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Sシャルのブログ

st2workerのブログから、インデペンデント・デビュー後、Swishmar.Shellのアーティストとして、Sシャルとして、引き続き、音づくりの記録をしています。 メンタルヘルスの検定へも向学しており、音楽療法の探求も、軽やかに、行なっております。

こんにちは。

インデペンデント・アーティスト、

愛称:Sシャルです。

 

一般企業の仕事には、次のような限界がある。

 

1.一定に、与えられるものを、ただ、すれば良い。という、ところまでしか出来ない。

 

2.一定に、与えられるものを、こなしているが、合理的に、楽に出来るように改善しようとする。

 その改善が、作業を捗(はかど)らせ、仕事が楽しくなる

 しかし、働く楽しさを高めても、その一定よりも、オーバーな事は出来ない。

 

 これらの、一般社会のルールを基にして・・・。

 

3.エンターテインメントの業界では、そのオーバーである、楽しさや、面白さを作ることが出来る。

 

 とうように、楽しく仕事をすることに、オーバーなことは出来ない一般企業の仕事に、過剰に、楽しさ振さを振りまいても、ともすれば、一般社会のルールから外れ、会社の方針に沿って、注意の対象になったり、懲戒や罰則を受けなければならないこともあります。

 

 仕事で、疲れて、TVや、Youtubeチャンネルを開けば、楽しい提供で、何でもない普段の食事も、すこし軽やかになる。

 

 そして、また、仕事へ心を入れ替えていける、支える力が、エンターテインメントの大切な仕事。

 

 ここで、紹介するのは、そんな、エンターテインメントを提供する立場へも視点を移して語ります。

 

 

さて、今朝の平野。

初雪のふかふかの上に、

まだ残る、枯れた猫じゃらし。

 私は、この写真のような、寒気が訪れると、郵便バイク(原付カブ)の配達で、手が、かじかんで、荷物や、書留郵便などの不在通知書に、お名前などを記入するときに、書けなくなる。

 

 そんな、仕事で、面白くないことを、思い起こす。

 

 でも、なんとか、貼るホッカイロを、腕の静脈や、筋肉のスジにポイントを絞って、温めると、意外と、かじかむ手が、少し動きやすくなることが、分かりました。

 

 そんなとき、仕事の苦しみが、少し取れて、面白くなる。

 

 氷点下マイナス 20℃ 対応の手袋(中綿のごわごわするもの)で、移動するときだけは付けて、郵便はがきなどを、指でさばく時だけは外して、配達する。

 

 すると、アラレが降ってきて、それが、手に当たって痛くなるのことも防ぐことができて、作業ストレスが減った

 

 そんな副効果もあったお陰で、もっと快適で、面白くなった。

 

 こんな風に、0℃から、3℃の気温下で、雪の降る時期の郵便バイクの配達は、過酷なのに、改善を見つけて、その中の、快適な作業を、発見していきました。

 

 


 

 私は、25年程の社会人経験の集大成で、国家資格である、運行管理者の資格者証の交付を受けていることは、ひとつの名目として、アーティスティックに表現しておきたいと思います。

 

 個人的に、色々なことをしたりするほうが、好むタイプだったようです。

 

 先の、郵便バイクの配達でもあったように、真面目に、色々な工夫をしては、楽しんでいたものの、一般の仕事には、上限があり、オーバーなアイデアが、あっても、活かされない。

 

 だから、一般的なルールは、遵守することは、十分出来ていても、そのうち、物足りないような気がして来ていたのは、内心、感じていました。

 

 実際、前職の清掃業をしながら、転職活動して、面接に行って、製造関係の会社の人からは、「支離滅裂だね。」と、不採用に触れることを、言い渡されました。

 

 わたしのように、色々考えてるタイプには、一般的な際限のある仕事には、向かないのだという事が、謙虚に、自己理解することになりました。

 

 高校の時から、直感的に思っていた、エンターテインメント関係の仕事には、向いていたのかも知れません。

 

