カムチャツカ | blondcoco の人生相談

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巨大な面積を持つロシアの最も東の果てに、カムチャツカ半島がある。

一見すると島のようにも見えるが、その付け根の部分は、たしかにユーラシア大陸につながっているので、それは半島なのである。

しかし半島とはいえ、その長さといい、面積といい、おそらくは日本列島(北海道から九州まで)が、まるごとすっぽりと入ってしまうほどに巨大なものだ。


北海道から千島列島に沿って、そのままずっと北上してゆけば、この巨大な列島にたどり着くことができる。

子供の頃、こんな北極圏に近い半島に、人は棲んでいるのだろうか?と思ったことがある。

地図上から見ても、いかにも寂しそうな半島に見える。

町らしい町といえば、ペトロパブロフスクぐらいしかない。

鉄道は全く敷かれていないし、空路は開かれているのかすらも判らない。

かつてこの辺境の地に、ロシアの文豪ドストエフスキーも流されていた。

その当時は、シベリアの大地からオホーツク海を横断して、この兄弟な半島に向かったのだろうか?


それよりも更に100年ほど前(江戸時代中期)には、高田屋嘉兵衛が捕虜としてこの地に運ばれている。

嘉兵衛の手記によると、一番大きなペトロパブロフスクの町ですら、当時の戸数は30ぐらいなものであった。

想像を絶するほどの極寒の地で、彼はロシア語を習得すべく励み、町人の身でありながらも、日本国の捕虜として堂々と振る舞っていたのには感動を禁じ得ない。


嘉兵衛以前にも、何人かの船乗りたちが北海道沖で嵐に遭遇し、そのままこのカムチャツカの大地まで流されてしまった人たちが数名いた。

彼らは、首都サンクトペテルブルグまで連れて行かれ、皇帝から日本の国のあらましを、微に入り細に入り尋問された。

(どんな支配体制になっているのか?一般の人たちはどんなものを食べているのか?等)

その後、彼らの多くは通じ(通訳)になったりして、そのまま帰化してしまった。

徳川時代、いかなる理由があろうとも、海外へ渡航することは国禁とされていた。

たとえ不慮の事故に遭い、そのまま外国へ行ってしまったとしても、帰国すれば罪人として重い処罰が課せられたのだ。


しかし今も尚、この地(カムチャツカ)への日本からの航路はもちろん、空路もいまだにないのである。

そこへ行くには、いったんロシアのウラジオストクへ渡り、そこからオホーツク海という難所(海流が渦を巻いている)を、船で行くしかないように思われる。

行ったとて、そこには観光するような所は何もない。

魂の辺境が、もしもあるとすれば、きっとこのカムチャツカの大地なのだろう。

無だけがある。そんな半島だ。

プラクティカルには、大小さまざまな火山群がこの半島にはある。


ロシアはかつて欧米列強の中で遅れを取り、世界中の主だった土地は、他の国(イギリス、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガルなど)に植民地としてかすめ取られていた為、自国の領地を拡げるのには、シベリアをどんどん東進してゆくしかなかったのだ。

(行けば、そこがすなわち自国の領地となる時代だった)

ようやく海に到達して(オホーツク海だった)、そこから更に船で東進して、このカムチャツカの大地を発見したのだ。

その時、最初彼らは、ここは島だと思ったはずだ。

しかし探査してみると、北極圏に近い所で、シベリアの大地とつながっていて、半島であるということが分かったのだ。


現在このカムチャツカには、ロシア軍の北太平洋極東基地が置かれ、アメリカや日本などを牽制するために、原子力潜水艦などが配備されている。

寒村だったペトロパブロフスクの町も、人口は20万人を超えている。

嘉兵衛が捕虜として連れて行かれた頃とは、まさに様変わりしている。