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Sシャルのブログ

st2workerのブログから、インデペンデント・デビュー後、Swishmar.Shellのアーティストとして、Sシャルとして、引き続き、音づくりの記録をしています。 メンタルヘルスの検定へも向学しており、音楽療法の探求も、軽やかに、行なっております。

こんにちは。

 現在、再就職の期間であるのですが、

 インデペンデント・アーティスト、

 Swishmar.Shell として音楽活動をしています。

 インデペンデント・レーベル名:Unisync Records 

 夢は、スタジオを、田舎に建てて、プロデュース活動とか、音楽収録場所の提供などですね。

 それ以前に、

 就職のほうは・・・ということなのですが。

 

 すでに、

 「この活動が、全て。」

 という、手っ取り早い、解答になります。

 

 

 私は、仕事をするということには、異性との生活があることが重要であると考えています。

 

 なぜならば、相手の命の尊厳を、平等に敬えることが、最も、心の宝であるからです。

 

 つまり、世間体からの評判でもなく、財力でもない。

 

 そこに、幸せがあるということを、知っているからです。

 

 私が、今現在の、独身生活で、求めているものは、仕事でもあり、結婚でもある理想は、この価値観の共有による、心の宝を求めています。

 

 いわゆる、アーティスト性の幸福というものでしょうか。

 

 それは、命の尊さを敬う上で、愛することであるので、

 人の為に働くという献身性と、

 仕事に、奉仕するという意味を与えるからです。

 

 エンゲージメントの心理に似ていますが、

 この言葉を成しているような、仕事に対する単体だけではなく、

 相手を包み込むように好きという事であることに対しても、

 エンゲージメントがあるというものです。

 

 少し、調べると、

 

ワーク・ライフ・エンリッチメント

 (仕事と生活の相互充実

 

関係性エンゲージメント

 

 これらに、近い意味に該当することが分かりました。

 

 なぜ、私がそう思うのかという理由は、

 

 一方の祖父母の姿にあります。

 

 戦後の日本の時代、終戦から15年が経った、昭和35年(1960年)になっても、誰でも、貧しい生活であった。

 

 その頃は、協力的な、必死に生計を立てる夫婦関係がありました。

 

 大正生まれ前後の、その一方の祖父母は、そんな夫婦でした。

 

 ですから、その一方側の親は、とても、協力的な行動を取ります。

 

 私は子供の頃から、なにかあれば、手伝うことも多かった。

 

 その中でも、

 祖母からのお願いで、おつかいの買い物をしてあげたりすると、

 その買って来てあげた、材料を使って、

 祖母は、食事の用意を一緒にして、

 調理の仕方を、大まかに、教わったり、

 炒飯の炒めたり、カレーや、豚汁を作るために、

 台所に一緒に立って、何でも、実際にやって、覚えさせてくれました。

 

(もはや、男でも関係ありませんでした。)

 

 このような、祖母からの教わりは、

 いまでも、何も違和感なく、自炊する力となり、

 協力して、生活する基本的な感覚を、教わっていたことに、気が付きます。

 

 中学生の頃は、

 家に、兄妹も居たので、両親が、仕事で居ない時は、

 ご飯を炊いたり、

 祖母から教わったようなメニューを、さらりと、妹と協力して作っては、

 片付けの洗いものも、みんなの分を、進んで行っていました。

 

 一方、中学校や、高校になっても、

 調理実習では、自然と、食器を洗う手つきが、早くて、手馴れているので、

 ”早い…”と、女子生徒からの、視点が、妙に集まっていたような、気がします。

 

 さて、

 戦後よりも、

 現代は、経済的に生活の質が良くなっている、令和の時代。

 

 やりたいことを、やるという漸進的なことも、

 少し、わがままに見えてしまうほど、

 協力的な事を、嫌うような態度や心が、

 平成の若い世代から、増長してきた様に思います。

 

 その背景に、人を陰で、馬鹿にするようなことや、

 陥れる言葉なども増えた気がします。

 無差別に、人の生命尊厳を陥れることも、多かったと思います。

 

 今は、協力的な生活というのは、少ない気もしますが、

 祖母から見習った、あの精神衛生上の清潔な、夫婦関係の生活を、

 わたしは、望んでいるのかもしれませんね。

 

 私の考えを、少し、調べていくと、

・協力と、尊厳

・仕事と愛情

・転職

 ということが、

 私の自己PR のテーマになりました。

 

 子供の頃から、祖母との食事を、一緒に作ることをして、

 協力的な生活をすることを、体得してきました。

 相手を尊重しながら、支え合う姿勢が自然とできていると思います。

 

 この経験は、仕事観の基礎となって、成果というものは、

 協力する仲間との尊厳を大切にすることで、より大きな意味を持つものであると思います。

 

 こうした行動を通して、より成果を高める姿勢があります。

 祖母から受け継いだ、価値観は、組織の力を強くするものとして、貢献したいと思います。

 

 と、このように、自己PRになりました。

 

 実際に、前職の清掃業での、

 片付けの場面では、

 歳の近い8年経験の先輩パート女性との、協力的な場面が、

 事務員さんからは、思わず、”まるで、夫婦みたい”と言わせていました。

 このように、

 戦後の協力的な心を、令和に展開すると、時代を補うような視点がありますね。

 

 私のアーティスト・プロフィールが、

 僅か5か月ほど、

 様々な方向性で公開されながら、

 結果的に、再就職への、自己PRが、完成へと導かれました。

 

 あとがき。

 

 祖母から教わってきた、昔ながらの、仕事も、周りを見て、他人の仕事も、積極的に応援するという、自然さは、もう令和では、見られないのでしょうか。

 

 あの、一方の祖父母は、戦後、菓子屋の商売を始めて、睡眠時間も4時間で、朝早くから、仕込みをおこなって、私の一方の親の兄弟を、育ててきたそうです。

 