 今は、インデペンデント・アーティストとして、プロフィール活動を行なっていますが、この気づきを、確かめつつあります。

 

 

 

 さて、以前に、小学校時代のファミコンのゲームなど、お話をしました。

 

 ゲームは、社会の入り口地点” だと思います。

 

 私は世代的に無縁でしたが、竹馬ベーゴマメンコ

 これを知っている人なら、特に意識が高いと思います。

 

 ”大人から教わる。そして、子供は、遊んで、社会への入り口を見つける。”

 と、こういうことです。

 

 サラリーマンでも、一定の仕事を、終えると、その入り口に戻り、ゲームに新しい刺激を求めることも、心をリセットするような効果ですよね。

 

 しかし、

 子供と同じく、ゲームに、お金や、電気を使う様になってから、色々と、生活に制限があるのは、凧揚げとか、コマまわしとか、けん玉、と比べれば、少し残念なことですよね。

 

 

 一方で、ゲームを開発して、提供する立場であれば、その楽しさの追及には、際限は無いと思います。

 

 音楽も提供することで、人に与えたいと思う影響力に、際限は無いでしょう。

 

 一般のルールを基にして、オーバー、かつ、自由度を高くして、面白くなっていれば、エンターテインメントとして、成り立っていると思う。

 

 そのために、色々な事を考えられるというのは、より表現の広さを持っているといったことになります。

 

ビックリマークここで、ヒントになる話をします。

 

 人は、原始時代に、周囲の物をつかって、色々な、発見をしてきました。

 

 たまたま・・・。

 a. 石を木の棒に付けてみたら、鈍器(どんき)になった。骨

 b. ある石と、ある石を、打ってみたら、火花が出た。ドンッ

 c. 火花を、藁(わら)に落としてみたら、熱いものが出た。メラメラ

 d. その熱いものに触れたら、それが変化した。サーチ

 e. 食べられないものを、熱いもに触れさせてみたら、食べられるようなものに変化した。ラーメン

 

 という、

 様々な発見、そして、身近にあるものから、色々何かしてみたら、また新しいものが見つかった。

 

 例えば、人としての食生活は、今でさえも、進化しています。

 

 一般企業の、一過性の作業が、配属される分類を受けて、それぞれ異なるものの、手探りで、もっと良くできないかと、考えられるような、余裕を、生み出したいところです。

 

 そんなときは、休暇などに、普段から、何か、楽しい事を見つける事が、ふと仕事にも、活かされるというシーンがあると聞きます。

 

 先の、楽しいものを提供する仕事の場合、プライベートでは、身近なものに触れるか、特異的なものから感じることなど、楽しさを発見することもできそうです。

 

 同じように、エンターテインメントの提供では、何でもないものを、面白くして、それを拡張をする仕事でもあると思っています。

 

 

 

 私は、前職の退職間際に、有給休暇の消化を図っていただいているときに、出来れば、当時、まだ連絡がとれそうな彼女と出かけたい所があったのですが、結局、メールの返事が無く、ひとりで行った所があります。

 

(彼女とは、結局、退職日2023年12月31日をもって、訳が分からないまま、一切メールの返事が無くなり、わたしは孤独になりました。)

 

 もしも、彼女が一緒に行くと言ってくれていたら、頭文字Dの、とうふ屋が、モデルとなった場所に、おもちゃ館があって、少し面白いところを見たかったのですが、結局、ひとり、落ち着いた場所で、次の所に向かいました。

 

 2023年11月下旬に行った、群馬県の、富岡市立 美術博物館 ・ 福沢一郎記念美術館です。

 この写真は、駐車場内のもの。

 もみじ平総合公園内の一番際立って、きれいな、もみじの紅葉でした。

 とても、素晴らしく、キレイに、手入れされている様でした。

 

 土曜の夕方だったので、館内2Fに行くと、案内の職員ひとりが、見回っていただけて、私一人しか居ませんでした。

 

