Blonde Fake!
アメリカはロサンゼルスにて映画監督を目指し奮闘中。

映画のことから、音楽、アートや日常のことまで、つまりは何でもありのブログです。

タイトルのブロンド・フェイクとは自分が考えたロサンゼルスという街の愛称。
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「大日本人」完成を祝って:ダウンタウンの笑い

日本では公開が迫ってきた「大日本人」楽しみですね。
数々の傑作コントを生み出してきた松本人志。
その演出術が映画処女作にどう表れているか?

日本の映画界やお笑い界のみならず様々な分野から
注目が集まっていますね。


俺的には「ビジュアルバム」等かなりツボにハマったので期待大。
ただしコントと映画は違うのでその辺はどう修正してるのか?

よくCMやミュージックビデオ出身の監督作品がつまらないのは
その違いを上手く把握できずにいるからで、
一般的に近いと思われがちなテレビドラマの演出にしても
それと同じ要領で映画を作ってしまうとまた1つ
駄作が生まれるだけである。

それは松本本人も重々承知していると思うので
その辺をどう処理してるのかを見るのも楽しみの1つ。


だがここアメリカでは見る事ができないので
1年待ってDVDを購入するしかないのか?
「残念...」という訳で前夜祭として
ダウンタウン&松本人志の笑いについて俺のちょっとした持論を。


まず一般的に言われている様に松本の笑いはシュールでマニアック。
その笑いの本質は大衆的ではなく、人によっては分かり難いものだろう。
ヘタしたら玄人受けだけするマニアック芸人で終わっていたかもしれない。

そこで相方の浜田雅功の存在がクローズアップされる。
よく浜田を称して松本のディープな笑いの翻訳者と言われるが
まさに的確な言回しであろう。浜田の存在があってこそ
松本の笑いが理解できる部分が大きいし、大きかった。

松本人志が日本のお笑いの歴史のみならず表現媒体の世界において
その名を後世まで残す事は間違いないが、
また浜田の名も同様に語り継がれていかなければならない。

なぜなら今俺がこうやってダウンタウン評、松本人志の笑いについて
書き記しているのも、用は浜田が先駆者であるが故。

いま松本の笑いやぼけの凄さを実感している日本人は多いが、
それはここ10年、20年の話である。

かつて島田紳助が漫才コンビとして全盛期の頃
駆け出しの新人であったダウンタウンの漫才を舞台で見て
漫才師としての引退を決めた事は有名な話である。

この感覚鋭いお笑い芸人である紳助はこの時すでに
ダウンタウン松本の笑いの凄さを知覚したのだ。
我々一般のテレビ視聴者はコレよりもっともっと後になってからしか
その才を理解することができない。

松本自身のお笑いがどんどん進化&深化していったのは
当然だが、その芽がまだ発芽して間も無い頃に
とんでもない大木になると予想、察知した紳助自身も
凄い才能の持ち主だと言えるだろう。
予想屋紳ちゃんの一世一代の大当たり!

一方相方の浜田はどうだ?30年前、中学生ですでに松本の才能に
無自覚的にではあるが気付いていたのであろう。
まだ土にも植えずに水もやる前に、種の状態を見ただけで。
(もちろん2人で育てた大木である事には間違いないが)

その事を忘れてしまっている人が多いんじゃないか?


気持ちが悪いのはアホな松本信者。
ダウンタウンの笑いが好きで松本を持ち上げ崇めるが、
一方で浜田をクサす。理解できないというよりはアホだなと思う。
多分しょーもない嫉妬だろう、ただ単に。

「浜田より自分の方が松本の笑いを理解している」
「自分が松本の相方になった方がもっと面白い」

お前等が松本の笑いを理解したよりもずっと、浜田の方がしてるって。
お前等が松本の事を大好きなのより、浜田の方が愛情も絆も持っているはずである。


何か他にもっと言い例えよう無いかな?

松本を外人で、訳の分からない言葉を話す。
浜田をその言葉を初めて理解したやつ。
それ以外の人はその言葉を全く知らない。

浜田が日本で初めてその言葉をマスターし、
それを広め、さらにはその言葉の辞典を作った。

他の人間は浜田の翻訳や辞典を使って
その言葉を理解し始める。

今やその言葉は日本で広まり多くの人に理解され、
日本で初めて理解したのが誰だろうが気にしなく、
感謝や尊敬もされていない。

という感じじゃないだろうか?

GRINDHOUSE: PLANET TERROR & DEATH PROOF

でーじ、久々の更新。

忙しすぎてブログの存在を忘れてたのとあまりの反応の無さに
どーでもいいや的あきらめ感に嘖まれてたこの頃。

だが初心を思い出し、自分自身の為に映画レビューだけでも続けて行く
新たな覚悟と決意を持って再始動!