 その名残りで、商売はしていなかったのですが、

 子供の頃、笹を取りに行くのを手伝ったり、

 ”笹餅” を作るのを手伝いました。

 

 祖母は、熱くて柔らかい餅を、手で広げて、

 私たち子供は、すでに、あんこを丸めてあるものを、そこへ落とす。

 

 すると、祖母は、手で、丸く包み込んで、

 私たち子供は、笹を二枚重ねて、広げる。

 そこに、祖母は、丸めた餅を、載せてくれる。

 それを、最後に、

 笹を、折りたたむように餅をはさむ。

 

 このうに、時には、

 笹ではなく、きな粉の上で転がしてたり、よもぎ餅なども作ることもありました。

 

 このような体験を、ずっと、やってくれていたのですが、

 祖父母の昔の、協力的な生活を、いつも、イメージしていたものです。

杉の木が、ツルと協力するかのよう。

 自己PRが、まとまってきて、

 

 2023年12月末日の退職後から、1年と、11カ月が経とうとしています。

 

 先日までに、ブログの記事に記載した、前職の清掃関連の仕事では、私自身は、協力的であっても、

 

 非・協力的な場面もあったり、言われなければ手伝わない、という、自主的な協力も、少なかったのが、残念でした。

 

 田舎過ぎるのか、分かりませんが…。

 

 誰も居ないところを狙って、罵られたりする、嫌味の攻撃の数々。

 

 会社の人以外にも、

 

 ・清掃している最中に、その施設の職員からの、私の男女関係の噂による、”優柔不断なやつめ”という罵倒や、”ハハッ子供みたい”と、人権を謗る言葉を浴びせられた。

 

 ・スーパーマーケット閉店後の床清掃の時、見えない陰から、”てめぇ〇〇〇さんと、結婚するんじゃなかったんかよー!”という罵倒。

 

 さらに、プライベートまで影響して、

 

 ・お店の店員が、私を目撃すると、無造作に ”あのひと、(最近の噂)〇〇なんだって”という、パーソナリティの破壊行為で、自尊心が、壊される。

 

 当該会社の元職場での苦痛のみならず、私生活まで食い込む、田舎の人が、他人を観察する目つきは、とても気持ちが悪い。

 

 清潔感のない生活社会で、精神衛生上、悪い地域。

 

 退職後も、拭いきれない苦しみであることは、想像できると思います。

 

 それにも関わらず、退職後の、

 

 2024年2月17日に、嫌がらせに該当する、あたかも仕組まれた、不当な、当該会社と全く関係のない私の家族への接触により、心理的影響は、より強い苦痛を、与えられました。

 

 その結果、転職活動における、資格取得などにおいても、苦しみを強くさせられる結果となり、学習に大きな障壁となりました。

 

 当2月17日の事案による、苦痛の心境を抱えながら、資格取得は、出来きました。

 

 思い起こされるものは、在職時に、退職願いをするために、私からの積極的な面談申請3回に渡り、転職活動を全面的に提示して、十分に考慮され、退職が決定したことで、2023年12月31日付で退職したという事実です。

 

 したがって、それにも関わらず、その後も、引き続き、私の立場が、あたかも、当該会社に強く関係しているかのように、私への接触を、しつこく、試みられたのです。

 

 この不当な接触を試みる、動きは、2024年1月10日、私が東京の荒川区にある、サンパール荒川3Fの小ホールにて開催していた、運行管理者(貨物)の基礎講習会に参加している最中に起こりました。

 

 講義中に、マナーモードにしている、私のスマートフォンに、元上司が個別に使用している当該会社所有の携帯電話番号から、着信があったのです。

 

 この着信は、私にとっては、すでに退職している立場であるので、当該会社の従業員、かつ、元上司による個人間による通話は、関係のないことであると認識しました。

 

 その為、また再び講義中に、着信作動しないように、講義が休憩に入った後に、着信拒否にして、着信があっても、スマートフォンは、一切反応しないようにしました。

 

 当該会社からの直接の電話であれば、退職後の手続きに関するものであるので、後で折り返しの通話をしていると思いますが、すでに、東京の本社から、書類1通が、送られてきていて、全て、完結していました。

 

 運行管理者(貨物)の試験日2024年3月6日(水)に向けて、2週間半を切ろうとする、同2月17日(土)、夜遅く帰宅した私の元に、当該会社の倉庫に残してきた、不要な作業用の靴が、倉庫内に在る透明なビニール袋に入れられて、届けられていました。

 

 そのことから、明らかに、元上司等の関係者が、持ってきたものと判別できました。

 

 それを、受け取ったのは、当該会社とは何も関係のない、そして、何も知らない、家族の父親しか該当しないため、善意の認識として、受け取ったということは、当然の結果です。

 

 よって、この事は、私以外の、家族に対しては、一切何も関係のない出来事のように思える事なのです。

 

 つまり、私と一緒に作業をしていた人、かつ、現場で同じ配置でなければ、理解が出来ない事であり、それは、元上司からのハラスメントが、退職後も、嫌がらせのように迫ってきたものでした。

 

 それ以外の人には、当然、表面上の事象の出来事だけしか、理解できないことである。

 

 これによる、無関係の周囲の人との、認識の差が、歴然と開いてゆき、生活環境である、家庭、そして、外の環境、どのような所でも、私を見かける他者が、どこかから仕入れた噂で、受け取られている認識の違いのまま、ヒソヒソ話を、私の姿を見せるところで行なわれました。

 

 それが、私にとって、真実ではないことへの苛立ちと、ストレスが発生していました。

 

 また、その周囲からのストレスから、怒りが伴い、大声をあげる衝動に突き動かされたり、隔離されるような孤独感にさいなまれる心理に陥っていました。

 

 

