これはあるところで、本当にあったらしい話だ。
日本にも生承認が、ひとりはいた。
私も個人的に、奇跡的に逃げ出せて、行き長らえた現地高官だった人(当時料理人になっていた)を知っている。
キリングフィールドというピリッツァー賞やアカデミー賞を取った映画でも知られるカンプチャ・クメール・ルージュ時代の話だ。
社会党などは、北朝鮮の拉致同様、自民党が作った捏造だとする幹部もいた。
日本でも、マスコミが報道したのははるか後、比較的最近である。
まあ、寒気がする。
インテリは必要ない(国家を脅かす=ポル・ポトの邪魔)ということで殺された。
例えば、公務員、教師、医師など以外に、文字を読み書きできたりする者も殺された。
成人は働く道具とされ、子どもの管理下におかれた。
親と子の絆は不要だとして、子は親から離して育てられた。
医師はいなくなったから、ままごとのような看病が行われ多数が死んだ。
都会は不要だとして、1日で首都を追われ、首都は人がいなくなった。
腹へったなどの呟きは密告され、反政府主義者として処罰または殺された。
国民の5人に1人は殺されたか、餓死などをした。
密告監視社会となり、身近な者にさえ本音を言えないのが当たり前であった。
骸骨の山ができた沼もあった。
今でも、隣人が親類の殺人者であり、危険な関係がある。
当時大人だった人が、他人に何かを話す姿は見たことがない。
ましてや、泣き叫んだり涙ながら舞いなどをする姿は知らない。
アカデミー賞を取ったキリングフィールドの現地人俳優は、後にアメリカで暗殺されている。
たぶん、知らない人もいるだろう。
特に、日本は最低だなどと言う老人などは。
あちらなら、そく鉛弾をご馳走されただろう。
ぬるま湯の中の、お花畑なのである。