【記憶】記憶に残るもっとも残虐な事件と、田舎の奇才・鬼才と仲間たち | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

今回の記事は、相当ショッキングな記載があります。

こころしてお読みください。


意見は正反対だが、私の尊敬するブロガーさんがいらっしゃる。

この方の意見は、見方が全て正反対に近いが、理論的であり見え見えの嘘を記事にしたりすることがないので、ほぼ毎回見ている。


しかし今回は、意見の違いだけでなく、全く納得のいかないものだった。

その方は、ブログでは死刑反対論者であるのだが、私は以下の様な場合に対しては、のうのうと生きさせて良いものか大変疑問だ。



その事件は、私のように還暦前後かそれ以上の方なら、ほぼ全員覚えているはずだ。

犯人を梅川とマスコミは報道していた。

ウィキペディアなどでもその名前を使っている。


この人物は、未成年の時に強盗殺人を犯したが、未成年ということで半年後に少年院行きが決定。

なんと1年後には、仮出所している。


その後猟銃を保持。

この際も、少年法の壁で、仮に殺人を犯していても少年時代の罪は問題視することができず、警察も保持を許可している。


後にこの猟銃を使って、銀行強盗をし4人を射殺。

女性はパンツまで脱がせて逃亡できないようにし、自分の周りに盾とならせた。

さらに、銃を撃った相手の耳を切り取らねばお前も殺すと言って、銃を食らい半死半生の人間の耳を切らせてしゃぶってもいる。

女子行員などに関しては、記事にできない内容も一部報道されているが、これは割愛する。


こうした内容は、後日明らかになり、女性関係や交友関係をめぐっては映画化されたりもしている。

こうした人物でも、死刑はよくないのだという。


では、その人物が気分で殺した4人と、一生傷を抱えた行員などはどうなるの?と言いたい。

中には、結婚がおじゃんになったりした人もいるだろう。


一生忘れられぬ記憶に、今なお震えている方々もいるだろう。

これは個人的報復などの具現化ではなく、多くの人命を救うやむを得ぬ手立てだ。

それ以上、無駄な犠牲者を出さない為の。


当時の人権家やマスコミは、ずっと梅川という名前で報道していたが、一部の噂レベルの話ではこれは仮名のようだ。

見た目での判断はいけないが、私の顔占いでも仮名らしいぞとの臭いが漂ってくる。


人権家という人たちは、家庭の環境やらを宣伝していた。



馬鹿を言いなさんな。


世の中には、極めてひどい環境で、その日の飯さえままならず、中学生になっても家に電球がなかったような家庭に育ちながらも、今は立派な公務員になり地方の人たちから尊敬されている同級生もいる。

環境を犯罪原因にするのは、貧しい環境で育った大多数の方に失礼だし差別だ。


高校時代の悪友は、馬小屋のような下宿住まいでよく貧血を起こし、貧乏人の私でさえ唖然とした部屋にいたが、今や世界レベルの学者になっている。


環境などで人物の罪を軽減させたいかのような報道には、改めてへきへきする。


今回のバス転落事故も、非常に奇妙な報道に嫌になる。

SMAP事件などのような、裏を見せない報道もひどい。

この辺りに関しては、世界数十ケ国では話題になったが、おひざ元の日本のほとんどすべてのマスコミがかん口令をひいたらしい育美事件で予想はしていたが。



上記の悪友は、隣村の住人だが頭がいいだけでなく成績もよかったから、高校で会う前から名前くらいは知っていた。

私同様ほとんど学校の勉強はしない人物だったので、学校にばれないような遊びでは気が合った。



高校時代どころか、小学校に入る前から、いやいや母に言わせれば私が生まれる前から私をライバル視していたらしい男もいた。


この方は、全国模試ではトップになったことが何度かあり、九州に修学旅行に行った時も、出会った現地高校生からいろんな質問を受けたりもした。

が、この人の成績はそれなりだったが、頭は・・・・・・(以下割愛)。

で、全くと言っていいほど相手にしていない。




こうした変人奇人の多い田舎だったが、私が思うに一番の奇才が先日亡くなったらしい。

膵臓癌だったらしい。


惜しいやつだった。

あまりに頭がよすぎた。



小学生の時に、とても俺と同じ世界に住む人では無いと思った。

が、彼には決定的な問題があった。



言葉を出さないのである。

今思うと、あまりに頭がよく、先が見えすぎたので話すことが馬鹿らしかったのかもしれない。

あるいは、苦しみを声にすることで、一層辛くなるのを押抑えていたのかもしれない。

そうだったら、今の私には理解できる。


そんな彼だから、成績は悲惨だった。

小学2年の時に6年生を脅かす国語力がありながら、朗読はしないから成績は悲惨だったかもしれない。


これは今でも誇れるが、彼と会話できたのは、私の知る限りでは私だけだった。

親とも話をできなかったらしい。


彼の苦しみやいかばかりか。



一部の方は知っているが、私には20歳くらいまではかなり特殊な能力があった。

先日の葬儀で知ったが、それを知っている今や校長先生連中の同期は、いまだに私を怖がってもいた。


完全に私を馬鹿にした目で見てくれるのは、上に挙げた貧血東大野郎くらいだろうか。

いや、もう一人いた。

彼も東大に現役合格し、先日は国の先生になり損ねたやつ。

こいつは頭はともかく、大人だなあと子どもながらに感じた人だ。

最近知ったが、一時期海外生活場所がかすっていたりする。



とにかく奇才が多かった。

高校あたりまでは、私もその奇才の一角をなしていたが、今や本物の奇才だろう。

明日の飯を心配するジジイだと本当のことを言っても、誰にも信じてもらえない。

一部親戚さえ、国際的テロリストやかくれ893の可能性は信じてくれたとしても、その日暮らしの米つきばったジジイの可能性はほとんどないと思っている。

実態をかなり知っているのは、子どものころから憧れていたとある叔母さんくらいだ。



いいことなのだか、悪いことなのだか・・・・・。