Blonde Fake! -2ページ目

年越しinサンフランシスコ

2日前の30日から年越しでサンタモニカに小旅行。
今日元旦の夜にLAに帰還。

小旅行って言っても友達の友達ん家に滞在して
市内をブラっとしたぐらい。
でもハイウェーを車でぶっ飛ばして6時間だから
ヤッパリちょっとした旅行気分だった。

酒はもちろん夜バッチリ飲んだけど、
色んなおいしい食べ物に出会えたな。
エチオピア料理にアフガニスタン料理。
二日酔いの朝にコッテリなアメリカンブレックファーストに
打ちのめされ、大晦日の夜はイタリアンでダブルパンチ。
遅く目ざめた元旦の朝に飲茶ってのも悪くない。

年越しソバにおせちもいいけどサンフランシスコの
ニューイヤーズを満喫したな。

それにしても初夢は最悪だったな。

えせ日本人inアメリカ パート2

少し前にアクターをしている友人から聞いた話。

日本でも公開されているハリウッドの重鎮が日米両サイドから描いた戦争映画。

その撮影には友人と同じくアメリカで活動する日本人のアクターと

日本から来た日本の役者陣の混合チーム。

その中でアメリカでキャスティングされた1人の若いアクターA君が

礼儀知らずな振る舞いや言葉遣いをしていたらしい。

もちろん日本の映画界や演劇界は礼儀や先輩後輩関係には厳しいので

日本の俳優たちはそのA君の事をかなり気に障っていたらしく、

キレる寸前でまでいってたらしい。

友人は同じアメリカからの日本人俳優という事でよっぽどそいつに

教育的指導を施そうかとまで思っていたほど。


その若いアクターA君の気持ちも分からないでも無い。

何も頼る物も無く知人も居ない外国の地で俳優としてやってきた自負と

アメリカ人俳優と契約上同じ条件でこの映画に出演しているのだから。

つまり彼の言い分は上下関係がある日本の映画界や演劇界とは

違う所で自分は活動し、日本から来た俳優陣とは違うということだろう。


俺はこの話を聞いた時はなんてバカなヤツなんだろうと思った。

彼の言いたい事は分かるし理解できる所もあるんだが、

結局は日本人としての自分が日本人の役柄として配役されている

という大前提を無視してしまっていると言う事。

その彼が全く日本人と関係ないアメリカ映画のボブという名の役を

アメリカ人の俳優と競いあって勝ち取ったならまた話も違ってくるんだが。

結局日本人や日本文化の土俵内で役者をしておきながら、

日本の文化(礼儀作法、言葉遣い、目上の者を敬うなど)を否定するって

自分自身やその役を否定してる事と同じじゃん。

そうヤツに日本兵役をきちんと演じられるのか?

これじゃハリウッドや外国映画が描く誤った日本や日本人像に対して文句も言えなくなる。


アメリカにいると馬鹿なアメリカ人に沢山出会うけど、

同じぐらい頭の悪い日本人も沢山見かけるな。

そして馬鹿なヤツの一番の罪はそれを自覚していない事だろう。

映画評:Vol.1「バベル」- その2

映画評 「バベル」ーその2

トピック的にはその1とはあまり関連性は無いと思いますが、

はじめにその1を読んだ方がいいかも。


注:日本では未公開でネタばれもありますので以下に読み進める方は
その事を念頭において下さい。



今回はこの映画の中での「宗教」

ハッキリ言って宗教は具体的になんら取り上げられていない様に感じる。

題材的には取り上げやすいとは思うが。

監督自身献身的なカトリックが多いメキシコ人であるし。


ロケーションで言えばモロッコでのイスラム教に、メキシコでのカトリック。

だが映画の中では宗教的観点からは描かれておらず、

道徳的または慣習的にしか存在していない。

兄や父親にいとこの着替えを覗いた事で叱られる少年。

故郷での息子の結婚式。

思わず口にする習慣的な懺悔の言葉。

壁に掛かったキリストの絵。

そのどれもが日常的なものとして映し出されている。やはり監督は

この映画の中で取り立てて宗教に焦点を絞っていないのが分かる。

自分がびっくりしたのは意外と日本人が持っている宗教観と

大きく異ならないのでは?と感じたことだった。


それでは他の2つの都市ではどのように扱われているのか?

アメリカのシーンは殆ど無いのでここでは論じないが、

では日本の場合はどうだろう?


日本の場合一般的に無宗教だと認識されている。

もちろん映画でも仏教や神道など一切描かれる事は無いが、

逆にどこか一番宗教的に描かれている様に感じた。


菊池凛子を軸に日本の若者達が登場する。

多分世界情勢的に見ても(少なくとも映画の中では)日本の若者達は

今現在その繁栄を謳歌している様に感じられる。

自分が住んでいるアメリカ、ロサンゼルスに比べても

今の東京は栄華をほこっている。

まるで古代バビロンやローマの住人もそうであったと想像させるほどだ。

そこでその日本の東京のどこに宗教が描かれていたのか?

先ほど書いたように「宗教」は一切出てこない。

しかし登場する日本の若者はどこか狂信的だ。

ある宗教を盲目的に信仰する信者の様に写って見える。

その「宗教」が何なのか?彼等が必用に追い求めるものは?

熱心に信仰するものとは?それは決して解らない。(快楽か?)

しかしスクリーンに映るその狂信的な姿があるシーンで結実する。

菊池らが入っていくクラブの天井に映し出される幻想的な

ビジュアル光線を目にした瞬間だ。

疑いを持たぬ信者たちの前に現れた神の光の美しいことよ。


これは宗教を用いずに宗教を描いたシーンなのでは?

どう思いますか?