 さて、この事案に、ついて、私がどのように感じたことであるかを、再度、詳しく示します。

 

 私が、不要な忘れ物として認識する作業靴が、届けられた事であること。

 

 そして、最も大事なことは、私に何も直接許可を取らずに、自宅を訪問されていた事、及び、在職時に一切住居の場所を特定できるように、教えていないにも関わらず、当該会社に残された個人住所を、私の同意なく、無断で使用されているという、客観的な事実があります。

 

 これにより、恐怖を持ったのです。

 

 また、当試験の学習は、ほぼ毎日10時間連続で、進んでいた時期であり、かつ、試験があと17日間しかないほど、迫っていた為、余計な事に、気をそらしたくない時期でした。

 

 このことが、思い出したくもない、私が在職時の、元上司により嫌味など、ハラスメントされてきた背景とあって、一切の電話による応答も避けて、心の状態を、なるべく平常に保ちたかったのです。

 

 苦痛を与えられながら、何とか、試験には合格しました。

 

 もしも、この様な事が無ければ、試験の合否によらず、より一層、転職活動として、自己分析が進み、自己紹介における内容など、心と意思が、まとまるはずでしたが、このストレスにより、阻害される日々に変わりました。

 

 つまり、先に示した、当2月17日の事案により、心理的な、苦痛が、そのポジティブな意識を、まとめ上げることに対して、心理的に抑圧が、引き起こされていたということです。


 また、田舎の人口が少ない地域でしたから、たとえ、郊外に行っても、退職後の私の行動の様子を伺う、周囲からの評価の噂が、立ち上る環境であり、勝手に広がっていくことが良くあることである。

 

 近郊も含めて、田舎チックな、パーソナリティの侵害が、かなり問題的です。

 

 以前、私が勤めていた、24hのスーパーマーケットでは、レジ前で、”話しろ!”とこちらを睨んで、罵られるなどがありました。

 

 レジ前では、お客さんが居ても、公然として、嫌味の含んだ、噂話を、お客さんを巻き込んでまでして、どんどん、拡散されていきます。

 

 つまり、SNSよりも、強力に、悪い意味として、嫌味として、拡散されていくので、特に、異性関係や、他人の仕事や生活態度などについても、気持ちが悪いくらい、精神衛生上、悪いものに変えられます。

 

 また、それによって、晒される人権的な抑圧感も、そのストレスの中に加わり、悪循環となって強化されてしまい、自尊心を失いかけていました。

 

 実際に、その苦痛により、住居より離れた地域の商店街等で、人権についての啓発を、示す行いとして、レシートの裏に「個性を大切して、人権を大切にしましょう。」などと書いて、資源回収の場所に、挟んだりして、周囲への意識が変わることを願ったりしました。

 

 それも効果なく、その心理的苦痛が、ストレスとなり、怒りを増大させてしまい、大声上げて、周囲に迷惑をかけたようなことも多く有ります。

 

 この突発の症状については、適切な医療措置に係ることは必要の無い程度であり、落ち着きを取り戻すことが、可能でした。

 

 これらにより、転職活動に最も、必要なことである、自己分析のまとめと、自身の再評価などを行うことに対して、非常に、その進捗を、阻害するストレスであったことが、再度、示されます。

 

 付け加えると、家族との心理的な乖離で、独りで部屋で食事を済ませるようになっていき、外出も、夜がメインに変わり、郊外の24H営業の店で、買い物場所を限定して、周囲からヒソヒソ話で言われる事を、最小限に減らして、自尊心が、なるべく揺るがない環境づくりをしていきました。

 

 最初は、片道1時間、往復2時間もの、買い物になって、とても、心理的な苦痛は変わることは、無かったものの、人目を避けて、自尊心の保護に努めた結果、私は、心理的な整理を、文章で仕上げたり、家族にそれを公開したり、独りで出来ることを進めていました。 

 

 そのように行動していると、生涯の社会的役割の夢を、立ち上げることに、勇気を持って、インデペンデント・アーティスト、Swishmar.Shell として、音楽活動をすることを目標にする意識が、芽生えてきました。

 

 そのアーティスト活動を基に、人権啓発の主張ということを、音楽を世界に発信することに換えて、表現をしています。

 

 アーティスト活動に関わる、すべてのプロフィールを、表現して、音楽にもこだわらない、幅広い情報を、発信していく事によって、私自身に、自尊心が揺るがなく確立していくことが、実感できました。

 

 今は、その活動結果の資源のお陰で、応援メッセージをいただいたり、海外の日系ハーフのような、多様性の中にある中立性に揺らめく人権に対して、文化的な主張の交流により、自立した人権の自尊心(アイデンティティー)を、支える音楽活動へと、拡がりを持つことが出来ています。

 

 この様な経緯と合わせて、®メンタルヘルス・マネジメント検定に、ラインケアコースを、学習し、合格したことを踏まえて、改めて、当該会社の退職後の事案については、客観性を示せるようになり、苦痛に対しても、感情に対しても、整理することはできました。

 

 しかし、当2月17日に係る、当該会社の不当な行いについての、調査や謝罪が、表れない限りは、心許せるはずが無く、再び、ストレスによる怒りをもっています。

 

 これについては、会社名なども全て匿名で、事案の内容を、ブログの記事に公開して、関係のない立場からの視点に立って記し、再び、私自身が、再評価するということを致しました。

 

 よって、これまで、1年と11カ月もの間、阻害されていた自己分析も、この度、就職活動に活用できる形で、本格的に、形成することができました。

 

以上。

ご覧いただき、ありがというございました。

 

 

こんにちは。

 

 清掃には、様々なシーンがありますが、

 ビルクリーニングという仕事では、以下のような、

 経験を、して参りました。

 

 この種の仕事に、これから就きたいと思う方の、参考になれば良いかと思います。

 

