透析作曲家の独り言 -2ページ目

曲のジャンル

最近マイナーのアーチストの為に発表の場を提供するサイトがあるが困ってしまうことが多い。ジャンルに演歌や歌謡曲が無いことが多いことである。恐らく目的が若者たちの為にということなのでしょう。でも私のような高齢者も仲間に入れるように、演歌や歌謡曲もジャンルに加えて欲しいです。
ついで乍らAmeba music サイトにストリーミング試聴に歌謡曲を載せていますのでお聴き下さい。
URL は   
 http://music.ameba.jp/senritunoaruhuukei/

職業欄

サイトで会員登録を必要とするときいつも迷うのは職業欄である。実質的には僅かな国民障害年金と大部分をそろそろ底をつきかけている預貯金を引き出し乍ら生活している無職なのだから「無職」と書けば良いようなものだけど、「作曲家」でもあるというプライドが無職と書くのを躊躇わせる。作曲家を職業と言う限りは当然それで収入が無ければならない筈だが、少なくとも100曲程度は依頼されて作曲したけれど一度たりとも作曲料なるものを請求した経験が無い。どころか作曲に関しては当然赤字だらけである。従って「作曲家」と書くのにも後ろめたさがある。結局はその時の気分で使い分けてしまっている。

BSE関連

大抵の透析者に日頃用いられている中外製薬の「エポジン」という貧血治療薬がBSEの可能性のある米国牛の胎仔の血清を使っていたと今日の朝刊に載っていた。勿論BSEに感染していた母牛の胎仔という訳ではないだろうが酷いことをするものだ。「エリスロポエチン」という腎臓で作られる造血ホルモンがでない腎機能不全の透析者にとって貧血は避けられないもので、中外製薬でこの注射薬が実用化された時には患者は勿論
透析関係者がどれほど喜び感謝したことか。それだけにショックなニュースではあった。

達成感

曾てアルバム制作に間に合わせなければならなくて、一日3曲作曲と言う離れ業をやった時、友人が「まるで売れっ子作曲家やナ~」と言って感心していたが、毎日心身共にくたくたなのにこんな無茶な事をしてしまうのも作曲が好きだからこそなんだろう。作曲を専門的に勉強した訳でも教育を受けた訳でも特別才能があるとも思えないわたしが、今こうして作曲家を名乗れるのも「好きこそものの、、、、」たるゆえんか。何事であれ制作する事は達成感を満足させてくれるがこれはあらゆるもの作りに携わっている者の共通の認識だろう。

昔は…

私が子供の頃近所の子供達は群れて遊んだ。大人達も身内のようにお互いの家を行き来していた。貧しかったけど心まではそうではなかったから…。現在の子供達は群れて遊ぶこともなく、大人達は近所付き合いをしないしないだけでなく、隣の家族のことさえ何も知らない。当時より確かに豊かにはなったけれど、心は逆に貧しくなってしまったと言えるのではなかろうか。きっと複雑な因子が重なりあった事情はあるのだろうが…。

少子化問題

先日の新聞にまたまた少子化に関するニュースが載っていた。少子化が深刻で厚生労働省の試算で2050年には出生数は現在の4割になるとのことである。
数字ばかりが乱舞しているが、大切なのは論議に時間を割くのでは無く、早急に法律を作るなど思い切った対策をたて実行に移せるかということである。
政府は重要度の順位を間違えているように思えてならない。

私の心が冷たいのか

私には今心から愛せる人がいない。自分の身を犠牲にしても良いと思える程の人という意味でであるが。過去を振り返ってみてもそんな人はいなかったように思う。勿論私だって人並みに何度か恋愛の経験はしているし、その都度当然のこと乍ら愛していたと思う。
しかし一生その人のことだけを想い続けることは出来なかった。たったひとりでもそんな人と巡り会えなかった私の人生なんて何と寂しい人生だったものか。そんな人ともし巡り会っていたらどんなに素晴らしい人生になっていただろう。いやいや、ひょっとすると私の心が冷たいのかも…

迷い

昔、教師をしていた頃、たとえ一人でも自分の影響を受けてくれたなら教師になった事を良しと思いなさいというどなたかのお話に、それまでの力みが楽になった事を憶えている。そして今作曲家となって多くの曲を作ってきてはいるが、何の為に作曲をしているのか自分には本当に才能なんてあるのだろうかとまたまた迷いが生じた事がある。そんな時テレビドラマ『ふじ子ヘミング』でふじ子が何の為にピアノを弾くのかに迷いそしてある時その答えを見つける。「自分のピアノでたったひとりでも心を癒せたら」その為に自分は弾くのだと。地位でも名声の為でもない。私の作曲もそのように実感出来たら良いのだけれど…

励み

日本作曲家協会に入会出来たお陰で私は今作曲家を名乗っている。現実は協会の親睦会やその他催しに一度も参加していない。折角一流の方々との出会いという機会を残念なことだが、ボロボロの肉体ではどうしようもない。レコード会社とも契約していないので、アルバムなどの制作は自費。という訳で歌い手さんから「先生」と呼ばれるようになったこと以外趣味で作曲していた頃と何ら変わりはない。作品は200曲程度はあるだろうし、アルバムも八枚制作している。しかし時には己の才能とか時代に取り残されているのではとか迷いを持つ時もある。そのような時に「素晴らしい曲を聴かせて頂き有り難うございました」「聴かせて頂いて凄く感動しました」などという見知らぬ方からのお便りやメールは自信回復の特効薬。誠に有り難い事と感謝もし、次作への励みとなっている

平穏という幸せ

今日もまた何事もなく過ぎて行く。それが幸せなのか 不幸なのか。後になってみると「あの頃はまだ幸せだった」と思うに違いない。今は何か物足りなく不満の方が多いけれど、平穏な今という時を楽しむ余裕が大事なのだ。感謝する心をも持ちたい。