トルコというのが、特殊な差別用語だとされていた頃の話だ。
その方はスポーツ界、芸能界、文学界、マンガ界などを代表する、その作品が皇室関係施設にも展示されているほどの、その世界では大御所だった。
その方が亡くなった。
先輩のすぐ目の前。まさに演劇中のことであった。
その方は歴史にも残る場面を直接見た方であったが、人は柔らかく驕ったりする方ではなく、私のような若輩者にさえ注意点を独特の手書きハガキに書いて下さるような、本当に大きな方だった。
戦地でも、兵隊さんたちに笑いを与えたご仁だった。
その葬儀に関して、当時は多少関わりのあった朝日新聞関係者から教えてもらい、急遽街中へ足を運んだ。外出に信用のない私には、子どもを連れた妻が着いてきたが。
式場に入ると、テレビでよく見る顔が、まだ斜視の手術をする前の独特の目付きで、大声で先輩になにやら発破かけをしていた。
改めて俺が来るには相応しくないところだとは思ったが、故人への思いは変わらない。
式が終わり、二階に用意さるた会場で、故人の意思もあって明るい飲み会となった。
テレビで変なおばあちゃんと紹介された知人方が目に入ったので、その対面に座る。
と、なんということだ。
私の左手に、今でも忘れられないような艶麗な美人が座る。
かのおばあちゃんとはかなり近い方のようで、おばあちゃんはその美人が結婚した相手を盗人呼ばわりするほどの仲だった。
私は、一瞬、子どもを連れた妻がすぐ近くの場所で待っているのを忘れて、その美人との会話がはずんだ。
結構、大胆な行動をする方だった。
そんな風に、私たちの席のまわりだけ、ひときわ華やいだ。
関連項目がギネスにも載っている、葬儀代表である故人の長男も席に加わった。
そんな中、話題のプロレスラーやお笑い芸人の中で、ひとり静かに酒を飲んでいる男がいた。
行けー、行けー、トルコへ!
の小沢昭一である。
閑であった。
素晴らしき大先輩を失った悲しみを、その姿が表していた。
故人は大物だった。
朝日新聞の一部では、ギネスに載せようという話も出ていたらしい。
しかし、あの小沢昭一もまた、小沢昭一的こころにたぐわず、大きい男だったのだろう。
最近、思想は全く違っていても尊敬できる方が、いわゆる左側には非常に少なくなった気がしている。
あれから、13年。
先生の笑顔は、まだ覚えている。
先生は今頃、真田丸の里で生まれた史上最高勝率をほこる鬼と、チャンチャンバラバラ楽しく闘っているだろう。
少し遅れたけど、
南無。
大きい方というのは、左も右もない。