つらい経験は言葉にならない。
私も、ものすごく辛かった話はできないし文字にもできない。
杞さんがなぜ空を見て泣いていたかなど、話しても仕方がないし、信じる方が馬鹿である。
だから、私もこれは書かない。
私には竹取翁物語を書けるほどの脳力がないし、仮に書いても理解は得られず誤解されるからだ。
そこで、ほとんど誰にでも、いや正確には、健康な二十歳時代を送った方ならほぼ全員納得できるであろう、血を吐くような、毎日砂の飯を食わさっるような日々の話を書こう。
今なら笑えるが、健康な二十歳を過ごしたことがある方なら、これがどれほどの拷問の毎日だったかを理解できるはずだ。
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「ぶち殺してやろう」
そう言いながら、となりのE氏は部屋のドアをたたいた。
見ると金属バットを片手に震えている。
目は固定していた。
気持ちは十分にわかった。
私も最初は聞き耳を立てていたが、最近は遠慮せずに大声を上げている連中に嫌悪感しかもてなくなっていた。
単なる声ではない。
女性の苦しむような、感極まったような響きだ。
E氏は、高校を出てすぐこの下宿に入り、私が起きるころには出て行っており、帰りはだいたい深夜だった。
部屋は、寝るだけのためにあるようなものだったわけだ。
その部屋が、ある時を境に冬の猫泣部屋に変わった。
最初は聞き耳を立てて面白がっていた私も、どんどん睡眠不足が続く。
朝から晩まで、いやいやほとんどいつでも猫啼小屋状態になった。
私も健康な肉体を持っていたから、そのつらさははっきりとわかった。
毎日毎日、焼き火鉢を背中に当てられているようなものだ。
女性の場合はどうか知らない。
しかし、薄壁下宿でのこの地獄は、男性なら想像できるだろう。
ましてや、E氏は仕事を抱えている方だ。
どうやって彼をおさめたかは記憶にない。
が、彼は途中で泣き出した。
いかに苦労して就職し、今も深夜まで働いているか。
帰って安らかに寝ることが、いかに大切なことであるのか。
気持ちは十分すぎるほどわかった。
私自身、あやつの部屋を蹴飛ばしたい衝動怒られたこともあったのだから。
こんな期間がどれほど続いただろうか。
私は外出することが多くなった。
いや、ほとんど下宿で過ごすことはなくなっていた。
男性なら、わかるよね。
この辛さ。
私の周りには、ダイヤモンドやルビーが散らばっている。
でも、それに手を付けることは、私の美学みたいものが許さなかった。
まあ、理由はいろいろあるが、一言でいえば、単なる馬鹿だった。
私は懲役刑を食らったことがない。
だからこれと比較してはいけないだろうが、精神的には毎日が懲役刑だった。
健康で、それなりにもてていたがゆえに。