私は子供の頃から、電池の存在に、特別の執着とか愛着を持って来ました。何しろ、乾電池を銅線でつなぐと、豆電球を点灯したり、模型のモーターを回す事が出来ますから、まるで魔法の力を持つ特別の存在と思っていました。
電池とは、取り立てて言うまでも有りませんが、電気を発生して必要なときに、電力を取り出す事のできる便利な装置です。私達の生活の中で、灯火用、携帯電話の電源として、モバイルパソコンの電源として、今ではその電池なしでは暮らしが成り立たない程、重要な存在になってきました。
電池は戦中、戦前当時は、主として懐中電灯などの灯火用とか、ラジオ受信機、通信機の電源用に利用されてきました。
電池の歴史と言う事で調べて見ましたところ、何と2000年も前に、電池が存在したそうです!?イラクの首都バクダッドの遺跡から、つぼ製の電池と思われるものが出て来ました。1932年発見です。この電池をバクダッド電池と言うそうです。用途は、金銀の電気めっきに使用されていたのではないかと言われています。これが事実だと古代人の知恵に改めて驚きです。
日本では電池ではありませんが、江戸中期の平賀源内(1728~79)の「エレキテル」が良く知られています。これは静電気発生装置です。静電気に触れると、びりびりしますので、医療に効果がある装置と言う事になっています。
私が知る電池にまつわる面白い話としては、「小便電池」があります。この話は戦時中、中国戦線で一兵卒として、戦争を体験した人から聞いた話ですが、人尿に亜鉛板と木炭を挿入、電極とした特製電池の構造でした。その電池で電球を灯して、実用に供していたそうです。実際、人尿はアルカリ成分を含みますから、電池として実用出来たであろう事は、十分想像出来ます。戦争末期の中国戦線では、物資も不足していた事と思います。その中で生きるための最低限の工夫だったのでしょうね。当時の軍人さんの中に、電気の知識のあった人が考案したものと思います。
私は、人尿電池は流石に実験した事はありませんが、それに似た実験は中学生頃にいろいろやりました。その一部を紹介します。
それはバケツ電池といいます。現在は、水を運ぶ時などに使用するバケツは、プラスチック製ですが、私の中学生時分は、亜鉛めっきの製品が普通に使われていました。この亜鉛引きバケツが立派な電池に成ったのです。このバケツに塩水を満たします。塩の濃度は良い加減な物ですが、なめてみて、辛いと感じる程度にして、真ん中に備長炭を立てます。この時の注意として、備長炭がバケツのそこに直に触れないようにします。そうしないとショートしますからね。私は対策として、ちり紙でその備長炭をまきました。備長炭がプラスでバケツがマイナスです。
この電池で、豆電球をともす事が出来ました。当時は存在しませんでしたが、発光ダイオードだと消費電流が小さいから、何時までも光を放った事と思います。
皆さんの中に、歯の治療で、金属冠をされている方は、経験が有ると思いますが、食事のとき、一寸いやな味がすることが有ります。それは、歯の金属と食べ物の間に小さな電池が生成され、その作用で化学反応が起こった結果、変な味がしたのです。それが顕著なのは、一円玉を舐めた時、同じく変な味がします。これも、小さな小さな電池の生成の結果です。
これを実際に実験するためには、一円玉と十円玉の間に、塩水に浸したテッシュペーパーを挟みますと、十円玉(銅)のほうがプラスで、一円玉(アルミ)がマイナスの電池が出来ます。
電圧は大体、0.5ボルトが発生します。塩水の代わりに、食酢でも同じ実験が出来ます。この組み合わせを直列に積み重ねていくと、電圧がさらに高くなっていきます。この原理は、電気ナマズとか電気ウナギが450~500ボルトも発電する事の原理になっています。
電池といっても、種類が極めて多く有ります。乾電池とか、鉛蓄電池、リチューム電池など多種多用です。ここでは、乾電池を念頭に、お話しました。
戦前、戦中の手提げ電灯と当時のマンガン乾電池