これは、鬼軍曹さえ怖がっていた青将軍の話である。
青将軍は、長く香港社長をしていらして、本社常務になった方である。
一度見たことがあるが、会長縁者で、お飾りとはいえ香港副社長だった方ををメチャクチャ叱り、副社長がすっかり縮こまっていたのを目の前で見た。
私はまだ新入社員に毛が生えた程度だったが、現場研修時代に蹴ったり殴ったりする方より怖かった。
彼が、久々に上海を訪れることになった。
しかも、巨大会社の課長と、社内経営担当と一緒にだ。
課長と言っても、巨大会社の本社のそれは、動かせる額がわが社の社長レベル。数百億くらいあったろう。
私は、部屋の手配を頼まれる。
上海には、私しかいなかった。
和平飯店は私の定宿であり、何人かの著名人を目にはしていた。
とにかく、上海ジャズの発祥地である。
受付は上から目線で、その地でも問題視されていた。
それでも、まず3部屋取れた。
と、安心したのもつかの間。
着直前、予定変更で日時がずれる。まずはキャンセルして指示を待てとなった。
この時に、嫌な予感はしていた。
2日後に、訪問日時連絡が来た。
が、悪い予感があたり、部屋が取れない。
どうしようか。
と迷っていたが、なんとか1部屋なら都合できると言う。
最悪は、私と大差ない年の経営担当には私の部屋で寝てもらい、お偉いさんたちは、1部屋で我慢してもらおう。
そんな学生気分で待つ。
夕方に着いた社長は、それを聞いてカンカンになった。受付前で、大声で叱りつけられる。
見るに見かねたのか、巨大会社の課長が知っている超高級(一泊現地作業員の数ヶ月分)へといざなった。
私は頭を下げ、しばらく受付前でこうべを垂れるしかなかった。
が、夜に経営担当から電話があった。
上海で無理を言ったのは、こっちが悪いから気落ちするな、と社長からの伝言だとのことだった。
そうか。
あれは勧進帳の弁慶だったのかと思った。
シンガポールより10倍長い感覚のある上海を去り、香港経由で日本に行く。
当時、駐在員自殺率世界No.1を誇った?街を後にした。
日本への帰途、飛行機に搭乗してすぐ、パーサーから名前確認があり、ビジネスクラスからファーストクラスに移って欲しいというようなことを言われた。
当然初めてのファーストクラス。
あまりの広さにびっくりした。
ベッドを倒したようにしても、まだ足に余裕がある。
こんな旅なら、24時間フライトも楽だなあと思った。
ずいぶん高級そうなワインを飲んで、心地よい帰途だった。
あれは、時刻ギリギリに手続きしたためではなく、青将軍がやってくれたのだろうと、後日思った。
香港では、社長が10年待ってやっと会員になれたと自慢していた、競馬場VIPルームにも連れて行ってくれた。
映画でしか見たことのなかったロールスロイスやマセラティなどが並ぶ玄関前に、これじゃあ恥ずかしいといいつつ、ベンツ500で運転手に玄関前へ付けさせた。
この時初めて、セレブ社会の一端を見せてもらった。
和平飯店の、年一度の秘密パーティーとはまた違った世界があった。
やはり、青将軍も仕事には厳しかったが、優しい方だった。