 最後に、1Fで、地元の写真クラブの展示会も、無料開催していました。

 正装した壮年の方々が、居らして、受付で、署名と、住所を求められて、書こうとしましたが・・・。

 「旅の者ですから。書かなくても宜しいですか。」と了解をもらって、素晴らしい、群馬県内の写真を、観覧させて貰いました。

 

 見終わったあとの、帰りは、16:50頃で、閉館が迫っていました。

 

 こんな小さい旅をしてきたのですが、富岡市の考古・歴史・民族資料の展示や、福沢一郎画伯の絵画の作品から、なんとも言えない感覚を、静かに教わってきました。

 

 退職間際の心身症の初期に掛かっていても、かなり、緩和されつつも、転職理由で辞めるので、そのまま資格試験の学習に、向かう気持ちを、継続できたのは、大きい心理的な収穫であったのです。

 

 

 以上ですが、楽しさを提供する側の立場を考えると、スタッフとして支えられる仕事なら、私は、向いているのかも知れませんね。

 

 楽しい事を教わるのも、社会の入り口の原点であること。

 

 社会人になっても、その原点に触れる、休息は、必要でしょうね。

 

最後に、今回の一曲。

「終わりの世界から」

アーティスト:やなぎなぎ

ソングライター:麻枝准

出典:NBCUniversal Entertainment

 

Hello.
I’m Swishmar Shell, an independent artist.

I’ve always believed that simply meeting someone’s eyes can create entire scenes—moments filled with emotion, intention, and unspoken meaning.

 

When I was in elementary school, I was taught to “look at the principal’s eyes, and at the eyes of the person speaking.”


Around the same time, my grandmother taught me proper manners: to greet visitors politely and look at them when I spoke.

 

These two influences shaped me.
They trained me to receive what is conveyed through someone’s eyes—something far deeper than spoken language.

 

In this article, I’d like to separate different real-life scenes and explore the many kinds of “eyes” we encounter.
This is not about judging people.
 

Rather, it is a perspective useful for creating scenes in film or drama—and for understanding what we learn only through face‑to‑face interaction.

These are my personal impressions.
I hope you’ll read them as such.

 

1. Eyes That Trust You

When I worked in personal sales during my time as a postal delivery worker, the moments when I achieved results always came from one thing:

my honest, straightforward heart.

 

To see your own eyes, you need a mirror—another person.

What kind of eyes did I have back then, when customers bought postcards or catalog items from me?

 

Later, when I worked in cleaning services, a coworker I trusted would sometimes spend time with me outside of work.
 

Her eyes would look gently and directly into the back of mine—slightly downward, calm, steady.

 

That is what trusting eyes feel like.

 

2. Eyes That Doubt You

When I was in second or third grade, a childhood friend once told me:

“You lie sometimes.”

 

I hadn’t meant to lie.
I was simply imagining a future where he could come to my house to play video games, even though I didn’t own a console yet.


Because it didn’t happen immediately, he thought I was lying.

 

His eyes back then looked toward the outer corner of my eyes, then toward my eyebrows—an unmistakable expression of doubt.

 

That is what doubting eyes feel like.

 

3. Eyes That Try to Use You

In my mid‑twenties, an older coworker often asked me to help with documents and computer improvements.


Even after I left the job, he continued to rely on me for personal matters.
I listened out of kindness.

 

But eventually he said,
“I don’t want to see your face anymore.”

 

His eyes carried a deep loneliness, yet his actions showed he had only been using me.

 

When he spoke, his gaze seemed to come toward my eyes—but not quite.


It passed slightly above my ear, brushing past me.

That is what eyes that try to use someone feel like.

 

4. Eyes That Lie

I’ve never been good at lying.


Even songs that include the word “lie” were hard for me to emotionally understand.

But in real life, people’s words can mislead us.

 

When someone is lying, their eyes may seem to look at yours, but the gaze lands slightly above—on the temple or above the eye.

