透析作曲家の独り言 -4ページ目

もっと誇りを持てるように

我々日本人には世界に誇れる文化、風習、技術、国民気質がある、いや、あった。戦後、欧米信奉から、あらゆるものを欧米化しようとするあまり、祖先が営々と築き上げ伝えてきた日本および日本人の良さを次々捨て去ってしまい、現在も尚それは続いている。国家の象徴である自分の国の国旗、国歌すら大切に思えない国民など世界中に存在するだろうか。その結果、国家及び国民は誇りを失い他国から侮られてしまうことになっている。元来、資源の少ない我が国は人間のみが資源とさえ言える。国民の能力を高めることが国力を高めることに繋がる。自国に誇りを持てなくなった国民、努力をしなくなった国民、教育レベルを下げるような愚行を敢えて行う政府、このような国の未来は危うい。知的、徳育的な教育レベルを高めることを早急に行うことが我が国が未来永劫生き残るための重要課題に思うのだが。

癒されて下さい!

5月30日からeo Music Tribe に楽曲を載せています。アーティストもリスナーも大多数が若者でしょうが、その中にまじってどこまで聴いて貰えるか楽しみです。
ブログの会員の皆さん是非応援して下さい。
私の曲は「癒される曲」といわれます。本当にそうなのか自分の耳で確かめて下さいね。
 http://eonet.jp/musictribe/
アーティスト名は 『杉本宏』です。

人間という奴は

我々は自分の思いとか考えとか様々なことを表現するのに話をしたり書いたりして伝えている。それを聞いたり読んだりした場合、人は真実と信じたり、時には感動したりもする。ところが多くの場合、真実とは程遠かったり嘘であることさえある。人間という奴はなかなか本心を素直に吐露できないものなのだ。意図的に自分を守ろうとしたり飾ろうとしたり....。われわれは又、自己欺瞞というか自己嫌悪するような自分の言行を無意識に忘れてしまっていることさえある。そのような場合、そのことを指摘されようものなら、真っ赤になって怒り出すかもしれない。それ程我々は自分のことさえ明確に把握出来ていないものなのだ。にもかかわらず人は聞いたことや読んだことを無意識に信じてしまっている。

漆黒の闇

漆黒の闇の中を何ものかが前方へ前方へと追いたてる。立ち止まることは許されず、ひたすら前へ前へと....。深い深い断崖が大きな口を開いていることを知ってはいるが場所まではわからない。追い立てられている者のなかには何時落ちるかいつ落ちるかと恐怖から逃れられない者もいれば、その存在さえも忘れて、楽し気に歩いている者もいる。圧倒的に後者が多い筈ですが、あなたはどちらでしょうか。

楽に死ねたら

死を意識しない日など無いと言える程、常に死を身じかにしている私だけれど、。未だにその恐怖から逃れられないでいる。宗教的に言えば悟れないでいる。自分が主役の死をドラマ仕立てにしてどんどん筋書きを進行させ、ふと我にかえり、これは夢の中の出来事であって現実には死など無いのだなどと馬鹿げた思いに苦笑してしまうこともある。「死」これほど自分の身におきる確実な出来事は無い。嫌だといくら喚いても必ずその日が来る。それならば肉体的にも精神的にも何とか楽に死ねないか、意識の無いまま死ねないかと願っても誰も笑いはしないでしょうね。

国会議員

政治家は人格が立派な人、賢明な人がなるものといえるだろうか。大多数の国民は否定するに違い無い。
それはそうだろう。お笑い芸人を初め、オリンピック選手だったとか、人気のあった元スポーツ選手など、とても政治を勉強しているとか、それなりの人格を持っているとは思い難い人達が議員バッジをつけているのだから。TVによく出てるから人気があるから程度で選んでしまう国民の見識も勿論問題だが、各政党が彼等の人気だけを当て込んで候補者に仕立てようとするやり方が国民を愚弄しているといえる。このような政治家に我々の生活や国家の運命を委ねているのだから恐ろしくなる。彼等の多くはそれらよりも次の選挙の票集めに汲々として、専門である筈の政治に関する様々の知識を習得しない為、彼等より賢い役人に舐められても頼るしか無く役人天国を無くすことが出来る筈が無いことになるのである。

何の為に生きるのか

『人間は何のために生きてるの?』と「男はつらいよ」のなかで甥の光男が尋ねる。寅さんはしばらく考えて「生きている間には何回かは生きていてよかったと思える時が誰でも必ずある。それを味わうためじゃないかな~」と答える。山田洋次監督はそのように考えているのだろう。今までの俺にも生きていてよかったと思えたことが何度かはあった。しかしこれから先の人生ではどうだろう。はたして生きていてよかったと思えることがあるだろうか。もしなければ既に死んでしまっていることになる。生きていてよかったと思えることが必ずあると信じていよう!

霊の存在

幽霊を見たことがあると、信心深い兄は明言する。霊は確かに存在すると断言をする。不信心な俺は夢だろうとか錯角だろうとか、一応は抵抗を試みるが、否定する根拠など何もない。今までも本とか、テレビ番組とかで情報としては持ってはいるが、その殆どが嘘臭く思えてならなかった。しかし、兄の体験談だけは信じた。霊の存在を信じることにした。ということはその霊の行き場であるあの世とやらも存在するのだろうか。ある種のエネルギーとしてこの世で浮遊するのだろうか。死ねばすべてのことが分かるのだろうか。霊の存在は信じたけれど謎だらけ。そんなことどうでもいいじゃないかとあなたは思うでしょうが…。

恋とは、限られた時間で、限られた空間でのみ行われるゲームである。だからこそ熱中し攻防があり終わりがある。
このゲームの法則の一つに先に惚れた方が負けというのがある。
俺は若い頃からよく負けた。勝負師と自認する俺だったけれど、このゲームは弱かった。いくつの恋が壊れていったことだろう。
誰かに惚れていなければ人生が虚しく感じられる俺の宿命でしょうか。

ハードル

自信をなくした時はハードルを下げよ。自惚れが勝った時はハードルを上げよ。
ところが人間というやつは自信をなくした時にハードルを上げ、自惚れている時には、ますますハードルを低くするものだ。
このことを日頃から肝に命じておくべきなのです。