産まれたばかりの一人の赤ちゃん👶(男の子)が、ある商店の軒先に置き去りにされる。
そのお店を切り盛りしている美人の若い女性が、その子の育ての母親になる。
その女性の亭主が、柄の悪いスノッブな愛人(おそらくは一夜限りの)に産ませた子だったから、それは必然の理だった。
やがて少年は、スクスクと真っすぐにいい子に育ってゆく。
母親になった女性の、その子にそそぐ愛情が見事なほどに深かったからだろう。
だが実の父親は、自分の血を分けた子供でありながら、少年が物心ついた頃から、彼をひどく冷たくあしらうようになる。
肉体的な暴力はふるわなかったものの、言葉による暴力で、少年を毎日のように苦しめる。
でも少年は、父親による精神的な虐待をさえ、時には笑いに変えて、家族が崩壊しないように、母や妹たちを健気に護っている。
しかし、父親の息子に対する日々の暴言の裏には、実は息子に対する深い愛情があったことに、おそらく少年は気がつくことはなかった。
少年の育ての母となった女性でさえも、「うちの亭主は、なんであの子にばかりいつも冷たいのかしら!?」と疑念を抱くものの、まさか亭主が少年に深い愛情をそそいでいるなんてとうてい思えない。
親族の誰もが、そう思っていた。
もしかしたら、当の父親本人でさえも、自分が息子に対しこれっぽっちも愛を感じていなかったのも、又事実であったろう。
まさか自分が息子を愛していたなんて、亭主は気づいてはいなかった。
「あんながさつな女が産んだ子など、俺の子なんて認めてなんかやるものか!」
と、彼の顕在意識は考えていたに違いないのだ。
しかし、潜在意識は知っていた。
父親が息子を冷たくあしらえばあしらうほど、その分母親が深い愛情をそそいでくれることを。
一般に、育ての親はママ母と呼ばれ、実の子供ではないから、あまり可愛がらないものだ。
ましてや、どこの誰が産んだかもわからない男の子など。
それよりも、自分がお腹を痛めて産んだ娘(少年の妹)の方が、ずっと可愛いのが当たり前だろう。
そのことを潜在意識下で恐れた亭主は(本人ですら気づくことなく)、自分が少年に冷たくしさえすれば、妻(少年のママ母)はきっと息子を愛し護ってくれるはずと思ったのかもしれない。
そして実際、その通りになった。
ママ母は、実の娘よりもむしろ深い愛情を少年にそそいだ。
少年なる者、父親の愛なんかよりも母親の愛が深い方がずっといいはずと、そういう観念が亭主の中にあったに違いない(しかも自分ではそのことに全く気づくことなく)。
少年が中学2年生になった年に、実の母親(少年を産んだ人)が、突然少年の前に現れる。
実の母親は、育ての母に比べれば教養もない。
平たく言えば、スノッブな人だ。
おさい銭をがま口👛ごと賽銭箱に放り投げてしまうようなスノッブさで、どちらかと言えばあまり利発な人ではない。
息子が中2になっているのに、いまだに赤ちゃん👶のつもりで、お土産に赤ちゃん用の玩具を持ってくるほどのスノッブさだ。
少年は、実の母親の血筋を引いて、勉強は苦手だ。
ある時、父親が例のように毒舌で「馬鹿が学校へ行ったって、しょうがねえじゃねえのか!」と揶揄するのだが、
たった一人の妹がこう言う。「お兄ちゃんは、馬鹿じゃないよ!ただ、勉強ができないだけ!」
まさに、的を得た表現だ。
少年は決して勉強はできないが、馬鹿ではない!
人を思う優しい心。
友達思い、妹思いで、義理人情に厚く、いつも明るくしていて、周りの人たちを笑わせてくれる。
このナラティブは、NHKのドラマ「少年寅次郎」のストーリーの一部です。
「男はつらいよ」の寅さんの幼少期から少年時代を描いていました。
全5話でしたが、毎回笑えて涙💧が出て仕方がありませんでした。
寅次郎の友達が、秀才の同級生に馬鹿にされると、寅次郎はその少年に詰め寄りますが、秀才くんから
「君たち庶民にいくら話しても分からないだろうから----」と言われると、反論できません。
寅次郎は、〈庶民〉って?どういう意味なのか?が分からなかったからです。
でも日本という国は、このような庶民(スノッブな人)のエネルギー(波動)で出来上がってきたと、僕は思うのです。
決して豊臣秀吉や徳川家康などの為政者や、坂本龍馬や吉田松陰やその他のエリートたちが、日本を動かしてきたのではないのです。
僕は、このドラマから、そんなことを感じてしまいましたよ!
名もなき人たちの波動の凄さを!!
どんなにスノッブな庶民であっても、その人には脳みそがある。
そして脳みそがある限り、ちゃんと潜在意識が深く考えて仕事をしてくれているんですね!!