 ※私が勤めていた職場の、客観的な問題にも、心に感じる、アーティストの感性が、有ります。

 差別的な表現としてではない事を、ご了承下さい。

 

 

 床の上を、長く維持するために、

 ワックスで、保護しているものを、

 定期的に、メンテナンスすることが有ります。

 

 床ワックス作業と呼ばれて、床のごみ汚れを取り、少し磨いて、そこにワックスを、0.2ミリくらい塗ります。

 

 その中で、とある事案がありました。

 

メラメラ最初に床の汚れを落とす作業で、床ワックス面への専用の洗浄する洗剤を、100倍に薄めて使用する原液(緑色)

 床を洗浄する機械・ポリッシャーに、そのまま投入して床洗浄していたのです。(後述のことで判明。)
 

 なんということでしょうかハートブレイク

 

目B清掃員が、入社して1年後くらいにも関わらず、

基礎的な、原液を、水で薄めることを知らなかったのです。

 

 その方が正社員であったことから、ある現場で、床ワックスしたのは、単に、やらせてみなければ、理解も進まない。

 という配慮の基での、修行のような作業でもあったのです。

 

 物件自体が、行政から、下請けで、会社が管理運営しているから、ある程度の責任は、保てる現場でした。

 

 部長という存在が、近くでいたはずですが、そのことは、気が付かなかったようです。

 

 その濃い洗剤をしようして洗浄したあとに、いつもの、汚水回収と、カラ拭きをして、ワックスを塗ったそうです。

 

 洗浄液は、ワックスを少し軟らかくして、白く濁らせるので、垂らすと、汚れの様に、目立ってワックス掛け直した意味が無くなるので、取り扱いには、気を使うし、こぼさないような、注意力が要ります

 

 そして、そのことを、良く考えられる知識に伴う、落ち着いた行動が、現場では必要です

 

 とても、大人しい性格の方が、向いている作業です

 

 わたしは、入社前に、世間に噂に掛けられることと同時に、ハローワークの人からも、うわさで、私の性格を知っているようでしたから、「あなたのような人であれば、清掃業が向いていると思います。」というアナウンスを頂いていたのです

 

 さて、高濃度の洗剤を、そのまま洗浄液として使った…という事案。

 

 ワックスは、ポリマー樹脂の入った液体を、塗るので、

その水分が、高濃度の洗剤の残りを吸収し、混ざって、

乾燥して固まっても、運用中に、床に水が垂れると、洗剤が、水に溶け込みます。

 それが、ワックスを少し軟らかくしたり変色したりさせます。

 

 これでは、床ワックスの品質が劣化しやすく、その現場での床は、6カ月ほどの運用に対応しきれない。

 

 商用としても仕事としても、清掃直後には、見た目は良くても運用中から変になって、クレームと損益に変わります。

 

 清掃業には、直後は良くても化学反応による、長期運用でのトラブルは良くある話です。

 この背景として、過った、B清掃員は、私と1カ月変わらない同期で、後で、訳ありであることも理解したので、差別的な表現としてではなく、客観的に見ている内容です。

 

 清掃現場に入って、どうするかを、見て実際やって覚えるところを、分からないで、言われたことしか動けないので、ボーーっと立っている時間が長い、個性的な人でした。

 

 営業所にいる時も、言われなければ、準備の時間も、倉庫での片付けも、あまり、積極的ではないB清掃員

 

 つまり、ここで示したい点は、片付けが、清掃の知識を体得できるもので、清掃業にとっては、とても、基礎となることです

 

 目標は、3ヶ月、片付け・整理整頓、5Sに徹底していくことになりますが、せめて、1年も経てば、洗剤の使い方くらい覚えるはずなのです。

 

 にもかかわらず、B清掃員は、大量の原液を必要として、営業所の倉庫の中の原液を、大量に持ち出して、消費したのです。

 

 それは、100mlの原液を、水10000ml、つまり、10Lくらいにして洗浄機に投入するはずの所を、ほぼ、10L近く原液を消費して、100倍のコストをかけて、床ワックスを施したのです。

 

 部長が、他の部門も見ているので、知識不足なのか、そのようにすることを、おかしく思わなかったのだろうかは、分かりません。

 

 仕上がりの見た目もある程度良くても、大きな損益の出す作業であったのです。

 

 私の当時居た先輩も、倉庫に徹底して、整理整頓をする方で、8年ほどの清掃歴があるので、ワックスのことも、洗剤の機能や、管理も、レベルが高かったものですから、

B清掃員の、作業した、後日に、倉庫で、”ワー!”といって、恐怖の声を上げていました

 

 私が行くと、”これ見て”といって、教えてくれました。

 原液が、明らかに、大量に無くなっていたのです。

 怖かったです。

 

 ポリッシャーの洗剤タンク内も、匂いが、原液の濃い匂いで、残っていました

 決定的な証拠に、唖然とした。

 

 倉庫に、いつも、目を配る意味

 整理整頓・片付けにも意味があることを、重々に理解した日でした。

 

 これから、床ワックスの作業のある、清掃員として働きたい人は、

 倉庫内での作業をよくしている人に付いて、片付けも、現場での行動理論になるので、2~3ヶ月、それぞれの管理を出来るようになりましょう。

ダウン清掃が終了しても、やることが、細かく多いです。

 たとえば、下の図のように、清掃道具の清掃というオチを理解しましょうビックリマーク

 詳しくは、全国ビルメンテナンス協会関連より出版されている、ビルクリーニング技能士1級用の、テキストなど、読みましょう。

 

 興味のある人は、個人でもビルクリーニング技能士3級試験(同協会認定)、学科と、技能試験3種目

(ただし、学科試験一部合格でも、3年期間、技能試験日に、リベンジ受けられます。)

 