That is what lying eyes feel like.

Sometimes this overlaps with the “eyes that use you.”

 

If you focus only on words, you can be deceived.
But if you look at the eyes, you can often sense the discomfort immediately.

 

5. Eyes That Want Something From You

This is common in animation:
a slightly upward gaze, brushing softly across your eyes.

That is what eyes that want to ask for something feel like.

 

6. Eyes That Look Down on You

I’ve been insulted many times in my life.
Those eyes are unforgettable.

 

They strike upward—toward the upper back of your eyes.

That is what eyes that look down on someone feel like.

 

7. Eyes That Are Surprised or Not Really Listening

When someone thinks your story doesn’t matter, their eyes wander.


They avoid meeting yours, darting around restlessly.

That is what surprised or unsettled eyes feel like.

 

Related: Eyes That Don’t Believe You, or That Mock You

When someone thinks,
“That can’t be true,”
or
“This person never makes sense,”
their gaze bends strangely, as if touching the back of your head.

That is what mocking or disbelieving eyes feel like.

 

8. Eyes That Truly Receive You

When someone listens sincerely, their gaze feels like it passes through the center of your eyes and out the back of your head.

That is what eyes that accept you feel like.

 

9. Eyes That Compare You to Others

When someone looks at your eyes and says things like:

“You look tired.”
“You don’t seem lively.”
“You have beautiful eyes.”

 

If they are being honest, these impressions often reflect their own inner nature—how they compare people.

 

This is the feeling of eyes that compare.

 

A Personal Example

A former supervisor once said my eyes were “beautiful.”


But later, on my final day at work, he told me:

“You should communicate more.”

His gaze struck the upper back of my eyes, brushed past my ear, and touched the back of my head.

 

A combination of looking down, not trusting, and still wanting to use me.

 

This same person even came to my home uninvited after I left the company.

 

A Lesson for Job Interviews

When asked,
“Do you have any questions for us?”
I now ask:

“What kind of impression did my eyes give you while I was speaking?”

 

Their words don’t matter.
Their gaze does.

 

A gentle gaze toward the lower back of your eyes means trust.
A gaze that passes behind your ear means they want to use you.
 

A gaze toward the outer corner or above the eye means doubt or dishonesty.
A gaze toward the back of your head means mockery or disbelief.

 

By reflecting on this afterward, you can protect your self‑respect and choose a workplace where both sides can thrive.

 

Why This Matters

During holidays, or while watching films and dramas, you might notice these subtle differences in the actors’ eyes.

Or in real conversations, even across languages, you may sense what someone’s heart is expressing.

 

If that happens, you’ll realize:

Words are only a supplement.
The heart speaks first.

As Japanese traditions evolve, our expressions of the heart also change.
 

But if we choose to preserve what is beautiful, we can create a richer human culture.

 

As an independent artist, I express these feelings through music—capturing the “true self” that everyone carries.

 

Just like actors create countless emotions through their eyes,
I hope to create scenes of the heart through my art.

 

 

“One Flight Down”
Artist: Norah Jones
Songwriter: Jesse Harris
Producer: Arif Mardin
Source: CM BLUE NOTE (A92), Sony Music Publishing

 

The piano score for this piece has been published, and I’ve played parts of it myself.
My connection to the song began when I heard it in a film—it became a quiet turning point for me.

“The Story”
Artist & Songwriter: Norah Jones
Producer: Lee Alexander
Source: Blue Note Records, Sony Music Publishing

 

こんにちは。

インデペンデント・アーティスト、Swhishmar.Shell です。

 お酒を、飲み交わす。

 

 古風な日本の結婚式に見られます。

 

 代表的なものとして、

 和式の結婚式で、

 嫁入りする人などの実家で、

 お酒を交えるというのは、

 契りを交わすというシーンでもあると思っています。

 

 このような、両親の挙式の写真を、

 子供の頃に見ていたら、

 和装で、お酒を飲む場面があったり、

 どんな雰囲気で行われていたのかは、

 想像上で、少し知っているつもりです。


 挙式場ではなく、

 家で行われる形式。

 

