道端に見付けたキキョウの花 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。


道端にキキョウ(桔梗)の花が咲くのを見付けました。


    桔梗の紋所


この花こそ遠い遠い昔、「本能寺の変」を演じた明智光秀の紋所でした。


本能寺の変は1582年(天正10年)は明智光秀が主君織田信長が京都の本能寺に止宿中を軍勢をもって急襲、殺害した事件です。


本能寺の変は明智光秀の信長に対する怨恨説が有力でしたが、近頃四国説がクローズアップされて来ました。。明智光秀と長曾我部元親は昵懇の間柄でしたが、信長の四国攻めに苦悩する元親を援けるために本能寺の変を起こしたとする説です。


その他、信長が延暦寺を焼打ちしたことを信仰の篤い光秀があまりにもひどい仕打ちに光秀が堪えかねて凶行にでたとか、ほかにも多くの説があります。


田舎

    八上城(前方右の山)

高城山

 篠山城と八上城(前方の山)
  

光秀は信長に命じられ兵庫の丹波攻略を担当しましたが、丹波篠山(私の故郷)の戦国大名・波多野秀治の山岳城の八上城攻略には大いに苦労しました。


この城がどうしても落せないので、最後の策として、自分の母親(乳母の説も)を人質に出し、秀治を下山させました。光秀は信長に必死に和戦を進上しましたが、信長は冷酷にも秀治を切ることを命じ、この結果、光秀の母は城兵により松の木に縛られ殺されました。このことを光秀が恨んで信長を殺したとも言われています。


その松の木は今も八上城に残っています。八上城の建つ山は高さ500メートルほどの高城山(たかしろやま)と言います。麓には家老屋敷とか、お茶屋が残されています。地元のハイキングコーです。


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