 でも、実務5年以上経てば、ジャンプアップで、ビルクリーニング技能士1級(国家資格)へ挑めますよ。(2025年現在。)
 

 このように、床ワックスの清掃に関わる清掃が、建物の衛生だけではなく、美観を損ねないようにするなど、

 

清掃の意味” を知ることになります

 

 

 

 私は、ビルクリーニング技能士3級学科一部合格者です。

 その学習では、1級試験のテキストが貸与されて、学んでいました

 すごく、細かく色んなことが、記載されていました。

 問題集も、1級試験用のものが与えられていました。

 

 そのお陰で、実際の作業に、理論・解釈や、物静かさによる研究心が、非常に高まりました

 

 勤務時間は、正社員にしかない誓約書どおりの、業務に集中することを遵守していたことや、事務的な処理の段取りや、片付けや、翌日の準備研究事項のほうが、常に頭で埋まっていました

 

 私が、大人しい性格でありつつも、それほど、悪くはないのに、

 社内からの喋らないという客観性が、強く表面化するのは、これが要因です

 

 

職場環境に対しても、

®メンタルヘルス・マネジメント検定をラインケアコースまで、学んだことで、

心の整理のみならず、

以下のように、客観性だけを、求めることができるようになりました。

 

 ※ここからは、客観性を明かす為に、少し問題点が表現されます、ご了承下さい。


 上司は再雇用の年配であるから、他の年配パートの方と、早く帰られることがパターン化していました。これは、大体土日の仕事で、事務所には誰も居ないような日です。

 ※パートさんは、その時点までですが、上司等はフルタイムなので、定時より1.5h早く帰っていったこともあります。

 タイムカードではなく、自己申告制だから、他のところに、回すのか?それとも、家で休んでいるときも時給を貰うのか?分かりませんが…。

 

 私は、大人しい性格でも、気が緩む、勤務時間外では、話をします。

 清掃員の正社員は私だけしか居ないので、片づけ等に時間がかかって、正社員のするPC作業等が、終わらず、サービス残業で、21時まで居たことが有ります。

 

 そのため、片付けしながら話を出来たのは、一緒に片付けしてくれていた先輩のパートの人だけでした。

 

 結局、そのパートの先輩女性と、二人だけが多くなり、仲良くなっていったのですが・・・。

 

 その私たちの男女従業員の姿を見ている、年配女性の上司は、気に食わないような感じをされていました。

 

 タバコや、事務室での話ばかりする、上司やパートの年配の方々を陰に、倉庫で、独り片付けと整理整頓をする私

 

 これも、その気に食わない、仕打ちだと思います。

 

 前日も、残りの片付けも、”明日やればいい”という上司

 しかし、後日、朝から少し手掛けては、席に座ったり自身の仕事をこなすものの、日程を告げることを終えると、

 いきなり、”さっ、行くよ” と言うまでは、準備を、人任せに取り計らう。

 

 きのう、次の日の準備をしていない時は、私も、出勤して、すぐ、事務所内には居ないで、倉庫で、準備をしています。

 

 出発するからと言って、車両に向かい出す上司に、

「まだ、準備しきれていません。」というと、

なぜか、顔の表情が曇らせて、イラつく態度を示す

 

 早く出発したいのでしょうが、

 いくら何でも、

 ”明日やればいい”からの~翌日は、忘れたかのように、人任せの様子は、意地の悪いことです。

 そして、その不機嫌さを、チクチクと、ハラスメントの言動で、現場に行くと、表現してくる。

 

 他にも、清掃現場では、

 パートの女性先輩は、ワックスキレイに塗れるし、効率が良いことに、

 時間内の以上の早さを求める年配の上司は

 どの現場でも、ずっとワックス塗らせて、

 しかも、”早くして”と言ったり、じわじわと責める

 

 他の清掃員にも、時間内よりも早く終わらせるように、

指示を次々に、出して、人を、アセくらしく動かして、

余計な疲労アライメントを与えても、気に掛けない。

 また、自身だけの都合で、何か都合をつけると、その現場から離れていくのは、良いのですが、

 時には、夏の暑い場所で、先ほどの彼女ワックスの塗っているときに、休憩とタバコのために、他の年配社員と一緒に、どこかに行ってきた後、

 私たちのワックスがけ作業のほうには、休憩の指示を出さないで、ずっと作業させ続けて、拷問化して、時間内に終わらせるように仕組まれたこともあります。

 その彼女の、ストレスは、本当にMAXになることが、多かったし、私も、ただ無駄に早くさせるだけ、疲労が重なりました。

 

 そんな、上司の年配からの作業ハラスメントにより、

彼女は、肩を重症化させて、退職した

 

 部長は、この内実のことは、現場でのことなので、彼女からの報告を受けているものの、対処がしずらい上司であることから、何かの、建て前をつけることに、苦心していたと思います。

 

 彼女の退職日の夕刻、彼女と私と専務で、3人しか居ない時間に、専務からの言葉には、何を意味するのかを、少し理解するくらいのものでしかなかった。

 

 ワックスがけは、思ったより、重たいモップを、片方の腕に力をかけて、上下や左右に押し出したり、引いたりします。

 

 塗る面積は、夏場も、学校の廊下や教室など、広いので、それを、独りに負担させていたので、今考えると、ゾッとすることです。

 また、

 ワックスは、乾かすの時は、見てるだけー目のように、ぼーっとして構える。

 送風器を、動かしていく。


アップ濡れている所に、足や手で触ると、乾いた後、化石になる時計

ハートブレイクもう一度、削って、塗っても、ムラになり、美観を損なうだけ。

 

ひらめき電球作業は、理論上は、簡単。

 でも、すごく、集中力と、注意力が要る。

 

 おもしろいでしょう!?

