僕が小説の中で、好きになった人物のことを語ってみよう。
その人の名は、宮本伊織。
彼は少年時代に宮本武蔵の試合を見て、その強さに圧倒され、
武蔵の弟子になって強い兵法者になろうと決意する。
しかし、武蔵は弟子を取らない主義の人だ。
伊織は置き去りにされる。
沢庵という和尚が、そんな伊織に言う。
「武蔵の剣は邪剣だ!。武蔵に学ばずとも、もっといい師匠を探してあげよう」と、言ってくれる。
伊織は、名もなき一人の老人を紹介され、その人の弟子になり剣術を学ぶ。
伊織は右手も左手も同じぐらいの握力があったので、二刀流を勧められる。
宮本武蔵=二刀流というイメージがあるが、
武蔵はほとんどの決闘において、二刀流を用いてはいない。
一撃で相手を倒すが、その闘い方はいつも卑怯そのものであった。
毎試合極端な遅刻はするし、後ろから襲ったり、まさに邪剣、悪剣の使い手だった。
佐々木小次郎との巌流島の決闘を制した武蔵は、次の相手に伊織を選ぶ。
伊織と最初にあった日から10年の年月が経ち、伊織は立派な青年に変貌していた。
姿形、髪形、風貌、どれをとっても武蔵によく似ていた。
小次郎との試合の前に、瀬戸内の小島で、荒くれ者の海賊たち10数人を一刀両断した切り口を見た武蔵は、
その使い手が伊織であったと解ると、対戦したいと思ったのだ。
そして、ついに二人の対決が実現する。
武蔵は伊織に対し、真剣を使え!と言うが、
伊織は「木刀にします!」と言い、大小2本の木刀を構えた。
その構え方は、自然体だった。
だらりと両手を下にさげた、美しいほどに自然な構え方だった。
武蔵と伊織は、1時間も構え合ったまま、身動き一つしなかった。
静寂の時間がじりじりと過ぎる。
やがてその静寂を破るように、真剣を持った武蔵が
「ヤッー!」と打ち込んできた。
と同時に伊織の木刀が、武蔵の脳天を打ち砕く。
武蔵は、前のめりに倒れた。
伊織が後ろを振り向くと、そこには一刀両断され、
首を切り落とされた蝮(まむし)が死んでいた。
一時間に及ぶ睨みあいの中で、一匹の巨大な蝮が
伊織の後ろから襲ってこようとしていたのだ。
武蔵の剣は、伊織を狙ったものではなく、
その蝮だったのだ。
これまで卑怯な手を使い、さまざまな強敵を倒してきた武蔵が、
初めて正剣で闘った相手が伊織だった。
伊織の美しい構えを見た武蔵は、この男になら負けてもいい!
一瞬思ったのだろう。
これまでの自分の生き様を恥じたのかもしれない。
伊織の方とて、武蔵の脳天を打つ時、多少力を緩めた。
それ故に、武蔵は死ななかった。
だが脳に障害が残り、言葉も発せず、手足も自由に動かすことは出来なくなった。
そんな武蔵を、伊織は一生をかけて世話(介護)をした。
そして、宮本武蔵という名で、いろいろな書き物を残す。
今日、宮本武蔵が書いたとされ評価されている書物は、
全て伊織が書いたものだ。
武蔵との決闘のあと、伊織は自らを
山野辺伊織ではなく、宮本伊織と名乗った。
周囲の人たちは、長い間
伊織のことを、宮本武蔵だと思っていた。
それほどに、風貌が似ていたからであろう。