神島へ
伊勢神宮へ参詣の旅、伊勢湾の離島、神島を訪ねてみました。
鳥羽港(佐田浜)から、1日4便の定期船が運航していて、片道45分の船旅です。
神島は、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になったことで知られますが、人口約500人ほどの漁村で、過疎化が進んでいるようです。
古くは、神の支配する島として信じられていたそうです。(↑定期船が、島の人々の暮らしに不可欠です)
前の晩に伊勢のワイン・バー珠家さんで飲んでいたときに、神島や答志島の話を聞き、ふと訪れてみたくなったのです。鳥羽に到着してから、船便の時間を見て神島行きを選びました。
実は、船便の都合で滞在はたったの1時間あまりでした。なので、観光ポイントをはずした写真ばかりです。(;^_^A
でも、漁村の元気な人々や暮らしぶりをみることができて良かったです。ちょっと昭和な懐かしい感じがしました。
伊勢湾の島々は、空も海も青く澄んでいて、開放感のある素敵な場所だと思います。
次に訪問するときは、ゆっくり釣りでもしてみたいですね。 (*^_^*)
伊勢神宮参詣
伊勢神宮の参詣にいってきました。
以前から訪れたいと思っていたのですが、やっと行くことができました。
伊勢神宮(内宮)は、平日にもかかわらず老若男女の多くの人々が、神宮参詣に訪れていました。
それぞれの人が、願いや祈り、さまざまな思いを胸に、はるばる全国から参詣しているのでしょう。震災後は、参拝者が増えているとの話も聞きました。
伊勢神宮は、豊かな森や美しい五十鈴川に恵まれ、美しい、素晴らしいところでした。
数百年以上の大木からなる森の清浄な空気や、唯一神明造の神社の厳かな美しさ。
心が洗われる気持ちになります。
こちらは、外宮の手水舎。
ここで手や口を浄めて、正しい作法で祈念します。
平成25年には、式年遷宮といって20年ぶりに御正殿や神宝類がすべて一新されます。
また、訪れてみたいと思っています。
短い旅でしたが、鳥羽の離島を船で訪れたり、今が旬のアワビを食べたり、昔ながらの蔵が建ち並ぶ街並みを散策したり、梅雨入り前にいい旅ができました。
機会があれば、旅の写真もご紹介するかもしれません。 (^.^)
このごろ。
ずいぶん長くブログを休止してしまいました。でも、ぼくはなんとか元気です。
3.11の震災以降、ぼくなりに人生観に少なからず影響を受けており、やや内省的な時間を持っています。
現役の経営者時代は、経済合理主義と効率性を追求する多忙な日々をおくり、手ごたえを感じつつも、疑問が膨らんでプチ・リタイアの機会を得ました。
いうまでもないことですが、経済的な成功が幸福そのものではないことを、以前よりも実感できたと思っています。
わたしたちの社会や文明のあり方についても思いをめぐらせ、柄にもなく人生や生命の意味を、自問したりもしています。
そして、今は家族や友人、仲間たちの無事と健康を感謝し、幸せを心から祈りたいと素直に思っています。
あっ、でも、あやしい宗教に傾倒したりはしませんよ!もちろん、ぼくは、ぼくなんです。 (^ ^)
東北地方太平洋沖地震から2週間
被災者の皆さんに心よりお見舞い申し上げます。
自分にとっても、これまでに味わったことのない長い2週間だった。
テレビで見た大津波が、家や車、街そのものを飲みこんでいった光景は、
見たことがない恐ろしいものだった。
時間がたつにつれ、恐れや驚きの気持ちが鎮まってくると、とても悲しい気持ちになった。
人が営み、育み、守ってきた大切なもの、社会の秩序と平穏な生活、それらすべてが、あんなにも無残に奪われてしまったこと。
夢や希望を持って生きているたくさんの人々が犠牲になったこと。
進学や就職が決まった人、結婚したばかりの夫婦、家を新築したばかりの人、たくさんの子供たち、毎日の仕事に励む多くの人たち・・・。
そのことを思うと、胸が詰まる思いだ。とても悲しくて、やりきれない気持ちだ。
昨晩は、被災による死亡者が1万人を超えたと報じられた。
この時期、痛みを感じていない人は、一人もいないと思う。
被害にあわなくても、多くの同胞が失われ、また困窮した生活を強いられている数十万の人々を見て、誰もが苦しみと痛みをいま、感じている。
多くの人々が、停電や水道水の摂取制限などにも、冷静に対応して、じっと耐え続けている。
でも、きっとぼくらは、この苦しみを乗り越えられる。それは、この国の歴史が証明している。
ボランティアとして現地に赴くことも考えているが、同時に自分の場所で冷静に日常を営む人々も、被災地の復興を下支えすることになるはずだと思っている。
祈ろう。そして、生きていこう。