 

 こんな時も、おしゃべりなんかしてると、

ダウン一般の人は、知らないから、入って来て、滑って、転倒し、ケガさせます

 そのため、

 結局、大人しくして周囲に注意を払う必要がある。

 

 

 私が、ワックスを塗る現場においても、

 上司からの想いは一方的なので、早くしないと、

 強いハラスメントに返されることは、必然的に起きています。

 だから、それを想定して、

 ある現場では、私は、早くしなければならないという気を使い、

 無理やり、200㎡の面積を、大量の汗をかきながら、

 速攻で仕上げようと、

 ワックスも広範囲で撒いてから、塗っていた。

 

 すると、

 

 「そんな、やり方、あの人から教わったことなの」

 と、言ってきた上司に対して、

 

 私は、あの人(彼女)からしか、教わっていない

 

 上司は、ワックスのやり方は、教えてくれてはいない事実を認めながら、彼女のせいに、しようとする上司の思惑を、叩き切るように、

 

 「これは、オリジナルのやり方ですよ」

 と答える、強気前に出る私。

 

※こんなシーンも、音楽に有ってもイイと思います。

 

 すると、その歯向かうような私に、さらに、仕掛けてくる上司

 

 その後、私の塗ったワックスの良くない箇所に、

 上司は、他の年配社員をそこに引き寄せて、

 どうかをみて貰い、

「ここが、ちょっとね」というような感想を、他者に言わせるように仕組んできた。

 わざと、尋ね聞いているふりだから、当然リカバリーしない様子で、意地悪さを醸し出していました。

 

 このように、この上司は、誘導尋問して、他人に悪く言わせるは、いつも他人であるように、仕立て上げて、自身の意地悪さを、隠蔽する。

 

ドンッそんな上司の態度は、ときに、腹の虫が抑えられなくなると、

 現場から、早く引き上げて、先に事務所に戻るや否や、

 “誰々が、こう言った”

 と、事務所の専務の居るところで、皆に聞こえるように、

 大ぴらに報告して、

 何も現場の様子を知らない専務に

「ダメだねぇ」

 と言わせて、

 そこにいる事務員さんにも、そう思わせるように、仕組んでいました。

 

グッド!このやり取りの様子は、壁一枚となりに、すでに戻って倉庫に居た、私が、壁に耳ありという感じで、聞いていましたから、事実です。

 

 この特殊な上司は、自身に不利な事象を被らないように、まるで、マニュアルがあるように、他人の心を、都合良く、誘導的に利用して、逃げるられるルートを、いつも作ることが、お得意なのです。

 

 まるで、あっちの世界の人と繋がっているような、非道な気配に感じるほどでした。

 ※この意の背景は、退職後の恐怖の事案に続いていったからです。これについては、他の記事にある通りです。

 

 この特殊な上司に関わるほど、色々な人が、犠牲になっています。

 

 私は3年3カ月、適当な、愛想で、対応してきましたが、心身症の初期症状により、退職を決意していった。

 

 もちろん、同じ犠牲にあった彼女からも、早く辞めた方が良いと、心配してくれました。

 

このように、

 すべて、年配の気分を悪くしやすい上司に、気を使わなければならない。

 

 すべて、その上司に、気を使っていても、意地の悪いことを言ってくる。

 

 そんな、性格の上司の下では、私は、ただの都合の良い、道具扱いだけであるし、そのハラスメントで、実質、障害を負わせられた同僚先輩の退職も、納得が、ゆきます。

 

 20歳以上の年配と、経験年数20以上という、順風満帆な人生の女性上司は、清掃の進め方の、時代変化には対応しきれないようで、清掃のやり方も、大方できていれば、良いという感覚を、持っていました

 

 だから、パートの先輩のように、8年間でも、近年の高度の清掃を取得してきている立場から、言われることも、年配上司からすると、気に入らない

 

 誰にでも、仕事には、プライドは、有ると思います。

 

 わたしは、それによる対立は、仕方ない事であると思います。

 

 かつてテレビでも、スタジオジブリの映画制作による、

裏舞台の人間関係を特集していたことがあります。

 

 協力して、作品を作り出すという事は、いろんな現場で、言い争うような事は、良くあることです。

 

 しかし、あまりにも、意地の張り合いが、プライドの高さが、一方的な対戦となって、どちらかが、負けに出なければ、いけない。

 

 そんな、職場でした。

 

 ポジティブに、退職したあとは、考えています。 

 

 3年3ヶ月の実務経験があるので、その後に、1年と9カ月清掃業に勤めれば、ビルクリーニング技能士1級試験受験に挑めます。

 

 私の、Sシャルのインデペンデント・アーティスト活動では、いつか、夢であるのですが、

 個人管理・運営のスタジオを、田舎に建てて、文化的または、経済的な貢献をしたいと思っています。

 

 その夢が、もしも、現実になったら、建物のすべての清掃管理は、独りでも、対応できることでしょう。

 

 今回は、前職(2025年時点)での紹介でした。

 

ここまで、読んでいただき、ありがとうございました。

 尚、該当する会社については、退職後の不当な個人情報の取扱い、及び、その従業員による、妥当とはいえない、退職後の私に対する意図しない恐怖を与えた事案があります。

 それについては、本当は、その後の私の生活に取り巻く、精神衛生上の問題により、損害賠償請求の起訴に、該当するのですが、私からの本社への通告とともに、調査の徹底を求め、その上で、謝罪の文書の提出をして頂くことで、起訴方針を、取り下げることとなります。(当時案は、2年前の2024年2月17日(土曜日)の営業所の一般休暇日で、清掃部門だけが、およそ出社している日になります。それから、2年後2026年2月17日を本社通告の予定日としていましたが、もう泣き寝入りする格好で、活動の方で、やることが多いので、何もしないでしょう。知っている関係者が居たら、厳重管理と注意を忘れないでいただきたい。)

 

