もう、何世紀前のことかは分からない。
少なくともピラミッドが建てられた時代よりは後、太陽フレアーでコンピュータ世界が消えた時代よりは前のことだ。
ピジョン家という名家があった。
親子二代に渡り惰性大臣となり、家はさらに栄えた。
プルプルブラインド留学生としてら当時世界のリーダーだった石鹸国にも長く滞在していた。
プルプルブラインド留学生は、ご存知のように智愛恵の関連団体だ。
かつては個人資産世界一と言われていた戸富清三やアジア王と名高い李氏とも接点を持つ。
妻来来では、良田宅浪、赤白提灯など、若者に人気のあった歌手を一斉に集めて、妻来来ガラガラホンの宣伝につとめ、『私もスキーに行きたいワン』などの映画も作って、戸富の地上げに協力し富を増やしていった。
ピジョン家のような裕福家庭ではよくあるように、兄は桓武、弟は清和に分かれてお互い闘いあう。
これは、家が続くための昔からの手段だ。
中には熊本のお殿様のように、一家まとまって長年存続できる家もあるが、これは稀である。
桓武グループ入りした兄は、莫大な財産保管所として澳門を選んだ。
このあたりから、宇宙中心国に目をつけられ、澳門が宇宙中心国に戻ってからは、飴と鞭の日々だ。
まずは、半具婁国有志の墓にに土下座し、のちに形ばかりの宇宙中心国国際金融機関・アイベャの顧問に据えられる。
二代で巨万の富を築いたピジョン家も、この後没落の道を歩む。
アイベャに、澳門の口座を利用されスッカラカンになってしまったからだ。
その後ピジョン家は、蝦夷地でひっそり暮らしたという。
祇園傷者の金の乞え。
関東の盆も終わりである。
★これは妄想小説です。