シンガポールの兎小屋やクルンテープの谷屋案内人をしていた頃の話をしよう。
最初の頃は、最悪でもインペリアルホテルくらいは宿にできたが、だんだん出張者が増えてくると、クルンテープでは食事処の二階が出張者の宿となったりした。
今でもここを覗いているだろう方々の多くも、あのソイハーの二階だった。
谷屋学園には遠いが、宿の対面には、あの店があった。
客が踊ろうと腰に手を回しただけでビンタするMもいたが、何故か私には優しかった。
現地新聞にフナさんより大きく扱われていた大島親分には、嫉妬とも取れる皮肉を言われたが、彼の予想はあながち誤りではなかった。
とにかく、二階の部屋は個室的空間だった。
が、消費税首相の姪の旦那には負ける。
クルンテープでは顔合わせしていないが、シンガポールや国内で、足を投げ出したビッグカンパニーのお偉いさんにさえ噛みついた、3Dマシンのあの方には、吉原でもお世話になっている。
兄貴のメンバーズカードで、日本の芸を楽しんだ。
今の一ヶ月の食費をあっという間に使っていた。
一時は『若』とか言われていた。
シンガポールの中森明菜学園や吉原研究所に通いつめて、歩くことさえ困難な今があるのだろう。
自業自得か?
松の廊下親分と同じ病になり、今に至る。
当時の仲間には、私以上に髪が家出している方もいるが、元気である。
できれば、ソイハーに歩いて通っていた時代に戻りたいものだ。
まあ、無理な話だけど。