 当該会社の私の同意無く、個人情報の漏洩による、個人情報保護法に関する違反と、それに係る、従業員による、強制的な訪問の証拠による恐怖を与えた住居侵入罪に触れるものがあります。

 その後者につきましては、例え、その行いが善良性があったとしても、私に許可なく、家族に接してきたことによる、心境への恐怖感は、否めないものであった事実から、家族間との余計な不信感を被ってから、2年を迎えようとしている。

 よって、その事案については、住居侵入罪に当たる為である。

 これまでの3年3カ月の間に、関わった、上司についての、人格的な行動心理が、俯角であることから、致し方ないものである。

 また、その他にも、私が在職時に、所轄内の労働監督基準署内に設置されていた、無料相談所にて、大まかな概要を提示して面談をした時には、他の会社と誤解の無いようにする意向で、善意で会社名を告げたにも関わらず、及び、情報のワンストップと示されるはずであるにも関わらず、その後、私の勤めていた当該会社の従業員が、その相談に当該会社の従業員が、行ったという情報を、既に知っており、社内で私の目の前で、当時の上層の役職の者に、告げ口する場面を見ております。

 このような、行政機関の仕事を請け負う、当該会社の情報的な癒着も、さもすれば、調査の対象となることを、踏まえて頂きたいと思う所存でございます。

 

以上。

 ここの記事で紹介している事実。また、それが、過剰なハラスメントであった、証拠であります。

 また、悔しい思いをして、肩を痛めて辞めた彼女の分まで、心の正しさを訴えるものであります。

 

 

こんにちは。

インデペンデント・アーティスト、(愛称)Sシャルです。

 

 郵便バイクには、原付と、自動二輪が、有ります。

 

 もしも、非正規でも、正規でも、郵便配達をしたい人は、

 実務の話を、参考にしてくださいね。

 私は、原付のバイクで、配達歴、通算4年くらい。

 累計満5年の、内務を含めた勤務でした。

 

 期間雇用社員で、非正規の7時間労働でした。

 2013年頃、当時で、時給1400円までいきました。

 それだけの責任も多いものですし、誤配達や接遇を含めて、総合的な評価を得ていることを示しています。

 

※ 入社までには、無事故・無違反証明書は、必要になると思います。あとは、最後に記述している覚悟があれば出来るかもしれません。

 

 配達は、1人で行うので、全て、ひとりずつ責務が課せられます。

 とても、緊張感が、毎日朝から、終えるまで、続きます。

 

 とにかく、間違えないように、配達することですね。

※ 通常の郵便であれば、分からない時は、一旦持って帰って、担当区域の知っている人に確認してから、再度、翌日にまわすなどして、配達する慎重さが求められます。

 

 早朝の朝早くからの内務処理の担当:早番も務めました。
 この時は、バイクや車両運転手の点呼も、取ったりもします。

 

 細かい点検事項もチェックしないと、すべて、郵便の事故を未然に防げません。

 その責任は、リーダー等からの見極めにより、任されるものですから、

 非正規でも、この点は、非常に、緊張感のある責務で、郵便物の現物や、記入数字1つでも、間違いは見過ごせません。

 

 通常の配達においても、一通の郵便どれも、不始末にはできませんし、

 当時は、配達の証明類も、絶対に無くしてはいけない事があります。

 一日ごとの最終報告への末端処理に、大きく影響するのです。

 

 後に、遅番だけの仕事内容で、冬の間だけ勤めました。

 21時頃までに行う、1日の最終処理も報告類において、同様に、数字1つ合わないだけでも、絶対に誤魔化せません。

 その整合性が、きちんと、合うまで、帰れないことも有ります。

 

 なにか不具合があれば、その原因を、徹底に、探したりします。

 例えば、当時は、翌日5時以降から、総動員かけられて、受領して頂いた配達証の1枚の紛失のために、探すようなこともありました。

 私は、支店ではなかったのですが、町のほうの局への配属でした。

 3区間と、他一部区間の全ての住所の番地と場所は、3年間で、記憶しました。

 つまり、番地を伝えられると、そこへ配達できるようになれます。

 覚えた件数は、個人情報に触れるため、公開できません。

 

退職の時に、

 郵便法の秘密の保持に当たる法律を、遵守することに、誓約書にサインをしているからです

 返って、覚えた情報を、忘れるようにするまでは、2年以上かかりました。

 しかし、それでも、一部の番地とその付近くらいは、イメージできるものです。

 これは、個人情報を忘れたい私にとって、苦痛な事です。

 バイクは、原付ですが、足で、クラッチを切る変速式でした。

 いわゆる、Hondaの原付カブですね。

 

 冬は、ー20℃にも耐えられる、ごわごわした手袋で、ハンドルを握っていました。

 グリップヒーターも付いていますが、気温3℃~9℃でも、走行の寒風により、体感温度は、0℃~5℃くらいになります。ほぼ意味がありません。

 

 小学校のクロスカントリーの授業で、良く使っていたように、背中に胸に、タオルを入れることをして、防寒対策にしたり、

 タイヤはスノータイヤですが、住宅の間の奥に入るときの、敷地面に、水たまりの凍った状態があるところでは、全く、タイヤの意味がありません。

 ヘルメットのフェイスガードのお陰で、バイクが雪上をゆっくり進んでいても、倒れて、左ハンドルのブレーキ・レバーが、目の辺りを、突くところを、未然に防いでいたり、危険は、とても多いです。

 

 2011年の震災以降。

 被災地ではないものの、同じ郵便配達員への冥福を、黙とうしたりする翌年。

 

 それでも、3年間の無事故・無違反を、経過していました

 

 わたしは、2012年頃の、9月はじめの秋雨の豪雨に、積載が多い中で、少し後ろのブレーキをかけたら、

 横滑りして、バランスを崩したのです。

 

