ある日のこと。
ぼくは、制限のある世界へ降り立った(生まれたのだ)。
少なくともそれは、ぼくの意思ではなかった(と、思う)。
おぼろげながらも、記憶とも呼べないような、かすかなものをたどってみると、
その時ぼくは、深くて渦を巻いている底なし沼のような所を覗いていた。
そうしたら、その暗闇の中に、何かの強い力によって引き込まれてしまったのだ(おそらくは)。
底なし沼の真っ暗なトンネルの中をくぐり抜けると、ぼくは人間の赤ちゃんになっていた。
ぼくは、ここがかつて聞いていた制限のある世界だということが、本能的にすぐに判った。
そしてこの先ぼくが生きてゆくであろうこの制限のある世界でのことを想うと、怖くなって思いっ切り泣いた💧。
ぼくが暴れるように泣いていたのにもかかわらず、複数の人間たちの笑い声が聞こえてきて、それでぼくはもしかして食べられてしまうのか?と不安に思い、更にもっと大きな声で泣いた💧のだった。
やがてぼくは、母と思われる人の声と、父と思われる人の声を聞き分けられるようになり、
目が見えるようになると、母の顔と父の顔を覚えた。
少なくとも二人は、ぼくの味方であると認識できた。
ぼくは、周りに見える全てのモノに興味を示した。
モノをじっと視ては、その全てのモノが何のために存在しているのか?そんなことに、とても興味を抱いた。
なにしろぼくにとって、ぼくが目にするモノは、そのどれもが初めて目にするものだったから。
夕刻、橙色の裸電球💡が灯ると、ぼくは「あかい のんの ちいたあ!」(赤い電球💡がついた!の意)と、叫んでいた。
「これは何!?」 「あれは何!?」 と全てのモノについて母に訊いた。
あげくの果てには、「ぜんぶ、何!?」と、訊いたりもした。
あまりにしつこく質問を浴びせ続けるものだから、母も途中からは、おざなりに応えていたように記憶している。
ぼくは、それらのモノに触れては、それがソリッドであることに驚いた。
(ぼくがかつていた世界にあるモノは、全てがフルーイドだった。ソリッドではなかった)
色や形や、音や匂いの存在も、ぼくにとっては初めての体験だった。
ぼくがこの世界に生まれてくる前にいた世界には、そのどれもが全てなかったものばかりだった。
この現実世界から見れば、ある意味そこは、何もなかった世界だ。
でもそこには、イマジンしさえすれば、何もかもがあった。
思うだけで、どんなことであれ実現できた。
制限というものがなかった。
枠というものがなかった。
出来ないということがなかったから、つまりそれは、否定形が存在しない世界だった。
こちらの世界には、出来ないということが無数に存在していることにも、心底驚いたものだった。
ネガティブという意味が、しばらくの間、なかなか理解出来ずにいた。
しかし物心がつく頃になると、その<出来ない>という否定形は、むしろ当然のように、ぼくの身体と心に、あたりまえのように馴染んでいった。
(かつてぼくがいた世界では、たとえ一時的に悪いことが起こったとしても、それは良いことが起こるためには、どうしても必要なことだったので、ぼくは悪いことが起こっても、ちっとも不安になることはなかったのに)
ぼくは、こちらの世界に来る時に、たった一人で来た訳ではなかった。
かつていた世界では、ぼくそのものでもあった<思考物質>を、連れてきていたのだ。
その<思考物質>は、こちらの世界では、潜在意識と呼ばれている。
ぼくは、こちらの世界での暮らしに慣れるにつれて、思考物質(潜在意識)のことを、しばらく忘れてしまっていた。
こちらの世界でのみ存在する顕在意識だけが、全てであるように錯覚して、青春期や朱夏期を無為に過ごしてしまった。
白秋期になって、ようやく思考物質(潜在意識)のことを思い出すに至ったのだった。
思考物質(潜在意識)の存在を、青春期から忘れずに生きていれば、おそらくはもっと有意義な人生を歩めたはずだ。
次にこの世界に来る時は、絶対に思考物質(潜在意識)のことを忘れないで生きてゆこう、と強く思う。
ぼくらは、影があるから生きていられるんだ!
ぼくという肉体があるから影が出来る訳ではない。
影が主役だ。
影は、<思考物質>が具現化したものなのだ。
影は、思考物質(潜在意識)がこの世に存在している唯一の証(あかし)なのである。
思考物質(潜在意識)は、この世では<影>となって、いつもぼくらの傍(そば)に寄り添っていてくれているのだ!