 そんな、契りを交わすことで、

 ほかに、思い浮かぶのは、

 

 三国志の物語で、

 劉備玄徳と、張飛と関羽との義兄弟となるシーン。

 ここに誓い合う、お酒が酌み交わされるというもの。

 

 いずれも、

 お酒を飲むということは、

 他人と、心を誠実に向かい合わせる、

 清潔感と、凛としている雰囲気を

 漂わせるイメージのようですね。

 

 このようにして、お酒は飲むものと、思っています。

 

 ですから、

 晩酌については、

 少し感覚が違う、気がしてきます。

 

 私は、東京の専門学校へ通い出してから、

 地域の学生たちとの、励まし合う関係上で、

 こじんまりと、健康食の食堂で、夜に集まって

 野菜中心の料理が出されながら、

 4人から5人で、お酒を共にしたことが有ります。

 

 新入生となった、歓迎会の様に、

 これから、大変だけど頑張って行きましょう!

 と言う様な、心の約束を交わすような雰囲気でした。

 

 ここで、はじめて、生ビールを飲んだのですが、

 とても、楽しい契りとなった気がしています。

 

 ローカル社会では、

 大学生となるような年齢19歳頃には、

 すでに、お酒を飲んでいる人も多かったりします。

 

 当初の私は、

 それでも、まだ、良好な、お酒の使い道を、

 初歩的に、覚えることが、できたのです。

 

 ですから、ひとりで、飲むことには、

 気が進みませんでした。

 

 夏休みに帰省して、祖母に合うと、

 まだ、19歳でも、”少しどうだ?”といわれw

 缶ビールを勧められて、

 一緒に、食事を共にしたときがあります。

 

 祖母の夫であった、祖父は、

 病気で、早くから、お別れしていた。

 だから、1人暮らしのままでした。

 

 私は、その父方の祖父に、会ったことは無い。

 

 このように、

 祖母も、わたしの、一時(いっとき)の、

 旅帰りに、すこし、侘(わび)しさが有った分と、

 辛い事のあるようなことを、悟ってくれたのかも知れませんね。

 

 

 さて、

 この心交わすためのお酒のシーン。

 楽しいという感覚をおぼえているから、

 社会人での飲み会においては、

 大人しい私であるからこそ、

 結構、参加していくことが、多かった。

 

 しかし、

 家の、介護の事情が重なってくる時期から、

 それによる、個人的な苦痛を、会社の人たちと

 分かち合う事は、さすがに、出来ないものですよね。

 

 だから、

 実家の介護事情に割り入ってから、

 そのような、集まりでの、

 お酒のシーンがあるところには、

 気が進まないものですし、かえって、無理も出来ない。

 

 と、そんなふうに、

 胸に手を当てて、心を感じていることは、

 お酒では、誤魔化せないものです。

 

 

 医学的な解釈と、自己評価で、考えると…

 お酒を摂りつづける場合。

 

1.はじめは、意識の狭窄(思考の範囲が狭くなる)

2.そのうち、意識の混濁(何を言っているかの自覚が鈍くなる)

3.最終的に、意識の消失(昏睡状態)

 

 という段階で、重症化すると分かっています。

 

 ※ 以下からは、批判的ではない事を、ご理解ください。

 

 実家では、

 父親が、お酒を、ひとりで酌を打っていることが多かったので、

 ちょっとした、会話なのに、

 大きな口論状態に、変わることが、よくあったのです。

 

 お酒の影響で、意識の狭窄の初期段階でも、

 ”ちゃぶ台返し”というように、話を基を返したがるので、

 互いに、言っていることが、分からないのか?

