日本に残る風習で、今のエジプトや中東の影響を受けていると思われるものは正月だけではない。
モーゼとともにエジプトを逃げだしたが、悲惨な現実に嫌になったエジプト懐古派が踊りあかしたミツライム(エジプト)を称えるものが祭だと述べた。
そうした祭で最も著名なものは、祇園であろう。
祇園は天竺由来の祭とも言われるが、
後に秦家などが広めた信仰も混ざり、ユダヤの祖国への思いシオン(ジオン)や英雄ギデオンの訛りとも考えられる。
実際、祇園の御輿は、十戒を納めた聖櫃(アーク)と素材、形状はそっくりだ。
アーク天井につく金の2羽の鳳凰、担ぎ棒の構造まで似る。
これはあまり知られていないかも知れないが、アークを保管する幕屋の配置は、天皇家最大行事の大嘗祭の配置と水盤の配置まで似ている。
幕屋は紅白の垂れ幕で覆われるが、これはユダヤのラビ(ユダヤ教指導者)会議会場に今でも残るが、日本でも昭和までは当たり前に見られた建前の紅白幕に同じだ。
そこで揚げられた七色旗も、ユダヤの祭に似る。
紅白幕は最近は見ることが少なくなったが、式典や新築工事の際には、まだ時々目にする。
なお、これを書くと差別だと言われるかも知れないが、ハンセン病患者が長い間差別されていたのも旧約(ユダヤでは旧ではない)聖書にある一節が関係しているかもしれない。
山伏の姿格好は、持ち物、頭につける付属物、法螺貝に似たラッパにいたるまで、ユダヤのラビと同じだ。
中東の影響は、これらユダヤだけにとどまらない。
元来多神教だったメソポタミアやエジプトで、アマルナ宗教改革により太陽光唯一神教となったが、かつてはエジプト宰相にまでなったユダヤの民とエジプトを後にしたグループの中のエジプト礼拝懐古派の影響が大きいことは既に述べた。
全天、神の中の神がアメン(天之)であり、王さえも従わなければならなかったのが、宇宙の真理・誠意を司るマアト神(誠)であった。
王は太陽の息子サア・ラア(スメラ御子・日之御子)である。
ラアは太古の意味で目の一つを意味したが、 ポリネシアでは、もう一つの目である月を意味するものに変わる。
日本では、太陽は新しく入ってきた漢や呉の言葉の影響を受け太陽(たいよう)などと呼ばれるようになる。これは、古代日本語にはr音,l音が語頭に来るのを避けたためでもある。
raが本来の意味を残したまま、ma(眼)になって痕跡を残してはいるが。
平安時代にも使われていた星の代表すばるは、古代エジプト語tubaa(星) であり、粒、つぶらなという言葉の元になった。
次回は、中東の影響について、あと少し詳しく見ていこう。
★多分、つづく