1905年(明治38)の日露戦争の勝利が、日本を変えてしまった。
(日本という国家と、国民を狂気にした。この時、敗れていれば、太平洋戦争への参戦はなかったかもしれない)。
それからわずか5年後の1910年に、韓国を併合。
事実上、北朝鮮をも含め、朝鮮全土を植民地化してしまったのだ。
以後、太平洋戦争の敗戦に至る1945年(昭和20)までの35年間に渡って、韓国も北朝鮮も独立国家ではなかった(日本の支配下におかれた)。
その時代の朝鮮人たちは、創氏改名を、日本国により強制された。
創氏改名とは、古来から受け継ながれた朝鮮名ではなく、日本人に同化すべく、日本式の姓名を名乗らせたのだ。
彼らの尊厳を奪ってしまった暴挙により、いったいどれほどの日本人が、今日の韓国や北朝鮮との関係を予測できていたのであろうか?
明治の末期から大正、昭和10年代までの40年間というのは、今からざっと100年前のことである。
今日の2018年から100年前の1918年は、大正期であった。
ぼくらは大正時代のことは、夏目漱石や谷崎潤一郎などの文学書でしか、その匂いを感じることは出来ないでいるが、おそらく現代と同じような空気が流れていたのではないか?と、ぼくは想像している。
閉塞感と好戦的な風潮。
この時代の作家は、大半が自殺している。
完全に、鬱の時代といっていい。
幕末から明治維新に至る、国家が沸騰していた躁の時代のあとに訪れた、虚無感ゆえの鬱だったのだろう。
(100年後の現代も、コンプリートに鬱の時代であると云える。
1960年代から1980年代にかけての沸騰していた(高度経済成長)時代のあとに、何故か残ってしまった虚しさゆえの鬱なのだ)
歴史をかえりみれば、世紀の始まりは、いつもどこかに狂気を帯びていた。
世紀の半ばあたりで、ようやく成熟し、
世紀の後半で、美しい花を咲かせてきたのだ。
今は、21世紀のまだ前半である。
それゆえの狂気なのだ!と、あきらめるしかないのだろう。
終戦の翌年1946年には、預貯金封鎖を時の政府は断行した。
終戦後のハイパーインフレのような状況を押さえるための政策とはいえ、銀行から個人の預貯金を引き出すことが出来ないという荒療治だった。
国家というものは、国家の存続のためには、いざとなれば、何だってやるのだ!ということを、ぼくらは知っておいた方がいい。
現代は、その当時とは真逆の20年間も続いているデフレ社会である。
それでも、このデフレが更にもっと長く続くようであれば、いつ過激な政策が断行されてもおかしくはないということを、ぼくらは常に意識しておいた方がいいだろう。
だけれども、ぼくはこの狂気の時代がとっても好きです。
ある意味、これまでの人生の中で一番好きだと云ってもいいぐらいに。
ゆるやかな下り坂を、自転車で走っているように爽快です。
明日は何が起こるのかが分からない、ということは、ハラハラドキドキします。
ですが、予定調和的に平穏に時間が流れるよりも、ある意味面白いように感じるのです。
後生になって、今の時代が、いつの日か、平成ロマンと呼ばれるようになるのでしょう。
大正期が、かつてそう呼ばれていたように。