音楽活動をすることを目標にする意識が、芽生えてきました。
そのアーティスト活動を基に、人権啓発の主張ということを、音楽を世界に発信することに換えて、表現をしています。
アーティスト活動に関わる、すべてのプロフィールを、表現して、音楽にもこだわらない、幅広い情報を、発信していく事によって、私自身に、自尊心が揺るがなく確立していくことが、実感できました。
今は、その活動結果の資源のお陰で、応援メッセージをいただいたり、海外の日系ハーフのような、多様性の中にある中立性に揺らめく人権に対して、文化的な主張の交流により、自立した人権の自尊心(アイデンティティー)を、支える音楽活動へと、拡がりを持つことが出来ています。
この様な経緯と合わせて、®メンタルヘルス・マネジメント検定に、ラインケアコースを、学習し、合格したことを踏まえて、改めて、当該会社の退職後の事案については、客観性を示せるようになり、苦痛に対しても、感情に対しても、整理することはできました。
しかし、当2月17日に係る、当該会社の不当な行いについての、調査や謝罪が、表れない限りは、心許せるはずが無く、再び、ストレスによる怒りをもっています。
これについては、会社名なども全て匿名で、事案の内容を、ブログの記事に公開して、関係のない立場からの視点に立って記し、再び、私自身が、再評価するということを致しました。
よって、これまで、1年と11カ月もの間、阻害されていた自己分析も、この度、就職活動に活用できる形で、本格的に、形成することができました。
以上。
ご覧いただき、ありがというございました。














