透析作曲家の独り言 -3ページ目

もう一度人生を

この年齢になって出世したいとか有名になりたいとか金儲けをしたいとかなど特には望みはしない。ただ一つ許されるならもう一度人生をやり直してみたい。そして熱烈な恋をしたいとは痛烈に思う。
お笑い下さい。

価値判断

ドラマを観ていたら綺麗な女優さんが出てくるとあぁ、綺麗だな~、こんな女性と人生を共にできる男は何と幸せな奴だろうなんて思う。しかしそこに別の魅力的な女優が現れたとたんに、元の女優が何だか急に色褪せて見えてしまったりもする。そうなんだよなぁ、我々の感覚や価値判断なんてものは相対的なもので絶対的なものではないんだよね。それに客観的ではなく主観的なことの方が多い。つまらない曲が流れていたりすると、オイオイこんな曲を流すのなら俺の曲をながせよっ、なんて自惚れたことを思ってしまうが、名曲が流れるとどうしてこんな魅力的な曲が書けるんだろう、俺には才能がないんだろうかなどと、突然自信喪失してしまうことがある。要するに無意識の内に相対的かつ主観的価値判断をしているのですね~。是非、音楽サイト eo Music Tribe にいって杉本宏の作品、特にアルバム『旋律のある風景(インストウールメンタル曲)』を聴いてみて下さい。

人的資源を大切に

資源の少ない我が国にとって人的資源は貴重である。しかし、何を血迷ったのか為政者は「ゆとり教育」と称して授業時間と教育内容を大幅に減らしてしまった。その時私はなんと馬鹿げたことをと情けなく思ったものだ。その後影響は顕著に表れ、その学力は先進諸国中最下位に転落してしまった。「鉄は熱いうちに打て」という諺は言う迄も無く若いうちに鍛えよということである。、いずれは方向転換を余儀なくされるだろうが、それまでに失われた多大な損失に対し一体誰が責任をとるというのだろうか。

今を大切に

青春時代の真只中にいる時にはその素晴らしさに気付かず、青春の文字が似合わなくなって初めてその素晴らしさに気付き、失ったものの重さを悔いる。今現在、限られた範囲ではあっても、ひとりで動け、食べられ、楽しめることだってあることを幸せに感じず、不足や不満ばかりを強調しているけれど、この先これらが出来なくなった時きっと今を幸せだったと思うに違いない。その時になって後悔しないように今この時を大切に生きなければ…

時間の無駄かな

書き込みの際だけでは無いがカーソルが直ぐ何処かに行ってしまう。白内障のせいもあるが動態視力が極端に低下しているせいだ。その上、両手とすべての指が痛いので比較的ましな人さし指一本でキーを押している。恐らく皆さんの何倍もの時間とエネルギーを消費している筈だと思う。
でもこれだけ時間とエネルギーをかけても内容が伴っていなければ浪費になりますよね。
どうしても私の話題はかたくなりがちで困ったもんです。

この歳になって漸く悟ったことがある。人生を決めるのはすべて運だと。努力することは勿論大切だし、運を引き寄せることもある。しかし、どれ程努力しても報われないことの方が圧倒的に多い筈だ。運と運命とは異なるものだし、私は運命論者でもない。所詮、人生なんて不公平に出来ているものなのだ。才能、容姿、人種、環境、家族そして健康と何をとっても公平ではないしそこに存在するあなた自身、運の繰り返しによってそこに運ばれたものに他ならない。ただし、幸福に感じるかどうかは、また別の問題ではある。

思考回路の切断

学生時代よくパチンコをした。ちょうど一個ずつ玉を入れていく単発式から連発式に代わりつつある頃だった。負けが込んでくるといつも、悲しいような虚しいような、諦めにも似た気持ちを味わい乍ら結局は有り金をすってしまうという、破滅への道を進んだものだった。恐らく思考回路が切れていたのだろう。それから随分歳をとり、死と言う文字がちらつきだした頃から自分の最期の場面を想像する度に、あの頃と同じ心理状態にある私に気付く。死を考え乍らも、そのことは考えたくないと言う矛盾した気持ちが無意識に思考回路を切断するのだろう。

有線放送

アルバムを制作し始めた1987年からUSEN放送で曲が流れるようになっているが、自分で事務所を持っている訳でも無く何処かの事務所に属している訳でも無いので、全国規模で電話をかけまくることなど出来ないので、結局知り合いに頼んでかけてもらうことしか無かった。その上個人が有線放送をひいていることなど滅多に無いので、所詮自分の曲が流れることは少なく今に至っている。でも初めて自分の曲を外出先で聴いた時の感動は忘れられない。

早計だったかも

以前このブログに「今の若い人達が好んで聴いたり歌ったりしている曲は中高年者には騒音のようにしか聞こえないだろう」と書いたが少し極端過ぎたかも知れない。あれからいろんな方のホームページを訪問し多くの若者の作品を聴かせてもらっているうちに、そう決めつけては間違いではなかろうかと感じ始めているからである。旋律の美しさに秀でてるもの、情景を見事に描かせてくれるもの。時には壮大なスケールを感じさせるものが訪問の先々に存在する間違っても騒音なんかではない立派な作品である。埋もれた才能が限り無く存在することも、あらためて再認識させられた。果たして私に若者から共感を受ける作品が一曲でもあったのだろうか。そちらの方が問題かも…。

侮られない国に

かつて新聞にマレーシアの首相が言ったこととして次のような記事が載っていた。「我が国は長い間日本をお手本として見習ってきた。これからも日本をお手本にする。ただし、尊敬する国としてではなく反面教師として」。その理由として「西洋かぶれした茶髪の若者が街に溢れ、自国の文化を疎かにしている国だから」と。随分手厳しい発言だが、わたしには納得出来た。前回わたしが憂いて書いた私見と内容的に共通する。かつて世界に誇れた学力と経済力は今や見る影もない。
国民ひとりひとりの資質の高さは間違いないと思っているが、目標を持たず、意欲を無くした若者があまりにも多い。政府は漸く重い腰を揚げその対策を立てようとしつつある。ただし、近隣諸国を意識し乍ら恐る恐ると…。