ふす
軽く年表を見てみよう。
この年表では、やっと中ほどまできた。
魏呉蜀の三国など、日本の古文書にも出てくる国が見えだす。

魏呉蜀と名前は出てきても、場所がはっきりしない人もいるだろう。
確認すると、だいたい以下のようになる。

このうち、日本と深い繋がりがあったのは、魏である。
いわゆる『魏志倭人伝』の使者が来た国だ。
なお、魏の使いは、朝鮮半島南部は、海上運航し、後の百済地方には立ち寄っていない。
それでも、文化は朝鮮半島経由だと主張する方々は、古文書さえ読まずに、観念で語る宗教家に近いだろう。
百済王子の千文字伝来が高く評価されたりするが、呉音漢音の違いがあるように呉からの漢字伝達があったにも拘わらず、漢字が朝鮮半島経由文化だというのは、なんとしても朝鮮半島のが日本より優れているという恐怖観念だろう。
呉は、今日本で使われている漢字言葉の発音に関係する。
いわゆる呉音だ。
学界では、漢音より前に呉音があったとする説が有力。

なお、百済観音は、明治の芸術家が『百済風だね』と呟いたのが最初とされ、昭和になって朝日新聞が好きな作家などが盛んに使ったからであり、百済由来の根拠は無い。
蜀は今の四川省あたり中心で、今なお続く被差別地域だろう。
明末期、蜀民族は大虐殺にあっている。
300万人以上いた蜀人が、2万人未満になるまで虐殺された。
だから、今四川にいる人々は元からの蜀人ではなく、満州と同じく最近の入植者が大半だ。
が、日本では中国共産党の指示に従ってか、蜀の大虐殺や、大躍進政策による数千万人の餓死、文革による国家主席、首相の養女の暗殺などは教えない。
ちなみに、世界中に中継された天安門事件も無かったことになっている。
日本メディアも、今なおあの夜は、報道しない。
せんべいは無いことになっているからだろう。
あと何年したら、報道できるのやら?
★疲れた
ひと休み