大阪に、「シャープ」という家電大手の会社があります。液晶薄型テレビとか太陽電池などの関連事業では「世界のシャープ」と称される、エレクトロニクス技術に優れた大企業です。中でも、亀山工場で生産される液晶テレビAQUOSは、世界のブランドでしょう。
3/1日の産経新聞などの報道によれば、シャープ新社長に
若干49歳の新社長が就任するようです。新進気鋭の社長を迎えて、シャープの更なる発展が予感されます。
この「シャープ」の前身を語れば、「ものつくり日本」の原点を知る事が出来ます。日本の電機産業の歴史を知る事にもなりますので、今日は「シャープ」について語ります。
シャープの創業者は、早川徳次ですが、1912年(大正元年)ごろ、東京で金属加工職人として、かんざしを作ったりして、暮らしを立てていました。
とにかくアイディア・マンで器用な金属加工の腕を生かして、1915年(大正4年)に「早川式繰り出し鉛筆」を完成。この時早川徳次、若干23歳の時でした。
「早川式繰り出し・・・」と言っても何のことか分りませんが、今で言う、シャープ・ペンシルの事です。現在の社名「シャープ」はそこに由来しています。
当時、毛筆の筆書きが普通であった時代に、画期的な筆記具を開発し大成功を収めました。シャープペンシルは欧米からも引き合いが有り、社業も順調でした。しかし、皮肉な事に、1923年(大正12年)の関東大震災に遭遇、全てを失います。
この震災を契機に大阪に移り、鉱石ラジオの製造を手がけます。アメリカから鉱石ラジオを手に入れ、分解、研究に励み、1925年に国産第一号のラジオを完成しました。
東京時代、早川徳次自身で設立した、「早川兄弟商会金属文具製作所」を改組、しばらくして、社名を、「早川電機工業」に改め、後、現在の「シャープ」にしました。
1952年(昭和25年)には、米国RCA社と特許契約を結び、翌年には国産第一号の白黒テレビを発売開始。皇太子のご成婚も売り上げに弾みがつき、極めて順調に社業を伸ばしました。
「シャープ」は電卓でも他社に先駆け、研究に着手、1964年(昭和39年)に完成、製品を世に出しています。
しかし、机を占領するほどの大きさで、値段も1台53万5,000円だったと言います。しかし、オールトランジスターの電卓で、当時としては画期的な製品でした。(下の写真参照)
それ以降、カシオなども巻き込み、電卓の小型化と低価格化の熾烈な競争に突入した訳です。
心臓部に、トランジスター使用からICへ、さらにLSIへと進化、やがて、手の平サイズの電卓を世に出す事になりました。
以上、シャープの歴史を、早足で見て来ましたが、同社は、常に時代の先を読み、1歩も2歩も他社に先んじて、技術を磨き、国産初の電気製品を世に問うて来ました。
このあたりが、創業者「早川徳次の精神」が脈々と引き継がれている証と思われます。
昨年、幕張メッセで「CEATEC JAPAN 2006」が開催されました。(10/2~10/7)。
私は、最終日の10/7に出かけて来ました。その時の会場の様子です。