先に述べたように、言葉や風習の伝播と、民族の移動とは直接の関係がない。
また、この推論が絶対だなどという暴論もはきたくない。
そんなことをしたら、日本は漢民族に同じだとする、全く科学を理解できない自称専門家と同じになってしまう。そこまでは、まだボケてはいないつもりだ。
民族としてのユダヤと、日本人には、Y染色体から考えて共通性は少ない。
また、弥生人は大陸騎馬民族だというようなマンガもまた、読むには楽しいが事実だとは考えられない。
ましてや今の朝鮮民族に同じだとするような、DNA無視の非科学的な説は信じようがない。
これから述べていくことは、日本独自の風習と思われがちだが、実はエジプトやシリアあたりの風習が変化したものだとの推論の根拠を述べていく。
そのあたりを、誤解せずに読んでいただきたい。
では、今日の本題に移ろう。
平成の世になり、急激に欧米化が進んできたが、それでも永く続いている風習がある。
まずはそのひとつ、正月行事に注目してみよう。
正月行事について、ひとつひとつ見ていきたい。
正月には、離れていた家族が一家に集い夜をあかしたりする。
これは、ユダヤがエジプトを出る際に、家族全員家に集まることに似ている。
これは神が人の長男に災いをもたらすのを避けるためだが、赤い血で入り口を塗った家は通り過ぎ、災いを免れるという伝説による。
日本ではこれが、赤い鳥居の中の聖域で家内安全を願う行事となった。
ユダヤの門に塗る血の形と鳥居は酷似する。
この期間、日本では米を丸めた 餅(モチ)を食べる。
ユダヤは、神が過ぎ越した日前後は、小麦粉を発酵させずに焼いて、あるいはスープにつけてパンを食べなくてはならない。
これを マッツァ と言い、過越祭には必ず食べるものである。
マッツァの外見は、日本のモチそっくりである。
過越の時は、いくつかの苦い草も食べなければならない。
これは、日本正月の七草粥に似ている。
過越で使ったものは、2週間後には、すべて燃やし尽くす。
これは、正月14日夜に行われている
どんど焼き
に同じだ。
これだけ見ても、日本正月は出エジプト(エクソダス)にちなむ過越祭にそっくりである。
しかし、日本行事の古代アジアとの類似はこれだけではない。
★多分、つづく