陽はまた昇る

陽はまた昇る

前向きに、そして幸せになるために。色んな「思い」をつづってみよう

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手術から一夜が明け、母の顔を見に行くのを楽しみにしていた。


病院に着きエレベーターを降りると、踊り場で父と偶然出くわす。

どうやら母の病室から出てきたばかりのようだ…しかし、何やら様子がおかしい。


病室に向かおうとすると、慌てて止められた。
『行くな、今は行っちゃダメだ」。

・・・!?!?!!!???

いったい何事が起ったというのか?

まさか容体が急変したとでも!?

一瞬最悪の事態も頭をよぎったが、幸いそれは杞憂だったらしい。


父によると、母は酷く落ち込んでいるらしいのだ。


大手術から一夜明けて、麻酔も覚めて母は意識を取り戻した。

だが、『手術など受けなければよかった』とか『ガンなんかあのまま放っておいて、2~3年くらい好きなことして余生を送ればよかった』などと、ネガティブな発言ばかり繰り返しているという。


そして、今の姿を見せたくないと、私や兄との面会を頑なに拒んでいるという。

病院に最初に到着した父でさえ、看護師の説得でやっと会えたという話だ。


いや、ちょっと待て。
事態が全く呑み込めない。


なぜだ?


大手術を乗り越え、感動の再会を果たすはずだった。

『よく頑張ってくれたね。本当にお疲れ様!』と、母の手を握ってあげるつもりだった。


それが蓋を開けてみれば門前払い・・・。


無念ではあったが母の意思を無碍にするわけにもいかず、私は力なく病院を後にするしかなかった。


看護師によれば、疲労や手術跡の痛みで少し気が立っている事もあるのだろう、と。


麻酔の効果で無意識であったとはいえ、10時間にも及ぶ手術は母にとって想像を絶する疲労だっただろう。


そして、手術室へ向かうその時まで自らの足で立ち、歩き、笑顔さえ見せていた。

それが意識を回復してみれば、様々な管やパイプで繋がれ、意識は朦朧で痛みも残り、そして歩くことはおろかベッドから立ち上がることも、うまく言葉を発する事すらできない。


あまりに過酷で、そして残酷に見える自身の置かれた状況。

そんな現実を目にした時、投げやりな気持ちになるのも無理はないかもしれない・・・私はそう思った。


看護師は加えて、時間が経てば落ち着くはずだとも言っていたが、それが本当にその通りであることを願うばかりだ。

明日からは早速、短い距離ではあるが歩行訓練も始まるらしい。
そうやって一歩ずつ、少しずつ『日常』を取り戻していくことで、母の気持ちもまた元に戻っていくだろう。
そうあって欲しい。


何度も書くが、手術を無事に終えたとはいえ、ガンとの闘いはまだ始まったばかり。


医療体制や家族のサポートが大切であることは言うまでもないが、やはり病に打ち克つ上で最も重要なのは、母自身の『気持ち』だろう。


その為に、まずは母自身が、強く生きる意志と前向きな気持ちを一刻も早く取り戻してほしい。
祈りは届くはずだ。


全く意外な形で過ぎた一日。


明日こそは、母に会えるだろうか…。





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つい先ほど、自宅からの電話があり『手術は無事に終了』との知らせ。