 そのとき、足をのせる、ステップがゴム部が破れていて、

 鉄のパイプが少し出ていたのです。

 

 それが、左足の親指の方へ、倒れて来て、挟みました。

 

 なんとか、バイクを持ち上げて、みると、

 長くつに穴が開いて、足の親指に、擦過傷と、打撲を負っていた。

 

 配達には、すぐ復帰できましたが、

 少しチクチクするなか、地域の駅伝イベントで、2.5km走りました。

 また、冬が終わるまで、少し我慢して配達していた。

ここからは、少し、話の方向が、変化しますので、ご了承ください

 

 やがて、4月に入って、左足の太もも内側だけ、赤みから、直径5センチまでの白斑が出てきて、痛くなってきたのです。
 

 白斑については、内科(赤みの段階)や、皮膚科や、整形外科からも、はっきりとした所見を貰っていません。

 これが、非常に、記憶に引っかかっています。

 

 当時、某化粧品に、放射性物質が含んでいて、塗った箇所に、皮膚が白くなるニュースがあった。

 それと似たような、白い皮膚に変わったのです。

 

 バイクの配達では、腰回りから、太ももまで、雨に濡れます。

 着ているカッパの雨漏りが原因で、肩から背中、腰回り、足へ、ほとんど体が、濡れて帰ることが多かった。

 

 この地域では、汚泥の受け入れを開始していました。

 放射性の物質の含んだ雨が、あったのかも知れないという想像。

 腰に装備する、配達かばんも、左側で、太ももを、こすり続けていきます。

 もしも、放射性物質の被ばくによるものであるとしたら、

 医師による、診療報酬の点数には、除外される所見であることかも知れないという憶測が、

 脳裏をよぎります。

 

 今現在は、白斑は消えたのですが、今でも、軽く痛みは出たりします。

 郵便配達作業の内容は、

 バイクの乗り降りが、1日に、100回以上。

 走行距離17キロ~36キロ

 玄関口まで、歩いたり、階段上ったり。

 原付バイクでは、スピードが上がらないし、

 勤務7時間中、休憩時間を10分か、15分くらいにしても、7.5時間から8時間と増えていくこともあった。

・おにぎり一個と、缶コーヒー1本。

・カロリーメイト1袋と、缶コーヒー1本。

これだけが、昼食になることも多かった。

(また、お客様の敷地に、バイクを乗り入れても良いと指導されていても・・・)

 お客様の騒音迷惑を配慮して、路肩にバイクを置いて、郵便受けまで、かけ足でいったりして時間短縮をしていたり、

 信頼を優先に、人一倍に、努力を重ねました。

 ほぼ、昼前後は、空腹を凌いで体をハードに使う、時間が長かった。

 そんな、無理をすることは、多かった。

 でも、必死に、郵便1通1通を、守ることに務めました。

 最終的に、県立病院の神経内科で、精密検査すると、もう治らないとのことでした。

 

 診断では、尾骨の辺りに、小さいヘルニアが出来ている事と、

 足を挟んでいた時に、神経を引っ張ってしまったことに起因して、

 交差するように、その片足の太ももの内側だけが、痛むということでした。

 

 自転車を漕ぐ動作を、していくと、痛みは強くなる。

 走っている事を、していくと、痛みは強くなる。

 重たいものを持ちあげることを、していくと、痛みは強くなる。

 

 この痛みは、寝ているときに、不眠を誘うので、

 対処療法の薬しか、方法はない。

 

 その後、痛みによる不眠への対処として、

 妊婦さんが、出産後にも服用することもあるような、広範囲で用法する強めの薬として、

 テグレトール、カルバマゼピンという薬を、中の下程度の用量から、はじめたのですが、

 通院途上で、2週間後、重症の肝機能の低下と、高熱の症状が出たのです。

 肝機能の数値が、上限値の、5倍以上に跳ね上がる、酷い状態で、

 ほぼ全身に、薬疹が広がっていきました。

 

 薬剤性過敏性症候群(DIHS)からの全身薬疹への対処療法となりました。

 入院で、副腎皮質ホルモンのステロイド剤の塗り込みと、服用治療3週間。

 減薬過程で、その後、3か月くらい。

 はじめは、高熱が39.8℃、体温計が、パキッって鳴ったことや、

 次第に、微熱から、平熱になっていきます。

 

 かゆみが無いし、自覚的なものは、怠いような感じしかない。

 副腎の機能チェックが、大丈夫なことで、対処療法は終わりました。

 

 しかし、体の怠いような感覚は、その後、1年くらい続いたり、

 スーパーマーケットの品出しをするようになっても、

 なぜか、帯状疱疹が、出てきたりして、

 免疫のはたらきに、アンバランスな状態が、現れていました。

 

 数年経って、今でも、座る作業をしたり、車の運転中に、痛みが出る事はありますから、治らないでしょう。

 

 〒配達は、接遇・郵便法や、道路交通法の遵守、体力が要り、事故防止の確認が多く、集中力も、忍耐も、反復しながらの記憶、まるでサバイバルの様に、自然界との対峙、そんな、路肩仕事のような、ワイルド性に挑める覚悟。

 

 続けられるのは、ケガをしない事と、無理もなるべく減らす、同僚との協力も、場所によっては異なるとは思いますが、大切なことだと思います。

 

 私は、退職後に、役立つ要素は、情報の適切な保護です。

 そして、道路交通法の遵守と、安全に対する配慮が、向上していたので、

 車の長距離運転で、東京の秋葉原まで、下道で往復し、無事故で帰ってこれる安全運転が、できるようになっていました。

 

 私は、二輪自動の免許を持っていませんが、この免許を取得して、乗務するときは、スピードが出る分、事故率も高くなりますので、お気をつけてくださいね。

 

 以上。

 

 ご覧いただき、ありがとうございます。