【妄想狂論文】日本のこころ 1 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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日本の神や習わしは、約3300年前宗教異端派となったモシャ(モーゼ)に連れられて 、エジプトを脱出した一派の中のエジプト懐古派の人たちが、中央アジア、満州を経て日本に伝えたものと、比較的新しく紀元前後に四川・華南・福州を経て伝わった顕火教との複合したものである。


つまり、エジプトアマルナ改革により一時期は絶大な力を持ったものの、アクエンアテンの急死で状況が一変。
アクエンアテンに従っていたユダヤなどは迫害を受け、エジプトから逃げ出さざるを得なくなった。

時にファラオに取り入っていたミリアム(後に生まれたキリスト教のマリアの原型)の知恵によって、本来なら殺されるはずだった弟モシャ(モーゼ)が、ファラオの娘のもとで成長する。
この時ミリアムは葦舟に乗せた赤子が、ファラオの娘の水浴びするところへ着くようにした。

このように、一度捨てられた子供が大物となる。

こうした信仰は安土桃山時代や江戸時代まで残っており、秀吉も子をお拾ひと名付けた。
江戸時代の藩主などは、生まれた赤子を城外に捨て、部下がそれを拾って育てるという風習もあった。

彼らが最も重視したものはマコト(誠)である。

マコトとは、エジプト神マアトのなまった音である。
マアトは、宇宙の正しき道を司る神だ。
ファラオもこれに従う義務がある。


モシャ一行の一部には、途中でエジプトを脱出したことを後悔し、エジプトを懐かしむ者が出てきた。

アクエンアテンに影響された一神を信ずるモシャには、耐え難い苦痛であり、それらエジプト懐古者たちは、全員殺されたとユダヤ聖書(キリスト教徒にとっては旧約聖書)に書かれている。




が、実は一部は生き残り、エジプトを称える集団ができる。


彼らはエジプトを、昔の名前でミツライムと称えておどった。

ミツライムとはエジプトを意味する言葉であったが、やがてミツリ→マツリ→祭と変わり、やがてその本来の意味も忘れられていった。

ちなみに、神を敬い拝むことをイアウと言っていたが、はるか東の島国ではイワウ(祝う)と変わっていったのである。



★たぶん、つづく