S社長
お盆休みというのに、久しぶりにS社長から電話。近況を話して、また寄っててよ、と言う事だった。この社長、不動産業界では名が通っていて、顧問料だけでも何千万稼げるお方。ただそれでは面白くないという事で会社をされているが、5月に解散を宣言し、従業員を解雇。今は事務のおねぇちゃんのみ置いて、悠々自適にされている。その間の経緯は辞めさせられた役員から聞いていたが、シビアなのは知っていたが少しビックリし、またそれくらい市況が悪くなるのだろうか?とも思った。買い情報があったら教えてほしいとの事。おそらく売り物件が集まっているのだろう。そのうち一回行ってみよう。
K先生の事
K先生は母の友人だった。小5、6のある日家に帰ると、お客さんが来ていた。小児麻痺の子供で年頃は自分と同じか少し若いくらい。その子が先生の子供だった。一人で歩くことも出来ないその子を、母はかいがしく世話をしていた。自分は特に何も聞かなかった。この何も聞かないことは親しい間柄では大事だと思っている。当時うちの親父の商売はピークだったと思う。大阪から神戸に引っ越し、余裕も出た母もよく出掛けるようになっていた。母はもともと社交的で陽気、おまけにお人よしで優しい。親父も社交的ではあったが、思いやりのない身勝手で我儘。自分は相反する二人の性格を引き継いでいる。大人になって色々あってからそれがよくわかった。先生とは知り合いの紹介でゴルフのレッスンを受けるようになり、親しなって、子供の世話までするようになり、経済的な援助もしていたようだ(笑)。自分もよく練習場に誘われ、一緒に食事を何回もしたことがある。先生は気取らず気さくで、かといって余計なことも言わない、一緒にいて寛げる人だった。自分の母親の愛人?かも?知れない人と一緒にいても違和感はなかったし、複雑な事も思わなかった。なぜなら、自分は、自分が好きな人、大切な人の考える事、やる事は良いとか悪いとかの前に、まずは肯定すべきと思うタイプであったのと、親父とはうまくいってないのもわかっていたのもある。その頃から親兄弟ではなく、一人の男、女として家族を見るようになっていた。そんな自分から見て、先生はとても良い人に思えた。母はまだ33、4歳、母は幸せになるべき、と思っていた。その頃母はよく自分に、離婚してもええか?と聞いてきた。自分は躊躇なく、ええよ、と言っていた。そう聞くと母は顔をクシャクシャにして喜んだ。母の計画では、自分だけを連れて出ていく考えのようだった。一杯慰謝料をもらって(笑)。相手が先生なのかは確認しなかったのでわからなかったが。結局母と親父が離婚したのは、正式には55歳を越えてから。あまりにも遅すぎたと思う。それだけ不仲が続き、また円高で親父の商売も傾いて、45を過ぎてからの母は、幸せではなかったと思う。その間、先生は 母を支えてくれていたのだった。
帰京
結局一泊で帰京。昨晩はK先生と食事。先生は松葉杖状態。ただ滑って転けての骨折。右足の大腿部の骨を3ヶ所も完全骨折。難儀ではある。話題は近況と昔話。初めて年令をまともに聞いたが、68歳との事。白髪一つなくふさふさで羨ましい。先生はゴルフのレッスンプロ。最近はどうしているのかは聞かなかった。年金でなんとかなっているとの事。先生の人生もおもしろいというか、色々苦労はされている。高校の時に一度見てもらって、半年間毎日500発、練習すればプロになれると言われた事がある。ただ、まったくのノンキな子供だった自分にはピンとこなかった。ゴルフも特に好きではなかったし。才能はあったらしい。もしそうしていれば母は喜んで応援してくれた事だろう。後年になって後悔したことがある。我が人生はほんと悔いだらけ。