 という会話が、つづいて、グシャグシャとなるのです。

 

 そのように、

 できるならば、わたしは、お酒の向き合い方に、いささか、敏感なのです。

 

 自宅介護のストレスでは、このような、延長線上で、

 母親を、四つん這いにさせて謝らせるほどの、

 重大な、脅迫行為を、一方的に、父親はしていました。

 

 その現場を見る私は、DVの現場に戸惑い、恐怖を味わいました。

 

 110番で、対処しようとしても、ワン切りで、抑えたものの、

 警官3人が来て事情をとりあえず、話すことになったのですが、

 電話を掛けた私が、「すみません。」と、なぜか謝りながら、

 ”ストレスのある介護事情が、すべて原因である”

 ことを説明したのです。

 

 父親は、このことに、警官からの注意に、笑いながら誤魔化していた姿を見ました。

 

 その後は、さすがに、息子の私でさえも、恨むことになっているでしょう。

 

 祖母が自宅介護のお陰で、他界しても、

 このような事案の、後では、気まずさは、続き、

 わたしは、実家を離れて、

 独立して生活していきたいと思っています。

 

 (退職後、前職の元上司が、執拗に、強制自宅訪問さえしなければ、まだ穏便であったのに…。)

 

 私が、前職の会社を辞めてからも、

 私の言うことを、父は、酒を飲まずして聴くことができぬほどに、

 心を閉ざそうとしているので、

 なかなか、わたしの言うことに、理解を伴わないという、悪循環です。

 

 兄妹の中で、次男の私だけが、夢を一旦あきらめて、

 実家に暮らし、25年。

 地元の、望まない仕事にも、

 あえて頑張れば、続けられるものとして、

 どの職業にも、プライドを持てるほど、頑張り抜いていました。

 

 そんな、わたしの心など、どこへ行ったのか?

 家族は、まるで、物静かな次男のわたしに、気づかずに、

 順風満帆のような、実家を離れていく兄妹のほうを、

 着目してしまい易いものです。

 

 兄妹の仕事や結婚、学業成就。

 ライフイベントの祝い事のほうが、気が楽ですからね。

 

 マイナーな、わたしのことなど、

 正直、向き合いにくいでしょう。

 

 そんな中、前職で、知り合った彼女は、

 協働関係の仲の、幸せを共にしてくれて、

 プライベートを、一緒に出歩くようになった。

 

 家族からの見えぬ束縛を振り切り、

 勝手に独り歩きするような、しあわせ。

 

 少し、複雑な理解になると思います。

 

 職場で、支えてくれた彼女。

 私は、彼女の苦悩とストレスを支えた。 

 せめて、生きてくれていれば、

 彼女との契りのお酒も、いつか交わせただろうに…。

 

(※実際は、会えない事しか、私は知らない。)

 

 

 ※ここからの記述は、後ろ向きではない事を、ご了承ください。

 

 ここで、思ってしまうのです。

 

 どんなに、

 頑張っている中での幸せがあっても、

 世俗は、結局、そんな頑張る幸せさえも、

 奪おうとするものであると。

 

 メンタルヘルスの学習では、年間の自殺者数は、

 統計2万人を下回らないまま、続いている。

 

 そう学んでいて、少し気を許すならば、

 その2万人に、私も、実際のところ、選ばれているのでは?

 という、ひどい考えも出るものです。

 

 ですが、

 彼女の会えないことは、想像もしたくないが、

 失う事の辛さに対して、

 わたしは、勇気をもって、示したい。

 

 命の限界まで挑戦する必要があると思うし、

 どんなことも、諦めないでほしい。

 

 私は、山岳部の経験から、

 自然と、ひとが、

 美しい心で、生きられさえすれば、

 どんな場所であろうと、

 地球で、その人にしかないものを、成せると思います。

 

 

 わたしの、

 インデペンデント・アーティスト活動が、

 きっと、なにかの、支えになればと思います。

 

 ご覧いただき、ありがとうございます。

 

 こんな心情を映すときを、カバーする曲で、終わります。

「SPICE」

アーティスト:SCANDAL

ソングライター:MAMI, Rina

出典:Colourful Records