そんな少し重苦しい書き出しをも吹き飛ばす痛快娯楽作品を紹介。
我らがタランティーノとその弟分ロドリゲスの新作豪華二本立て、
その名も「グラインドハウス」!(パルプ・フィクションと同じノリの名付け方)

70年代アメリカ映画へのノスタルジーと愛、
さらにウソ物のトレイラーも数本見れるおとくさは足を運ぶ価値あり。


ネタバレなどありますので以下に読み進める人は
それでもオッケーという事でよろしくお願いします。


ロドリゲスの「プラネットテラー」はやりたい放題のぶっトビ作品。
相変わらず好きな物全部詰め込んでしっちゃかめっちゃかにし、
悪乗り過ぎるぎりぎりのラインで上手くまとめてる才能。
キャスティングでも遊んでます。

もうマシンガンくっつけるって発想からして、ガキんちょが
まんま大きくなって今は映画で遊んでる感じ。もちろん良い意味で。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・メキシコ」での失敗から、
「シン・シティー」と本作で完全復活。


一方タランティーノの「デス・プルーフ」。
デジタルでエフェクトが多様されたロドリゲス作品と異なり、
実写のスタント撮影といういわゆる「旧式な」ダイナミック映像(←今時言わない)。

さらに「フロム・ダスク・ティル・ドーン」でやってた、映画の前後半で
ジャンルが変わるスタイルを本作でも採用。

タランティーノ脚本の面白さである会話シーンも楽しめるし、
テンションの上げ方、持っていき方もヤッパリ天下一品。

「映画とは何か?」っていうことを本当に解っているニクイ奴ですね。


中でも特筆すべきはそのシニカルな視点。

カーチェイスが高速に傾れ込み、2台の古いアメ車が
日本車をはじめとする現代の高性能車を次々と蹴散らしていく様。
失われたアメリカ車の良さとは性能なんかではなくそのかっこよさ、
つまり映画の中にあるかっこよさである。

それをテクノロジーの進歩(スタント撮影→CG)への懐疑と
シンクロさせる所もさすが。

それでいてエンディングはキレがあり爽快感があふれる
(俺的には爆笑した)エンターテイメントに仕上がった。

タランティーノ的アメリカ映画、真のハリウッド映画の復権を試みた!
と言ったら言い過ぎか?


2つの作品で共通して楽しめたのがギャグ的なアイディアやシーンの数々。
かなりオフビートの笑いがあり、日本の三池崇史監督の影響を見て取れる。
特にロドリゲスは三池をかなり意識している感ありあり。
まぁ、どっちがと言うよりは互いに影響を受け与え合ってる良い関係でしょう。


ちなみに自分が大好きなすぎむらしんいち氏の「サムライダー」
の中からパクリ?オマージュ?的なショットがあります。
(もしかしたら「サムライダー」自体も何かからの引用?かも。
作者はかなり映画好きなんで)

硫黄島からの手紙

ひさしぶりの更新。

今回は日本でも何かと話題の「硫黄島からの手紙」

映画を見たのは1ヶ月ほど前なのであんまり憶えていないんだが。

ここアメリカでも評判がよく賞レースにも候補に挙がっている。


映画の方はというと内容は割愛するとして、伝えたかった事は

日本民族が持つ犠牲の精神やその中に見いだす美学みたいなものだろう。

今まで敵国で悪者としてしか扱われてこなかった日本兵も(アメリカ人と同じ様に)

ちゃんと血の通った人間でヒューマニズムを持っているということか。


確かにアメリカ人の観客には新しく、日本人やあの戦争に対する見方も

少しは変わるだろう。そしてそれこそがこの映画の狙いだと思う。

実際アメリカ人の友達はそう感じていた。そう言う意味ではこの映画は成功だろう。

しかしそのことは我々日本人の観客にとっては決して目新しいものではない。


侍の時代から続く犠牲の精神や美学は現代日本の文化で

(今では僅かだが)感じるものだし実感しているもので、

侍映画やヤクザ映画の中にも多く見る事ができる。

ましてや日本人だとアメリカ人よりも日本人の方が

人情があるとは思うのが常なわけで

「いまさら何だっつうの」って感じた。


決して悪い映画ではないだけに日本人には評価しづらい映画だと思う。

ただハリウッドでアメリカ人監督が全編日本語で(他のアジア人ではなく)日本人のキャスト

を使って映画を作ったと言う事に意義があると思うしその心意気が

評価される所だろう。「なんとかGEISYA」よりは数倍いい。


実際日本人の役者陣は頑張ったと思う。制作状況が違う中で誇りを持って

取り組んだんではないだろうか。実際自分の友達のアクターの人も

出演していたんで何か応援するような気持ちで見ていた。


あとはヤッパリ渡辺謙はセリフをデリバーする時が素晴らしい。

トムとやった時も最後の決めの台詞が決まったけど、

今回も彼が重要な台詞を言うシーンで映画全体が救われた部分も大きい。

俺自身はどちらかと言えば自然体な俳優が好きだが

ヤッパリこういう監督や脚本家が訴えたい事を言葉にして

伝える時にはいわゆる“役者さん”の方がバシンっと決まる。

謙さんはこれでまたハリウッド内での評価を高めたんじゃないかな?
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