人間は50歳を過ぎると、未来よりも過去のことを考える時間が多くなる。
60歳を超すと、その傾向はますます強くなる。
青春時代(10代、20代)の頃は、常に未来のことしか考えていないものだ。
将来どんな仕事に就こうか?とか、どんな人と結婚しようか?とか、
どんな家に住もうか?とか、子供が出来たら、どんな風に育てようか?とか。
若い時に考えていたことは、ほとんどがこれから先の未来のことばかりだった、と思う。
ところが、白秋世代(50代、60代)になると、将来のことよりも、過去に起こった自分の人生を振り返る時間が多くなってくる。
あの時、あんなことをしてしまって、そのことで謝罪したいという気持ちが強まったり、
あるいは、あの時もしもこうしていたら、今頃は違う人生を歩んでいただろうな?とか。
ある飲み会での席のことだった。
隣りの席の人が、40代の頃は借金がちっとも怖くはなかったと、声高に喋っていた。
ところが今(70代)は、わずかの借金でも怖いのだと云う。
たしかにぼくも、そういうことは感じていた。
でも、今は違う。
70代になろうと、80代になろうとも、40代の頃のように思い切って借金してもいいと考えている。
(金融機関が、もしも貸してくれるのならという条件はつくが)
年齢のせいで、何かを諦めてはいけない、と思うのだ。
顕在意識下(現実世界)には、時間というものが存在している。
その時間は、常に未来に向かって動いている。
ということは、時間の流れと共に、人は年を取ってゆくのである。
ところが、潜在意識下(無の世界)には、時間は存在してはいない。
時間が存在していないということは、現在も過去も未来もない、ということだ。
つまりそれは、年齢を持たないことでもある。
それは、ある意味、永遠に生きるということなのだ!
自分が永遠に生きる存在ならば、年齢などはちっとも気にしなくてもよい問題となる。
現実世界においては、明日突然に死ぬということもある。
だから、いつ死んでもいいように、日頃からその準備を怠らないほうがいいだろう。
だけど同時に、永遠に生きるつもりで、どんなに年を取っても、10年後20年後を見据えて、しっかりと計画を立ててゆくべきなのだ、と思うのである。
ps
前回のブログ「大正期を想う」の記事の中での、下から2行目の部分に誤記がありました。
<後世>と記すべきところを、誤って<後生>と打ち込んでしまいました。
お詫びして、訂正させて頂きます。