良かった。
まずは本当に、良かった。


闘病生活はまだ始まったばかりだが、ひとまずは最初の大きなヤマを越えた。


手術は当初の8時間という予定を大幅に越え、10時間にも及ぶものとなった。

仕事中の私に代わって病院に詰めていた父にとって、この10時間は永遠にも感じる長いものだったに違いない。


そして、麻酔中の出来事とはいえ、きっと母自身も相当に疲労していることだろう。


朝、手術室に入る際の母は気丈にも笑顔で、ガッツポーズまで作って見せてくれた。


自身がこれまで経験したこともない大手術。

緊張や不安が無い訳がない。


それでも、母は見送る我らに笑顔で応えてくれた。

きっと、こんな時でさえ「家族を不安にさせまい」との母なりの気遣いだったのだろう。


今、そんな母に最も伝えたいことは、『本当にお疲れ様でした。手術は成功だよ。頑張ってくれてありがとう』…これに尽きる。


執刀医、医療チーム、看護師の皆さん、父、兄、そして母の回復を祈って力を貸してくれたすべての人々に、心からお礼を言いたい。


本当に、ありがとうございます。


つい先ほど仕事を終えたばかりの私は、まだ手術後の母の顔を見られていない。


また明日、改めて笑顔で母の手を握りに行こう。






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遂に明日、母の手術が行われる。


午前10時頃から開始予定。
およそ8時間にわたる大手術だ。


担当医いわく、悪性腫瘍の確認があと一歩遅かったら、恐らく手術すらできなかったであろうとのこと。

ここまで来れただけでも、幸運と言えるかもしれない。


入院となってから明日の手術までの日にちは長く感じられた。

度重なる検査や痛みは母にとって非常に辛いものだったはずだ。


しかし、やっとここまで来た。


我々家族に出来ることは、できる限り母の傍にいること。

そして、あとは神頼み。


ネットで偶然見つけたのだが、鎌倉に『ガン封じ』で有名なお寺があるらしい。


今朝は母に会いに行く前に父と二人でその鎌倉にある『上行寺』に参拝。

お守りとお札と簡単に祈祷もして頂いた。


帰京してからも、自宅最寄りの神社、いつも初詣に参拝する神社、母がいつも出かける度に立ち寄っていた神社にお参り。

船橋にある祖父母のお墓にも参り、お願いをしてきた。


母に会う度にその手を握り、少しでも元気を貰ってほしいと願いをかけ続けた。


現時点で出来る限りの事は、出来るだけしてきたつもりだ。


もちろん、私自身を含めて家族全員、手術の成功を確信している。

あとは専門家でありプロである執刀医と、病院、そしてサポートの先生方全てを信じて、母を託す。


ガンとの闘いは、きっと手術後も厳しい道のりかもしれない。
相当の覚悟は必要だろう。


でも、母だけでなく、我々家族全員の力を合わせれば、きっと乗り越えられるはずだ。
絶対に、絶対に大丈夫だ!

半年後、そして1年後、母自身も皆も笑顔で元気に今を振り返ることができますように。

きっと出来るさ!


必ず全てが良い方向へ行くと、固く固く信じている。








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昼間、留守電が残っていたので確認をしてみると、再び父からの電話。


母は引き続き体調が思わしくないので、今日も見舞いは来なくていいとのこと。


これで、2日連続だ。


そんなに大変な思いをしているのか…。
いてもたってもいられなくなり、とにかく顔だけでも見に行こうと病院へ向かうことにした。


病室に着くと、母はベッドの上で食事をしていた。

ただ、顔には明らかに疲労の色が濃い。


昨夜から今日の午前中にかけて、みぞおちあたりの痛みで相当苦しんだそうだ。

今は若干疼痛は緩和されてきたとはいうものの、食事を口に運ぶ仕草も弱々しい。


母の疲労も考えて顔を見たらすぐに帰るつもりだったが、ついつい心配で長居してしまう。


手術までもうあと少しだが、そこまでの時間が長く感じる。

他愛もない話が続くが、やはり心中は穏やかではない。


面会中に麻酔科医が来て、手術中の麻酔について説明。

これはルールだから仕方がないのだが、術前に行う検査や全身麻酔に伴う合併症の可能性についても聞かされる。

もうきっと何度もそういう話は聞かされているだろうし、検査も嫌というほど受けてきているはずだ。

それでも、まだ…。


麻酔科医が病室を出た後、母が呟いた。
『身体が壊れちゃうよ…』。

そこ言葉が、どこまでも胸の奥に重く暗く響く。

つい一月ほど前までは、何事も無く元気なように、少なくともそう見えていた母・・・。
それが今は病床にあり、日々その症状との戦いを強いられている。

母自身はもちろん、我々家族も全てが、一月前とはガラリと変わってしまった。
その変化に、自分自身の気持ちも身体もまだ追い付くことができない。

いや、きっと現実を受け止めるのが怖いだけなのだろう。


今まで家庭の中で人一倍様々な苦労を一人で背負い続けた母。

我々家族は時にそれに気付いてはいても、母の優しさに甘え、見て見ぬふりをしていることも多かった。

そんな母が苦しんでいる今だからこそ、今度は私たち家族が何か少しでも助けてあげたい。

ほんの一時でも苦しみを和らげ、笑顔になれる安心できる時間を与えてあげたい。


一方で現実は、毎日病床へ見舞い、顔を見せることぐらいしかできない。
自分は医者でも神様でもないから、母の病巣を今すぐ取り去り元気にする事なんてできないし、それは分かってる。


それでも、何もできない自分の無力さが本当に悔しく、情けなくてたまらない。


きっと手術が終わった後も、長く、時に苦しいガンとの闘いは続くだろう。

ガンを治す、または進行を止めるといわれる方法は数多ある。
母さえその気ならば、どんな情報でも手に入れるしどこへでも連れて行く覚悟だ。

ただ、果たして手術後の母にその力と意志が残っているだろうか。

一日でも、一時間でも、一秒でも長く生きていてほしい。
それが家族全員の疑いの余地なき総意だ。


だが、母が苦しむ姿は見たくないし、何より辛い思いはしてほしくない。

ただ心安らかに、少しでも明るく健やかに、静かな余生を送ってほしい。


・・・と、今日の母の姿を見ているとそんな弱気を感じてしまった。


いや、やはり『弱気は敵』だ!


