若いころは、かなり感情を顔に出すほうだったろう。
しかし、そんな赤ちゃんでは、命がいくつあっても足りないことを知ってからは、少なくとも表では大きな感情を顔に出すことはなくなっていった。
その昔は、人殺しやテロリストと言われた程度で心が痛んだ。
が、今では笑っていられる。
しかしながら、私の名前を使って悪さをする輩には、今でも気分を崩す。
まだ、青いのだろうか。
ここを見てくださっている美人ブロガーさんなど数人は覚えているだろうが、私がブログを始めて間もないころのことだ。
その美人さんにブログストークする、自称作家の方がいらいた。
また、このストーカーの非常識さを批判する、静岡に深い関係があるブロガーさんがいらいた。
ふたりとも今は退会したか、退会させられたかで、記事はなくなっている。
話は、静岡さん(仮称;作家に批判的な方)に移る。
この静岡さんのブログは、いささか過激な内容もあったが、総じて似た考えの方であり、よくコメントをしていた。
静岡さんは作家同様、美人さんのファンのようであった。
この美人さんとはよくコメントのやり取りをしていたから、私も美人さんをかばiい作家を批判するコメントをしたことがある。
問題はここからだ。
美人の大ファンだった作家の記事が、極端な美人批判に転換した。
その理由は十分すぎるほど予想できるが、作家があまりにも可哀そうだから、推測根拠を具体的に書くことはしない。
静岡さんブログは、はたから見ると戦場になった。
そこには、『しま爺』というハンネで、意味のない馬鹿丸出しのコメントが入ってくる。
PCからみる人なら、あるいは一部の機種からなら、それは私ではないことが一目瞭然だったと思うが、ごく一部の方には私からのコメントに見えたかもしれない。
静岡さんはその犯人の目星がついていた。
いや、多くの方は、その『しま爺』とは誰なのかを推測できていたろう。
自称作家の方は、確かにテレビや雑誌に出たことのある人で、一分野ではかなりの著名人ではあった。
が、私の頭では、ほとんど病人でもあった。
つらく貧しい過去だけではなく、愛というものに飢えているのだなと。
だから、虚栄を張らなければ自分が崩壊してしまうのだろうと。
世の中には、5分前に行ったり言ったことさえ、忘れるか忘れたふりをする人がいる。
私は三十路過ぎて初めてそういう人を知ったが、こうした方々の背中には愛欠乏症の看板が見えた。
ご本人が悪いわけではないが、周りの人間は驚いてしまうことがある。
また、結果的に不幸をまき散らすことも多い。