家族であれ他人 | blondcoco の人生相談

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朱夏世代(30代、40代)の うつや思春期特有の悩みが 得意分野です。


キリスト教やイスラム教には、教典がある。

キリスト教でいえば聖書があり、イスラム教にはコーランがある。

教典の中には、教義が書かれている。

世界三大宗教のうち、仏教にだけ教典がない。

(厳密にいえば、各宗派ごとに教典なるものは存在しているとは思うが、ここで<ない>と表現したのは、万人が誰であれいつでも読めるように統一された教典がない、という意味です)

このことの意味することを紐解いてゆくと、キリスト教やイスラム教は、救済を目的としているということが浮かび上がってくる。

人々を救うことを目的としているのだ。

ところが仏教はといえば、解脱(悟り)が主たる目的なのである。

人々を救うのではなく、自分自身を煩悩(欲)から解き放つことが、主たる目的となっているといえる。

キリスト教やイスラム教が外側に意識を向けているのに対し、仏教は内なる自分に向きあおうとしているのだ。


以前、若かりし頃のイチロー選手がマリナーズで活躍していた時、一部のチームメイトから「彼は、個人プレイをしている。チームのための仕事をしていない!」と非難されたことがあった。

野球やサッカーなど、チームで戦うスポーツでは、チームのためにに自己を犠牲にするということが美徳とされている。

多くの選手が、自分の成績がどうあろうとも、チームが勝てればいいんだと云っている。

これはある意味、キリスト教的なグローバルスタンダードなのだろう。


ところが、イチロー選手は、自己を高めることを第一義に考えてプレイをするのだ。

もちろんチームが勝つことがベストではあるけれど、それだけではなくて、自分がそこから何かを得られたり成長できたりする方が、試合の勝負(かちまけ)よりも、もっと大事なのだ、と彼はきっと考えていたのだろう。

そういう意味で、彼は仏教的な思想を持った、文字通りのサムライであった、ともいえる。



うつなどで悩んでいる人に対して、ぼくは、先ずは自分自身が幸せに生きることを考えて下さい、といつも云う。

たいていの人は、親のため、あるいは子供のため、夫や兄弟姉妹のために、自己を犠牲にして頑張ってしまって、その結果、うつになってしまっている。

家族👪であれ、他人なのだと考えてかまわない、とぼくは思う。

自分はどんな目にあってもいいので、この人だけは助けてほしいと思えば、その通りに自分の心や身体はボロボロに壊れてしまうのだ。

他者の救済を考えるのなら、先ずは自分が幸せになるべきだ。

自分が幸せな生き方をしていれば、おのずとその良い波動が周囲に伝染してゆくものだから。