全ての病は気から。
どんな病魔に侵されても、気持ちさえ強く持てば打ち克つことができるはずだ。

母が負けそうになっているなら、少なくとも我々家族は強気で立ち向かわなくては。

何も助けてあげられなくても、プラスの気持ちだけは届けることができるはずだ。


それが母の、力となってくれることを信じて。


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今日は午後に母の携帯から電話。


別に何でもない事であろうと分かっていても、この状況で電話が掛かってくるとドキッとするし、変な胸騒ぎに襲われる。


その用件だが『午後に立て続けに検査があって病室にいないか、または疲れている場合もあるので、今日は見舞いに来なくていい』…とのこと。


何事も無かったことに安心した一方、入院してから一日も欠かさず母の顔を見に行っていただけに、一抹の寂しさも感じた。


ほんの5分だけでも、顔を見せるだけでも行った方が良いのではないか?…ギリギリまで考えたが、無理して会いに行くことで逆に母に変なプレッシャーを与えてもいけないと思い、今日は母の言葉に従って見舞いは自制することに。


先ほど仕事から帰宅すると、父から『病院から電話があった』との知らせが。


携帯電話よりも、電話から直接連絡がある方がよっぽど心臓に悪い。

それは父にとっても同じだったようで、どうしても悪い事を考えてしまうのはやむを得ないだろう。


病院からの電話の内容は、前日の夜に服用した睡眠薬か検査時に用いた麻酔が効きすぎて病室のベッドに戻ってもフラフラで落下の可能性がある。そこで安全のためにセンサーの着用について家族の同意が必要とのことだった。


普段から薬やサプリを服用することが皆無だった母にとって、病院で処方される睡眠薬や麻酔は身体的負担はかなり大きなものだろう。


辛い…だろうな。


一時帰宅や外食なども続いて、一見すると元気そうな母を見ていると病魔に侵されていることを忘れそうになる。


でも、確かに今、ガンとの闘いは始まっているのだ。

そして、それはこれから長く長く続いていくものなのだ。


そんな事実を痛感させられた気がした。


加えて、病院へ出向いて母と話すことぐらいしかできない自分の無力さに、悔しさも募る。


でも、それでもきっと何かしら母の役には立っている。

我々家族が元気な姿を、笑顔を見せることで、それを少しでも母に分け与えてあげることができるはずだ。


そう信じている。


だから明日、また改めて母に会いに行こう。






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先週の入院以来、母の二度目の一時帰宅。

手術が来週に迫っているとはいえ、検査がない日は病院に居ても特にやる事もなくやはり家の事も気になるようで、これで二回目の帰宅だ。

帰って来て風呂でも入ってゆっくりするのかと思えば、やはり母がやる事は食事の用意を中心とした家事だ。

今までも何度も『家のことは心配いらないから』と言ってきたつもりだが、母にとってはこれが『仕事』という自覚があるらしく、あまり長い間放っておくわけにはいかないらしい。

私も兄も父も当然もう『いい大人』なわけで、母がいなければいないで戸惑いながらも何とかしようとするのだが、当然そこは母の手際の良さには足元も及ばない。


せっかく帰ってきたんだから、何もやらなくていい…何度もそう説得しようと思ったが、これもおそらく母にとっては一つのストレス解消なのかも?…と思い、敢えてお任せすることにした。


父は所在なさげにキッチンでテキパキと家事をこなす母を何か手助けできることはないかと探しながら見ていたが、やはりそこは長年母が支配してきた『お城』。父の出る幕は全くなかったようだ。

