現在の日本の原発の原子炉の数は、世界的に見てどの程度か。


多い順に、104基の米国、電力の8割を原発で賄うという59基のフランス、3位が54基の日本となる。

世界的には、30ヵ国で438基が稼働、31ヵ国で202基が建設・計画中、36ヵ国で342基を構想中という。


このように原子力はウランが入手し易い、二酸化炭素を出さないので地球温暖化に最適といわれ推進する国が増えていた。


火力は石油、石炭、天然ガスの価格が高く、水力は雨しだい。このため電力会社は供給責任を果たすため、水力、火力、原子力の三つをうまく組み合わせていた。

太陽光や風力などは全体の1%に過ぎないという。


福島の事故で原発のリスクが再び明らかになった今、ドイツ政府が「2022年までの脱原発」を決めたように、世界の流れは変わるだろう。




福島原発事故による夏の電力不足対策として、主要企業が計画を打ち出している。


サマータイム、休日シフト、在宅勤務、16連休、週休3日、海外派遣などなど。


此処にいうサマータイムは、私がかすかに覚えているサ・ン・マ・タイムではない。当時の日本はGHQの指示で、1948~1951年までおこない、大人がしょっちゅう鳴る柱時計をいじくりまわしていたのを思い出す。


今回のは、7~9月を中心に始業を1時間早めようというもので、照明用や冷房用電力を減らそうとするもの。家庭のエアコンが増えた今、果たして効果は?


電気機器の増加で、煩わしさもなく時刻を変えらるのか。欧米諸国の国民はどうしいたかなー・・・?。




別子銅山の支配人、初代住友総理事の広瀬宰平の子孫が新居浜市役所を訪れ、同市にある一族が眠る市史跡「広瀬家墓所」の管理委譲に関する目録を、市長に手渡したと地方紙が報じていた。


訪れたのは85~78歳の宰平の玄孫(やしゃご)に当たる4姉妹で、それぞれ千葉、多摩、鎌倉、福岡に住まわれているという。



これとは別に、明治26年に開業し、別子銅山で使われた鉱山鉄道のことが、東予で最初の鉄道として紹介されていた。

それによると鉄道は2本あり、上部線は海抜約千mの山にあり、約20年後には廃止された。

東平(とおなる)から銅山越えへ向かう登山道にある銅山峰ヒュッテは、この線の角石原駅跡だそうです。


下部線は新居浜町と端出場(はでば)を結び、後に電化され約25年間地方鉄道として営業され、昭和52年、廃止されたとのこと。


この鉱山鉄道は、下部線端出場駅跡につくられた「道の駅マイントピア別子」で、今も元気に観光客を乗せ走っています。


ときに別子銅山のことは、マスコミにもとりあげられる。最近の傑作は、東平地域を東洋のマチュピチュとして売り出そうとしていることだ。





「イネの周りにいるヒレの広い魚」

これはメダカの学名だそうです。日本にすむ最も小さな淡水魚で、2003年環境省により絶滅危惧種に指定されたという。先日行った散髪屋で、客の一人が、今のシーズンはメダカの孵化が見られると言っていた。

「どれが生徒か先生か」と水溜りを探すようになるかもしれない



道後温泉ですだれを吊っている様子をTVで流していた。

我が県には、源氏物語や枕草子の時代から京の都で知られたものに「伊予すだれ」がある。

源氏物語では趣のある光景と書かれ、枕草子は音の面白さを書いている。

他に、今昔物語集や宇津保物語に出ているという「伊予すだれ」は、久万高原町露峰産の篠竹を編んで作ったすだれである。袴をとると白い竹肌が現れ、美しいといわれている。


1913年(大正2)5月18日、愛媛県八幡浜市真網代(この地区は真穴の座敷雛で有名)から米国へ向け15人で密航。8月6日サンフランシスコの北へ着いたが捕まり送還された。


ことほど南予は貧しかったか、冒険心に富んでいたか。






6月5日は市中央公民館へ、第5回「今治能」と第15回関西観世花の会の同時公演を観に行きました。


中央公民館の正面玄関にある駐車場には、障害者用スペースに早くも場所取りと思しき車が1台とまっている。運良く隣が空いていたので、車を止め、車椅子に乗り換え、会場へ。会場入り口で、顔馴染みが今日ばかりは和服姿であちこちにいる。その中の一人の案内で会場へ。


会場は80%位の入り。しかし何時も感じる華やかさは感じられない。観客も落ち着いてきたか。


花の会の仕舞に始まり、舞囃子、狂言、仕舞と続き休憩をとる。いよいよ能だ。

橙黄会代表の大亀藤英が演じる前半の静御前・後半の怨霊は当然として、圧巻は去年に続いての出演の三神幹汰君(亀岡小6年)だった。黄色い声を張り上げ、伸びやかに謡った彼の熱演に、拍手したい。


身近な人が出演することで、能を寄り身近に感じた人が多くなったことと思う。