これまでの人生の中に、いくつかの忘れられない言葉があった。
ひとつは、故渡辺淳一さんの1970年代の小説「阿寒に果つ」の中にある一文。
「おおぜいの人に看取られようとも、ただ一人原野に果てようとも、死は、死んでゆく人だけのものである」
死は、死んでゆく人だけの厳かな儀式であるのだ、とぼくはかつて深く沈思したことがある。
今も尚、この一文は、心の中に折に触れ甦ってくるのである。
もうひとつは、やはり1970年代の頃のこと。
新劇の俳優養成所での稽古中、演出家の人が発した言葉。
「出てくる奴は、どこにいても出てくる!」
大劇団に入れた人でも、役者として売れない人は多い。
一方、ちっぽけな小劇団の俳優であっても、売れている人がいる。
つまり、どこに居ようとも、売れる人は売れるものなのだということの暗喩であった。
これは役者稼業に限らず、ビジネスの世界でも、しかりだ。
一等地の立地であっても売れない店は存在し、人通りの少ない場末の裏通りでも繁盛店は生まれる。
これはビジネス以外でも、ほぼすべての分野において通底する真実なのであろう。
そしてもうひとつ、やはり1970年代に観た大長編映画「人間の条件」の中での一シーン。
仲代達矢さん演じる若き士官学校卒のエリートが、中国満州の戦地に配属されて、上官の部屋で着任の挨拶をすませたあとの場面だったと記憶している。
戦時下、陸軍の二等兵たちは、ヒエラルキーの中、軍の最下層に位置し、厳しい生活を強いられていた。
毎日が苛酷であった。
囚人扱い以下と表現してもいいのかもしれないぐらいに、彼らは小さな部屋に多人数が押し込まれ、上からの命令に背けば、日常的に鉄拳制裁が加えられていた。
軍の幹部から見れば、彼らはただの消耗品にしかすぎなかった。
上官は、彼らの日常のありさまを、顎を横に動かして仲代さんに見せた。そして云うのであった。
「君は、どう思うかね?あいつら(二等兵)が、一番望んでいることは、何だと思う?」
仲代さんは、躊躇することなく、若者らしく明瞭に応える。
「それは、自由でしょう。彼らは、自由を望んでいるのです!」
それに対し、上官は苦虫でも噛みつぶしたかのように顔を曇らせて、云うのだった。
「詩人だね、君は」
少しのサイレンスがあった。
上官は、マッチで煙草に火をつける。
それから、ゆっくりと煙草を口に持ってゆき、一口大きく吸い込むと、ふうっと煙草のけむりを吐いた。
煙りは、真っすぐに上へ上へと登り、やがて天井に達する前に消えた。
「女だよ!」
と上官は、吐きすてるように云う。
「あいつらが一番望んでいるのは、女なんだ。女が欲しいんだ。自由なんかじゃない!」
上官は、月に一度か二度、二等兵たちに休日を与えた。
休日を与えられると、彼らは我先にと駆け出してゆき、女を見れば誰であれ襲って犯した。
それゆえ中国満州の女たちは、そんな狂暴な日本兵を怖れて、大体が男のように髪を短く切り、衣服も男物をまとい、穴蔵の中に隠れたりもして、自衛していた。
戦争というものは、自由よりも、女を求めるものだったのだ。
ps
上官たちには、朝鮮などから現地調達してきた女がいた。
(娼婦などではなく、まったく普通の市井に生きる女性たちであった)
ある程度若くていい女がいれば、一方的に略奪し、軍と共に戦地を連れ回していたのだ。
彼女たちは、毎夜将校クラスの軍人の相手をさせられた。
もちろん、こんなことは軍の記録、ましてや公文書などに載ることは一切なかった。
あったということは、なかったということになった。