自らがガンを患っていることを知りながら、それでも家の、家族への気遣いを欠かさない母。


その強さと精神力、健気さと母性には脱帽という言葉しか見つからない。


一通りの家事を済ませ、夕方には何事もなかったかのように自らの足で病院へ戻っていった母。


明日からは手術前の検査がいろいろと立て込んで、体力、精神的にも大変になるだろう。

自らの事をさておき、我々を常に気遣う…そんな母をまた笑顔にするため、私たち家族もできることを率先して探して実践しよう。




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母の病名は、すい臓ガン。


ガン自体は国民病ともいえる病気で、早期発見であれば治ることも多い。


ただ、このすい臓ガンというのはどうやら少しタチが悪いらしい。


痛みを感じることが少ないので、自覚症状が現れにくく、早期発見が難しい。

すい臓という臓器自体が胃の裏側に位置しているため、手術は技術的にもとても困難。

ガン細胞の転移を妨げてくれる粘膜に覆われていないため、転移しやすい。
リンパ節が近い。

などなど…。


実際、ウェブ上で症例や闘病記などを調べても、嫌な事ばかりが書いてある。


だけど、最初にも書いたとおり、母はまだチャンスがある状態だ。


まだ詳しい話は分からないけど、推測では悪さが5段階あるとしたら2~3ぐらいかな…と勝手に思っている。


今は手術が成功する事を固く固く信じているが、終わった後も抗がん剤や副作用との戦いはしばらく続くだろう。


我々家族は実際に『痛み』自体をシェアすることはできないけれど、心は誰よりも強く支えられる。


笑顔、元気、そしてできるだけ居心地の良い環境や時間の共有。


母のために出来ること、全てやろう。

それが母への数少ない恩返しだ。


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母の外出許可が下りたので、一時帰宅。

先週から数えて、それでもモノの一週間も留守にしてはいなかったのだが、それでも随分と長い間いなかったような気がした。

それだけ、家に帰れば母がいることが、日常であり当たり前の感覚だった証拠だろう。

事実、母がガンで入院となってからしばらくは、実家に入るのがとても辛かった。
そこに居るべき人がいない、まるで主を失ったかのような空間・・・。

母の面影が残るキッチン、テーブル、そして衣類や小物を見る度に涙が止まらなくなったのを思い出す。


すぐに病院へ戻らなければならないので、一時帰宅と言っても荷物はほとんどない。


ほぼ身一つで帰ってきたわけだが、それでも帰宅は帰宅だ。


本来であれば、我が家に帰ると『ほっとしたー』という感覚が普通なのではないかと思う。

ただ、母には何となくそれが感じられなかったし、実際今回の帰宅も母自身が強く望んだものではなかった。


元をただせば、今回のガンの最も大きな原因は家での様々なストレスだっただろう。


それを思えば、母自身が積極的に帰宅を望みはしなかったことも頷けてしまう。

加えて、知らぬ間にそこまで母を精神的にも肉体的にも追いつめてしまっていた私を含めた家族全員の情けなさを思う。

時間にしてみれば、ほんの3~4時間帰宅しただけだ。


ゆっくり休んで病院での緊張を少しでも和らげて欲しかった。

だが、母すぐに動いて我々家族の食事の支度を始めた。それも今後3~4日は困らないであろう品数を一気に。

私や家族と言えば、母が入院して家を離れた途端、家事すらろくに勤まらず四苦八苦していたというのに…。
その母の強さ、健気さには本当に言葉を失うばかりだ。

今回の一時帰宅のメインの目的は外食。


私が先日お客様にご馳走になった、幻の『供水の鰻』を母にも食べさせてあげたかった。

渋谷はアクセスが悪いし人も多い…恵比寿に同じ品を出す店を見つけたのでそちらへ向かうことに。
焼き方が炭火焼でははく電気ヒーター使用だったのはショックだが、味にはひとまず満足してもらえたようなので良かった。


ただ、うな重は半分残してたっけ。
食欲が少し落ちているのかな?…と少し気がかりだ。


帰りは広尾で軽くお茶をして、病院まで送る。


母を見送った後、男3人だけの帰り道はやはり寂しいものだ。


ただ、今まで疎遠だった兄や父とも少しは話すようになったし、嫌な切っ掛けではあるがこれも家族一致団結の一つの貴重な機会ではあると思う。


手術まであと8日。


我々家族も大変だが、最もつらいのはもちろん母自身。


もう一度元気に家に帰ってきてもらうために、また明日から元気に笑って母に会いに行こう。


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最後に記事を書いたのは?…2009年?!

もう6年前か…よくアカウント生きてたなー(・_・;)。

まさか、まさかこんな形でブログ再開するとは思ってもみなかった。

これから、こちらは我が母の闘病記をつづります。

先週、突然訪れた衝撃のガン宣告。


始めはあまりの事態に頭が真っ白だったけど、涙も止まらなかったけど、やっと落ち着いてきたし。

それに、一番つらいのは俺でも家族でもなく、母自身だ。


だから、いつまでも狼狽えちゃいられない。

これまでずっと、本当に世話になりっぱなしでろくに恩返しもできなかった。


今こそ、今こそ全力で支える時。
母がガンに打ち勝つ日まで、万難を排して全ての力をそこへ注ごう。

これからきっと長い戦いになるでしょうな。
でも、母は必ず勝つけどね!絶対に打ち勝つさ!

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