2019水無月 京都街角史跡巡り~道元禅師示寂の地・親鸞聖人御入滅の地 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2019水無月 京都街角史跡巡り~道元禅師示寂の地・親鸞聖人御入滅の地

 せっかく2週間ぶりにブログをアップしようと四時間もかけて作成したのに最後に

アメブロは応答しません。

どれだけの文献と関連サイト調べたことか。

いい勉強になりました!

落ち込みながら、更新します。

西洞院通高辻上ル菅大臣神社から高辻通を西へ少し行くと曹洞宗の祖・道元禅師示寂の地があります。
 
 
 
道元禅師示寂の地

 
京都市駒札

道元禅師示寂の地

 この地は、曹洞宗の開祖道元禅師が生涯を閉じたところてある。
 道元禅師は、正治二年(1200)に京都で生まれ、比叡山で出家後、建仁寺の栄西の元に入って禅を学び、貞応二年(1223)に入宋した。帰国後、建仁寺に足をとどめたが、その後、深草に興聖寺(後に宇治に移る)を建て、教化活動を続けた。晩年にいたって、権勢を逃れ、越前(福井県)の地に永平寺を創建し、釈迦正伝の仏法である坐禅の厳格な宋風を樹立した。
 建長五年(1253)病の療養のために弟子の懐弉を伴って上洛し、この地(下京区高辻通西洞院西入)にあった俗弟子寛念の屋敷に滞在し同年八月に五十四歳の生涯を閉じた。

京都市

 

 
ここで祖・道元と中興の祖・瑩山について長々書きましたが、消えてしました。

14000を越える曹洞宗寺院の中で、京都出身の道元禅師にしては市内には49寺しかないことの理由です。

あとは曹洞宗には総本山はなく、永平寺(道元)と總持寺(瑩山)の両大本山制とかですね

 

 
 続いて、西洞院通を下って松原通との交差点近くにある
 
 

 
花園殿光圓寺

浄土真宗大谷派寺院。


 
 親鸞聖人御入滅之地 五条西洞院月輪本荘花園殿奮跡

この地で親鸞聖人が御入滅されており、歩いて数分の距離に鎌倉仏教を代表する二人の示寂、御入滅の地があるわけです。

ですが

 
見真大師遷化之旧跡

柳馬場通御池上ル京都創成館前にも御入滅地(旧善法院)がありまして、その関係を調べましたが、こちらは分からずじまい。

一説には花園殿からご遺体を善法院に運んだと云われますが、花園殿といえば以前アップした
 
 
西岸寺

 


月輪本庄花園殿と花園御殿は別なのか。





記事消えたし


心折れたし