私は、かなり相手を怖がらせてしまったこともある。
ひとつは、シンガポール・チャンギでのことだ。
スイス付近では比較的銃を見馴れていたし、テロはよくあったから、当時テロ対策として自動小銃を構えている人がいても、あまり気にならなかった時期がある。
飛行機を降りて荷物を待つ間、かなり時間があった。
で、私は半分からかいのつもりで、その銃を構えた兵士に近づく。
相手の緊張が分かった。兵士は、少し震えていた気がする。
手を伸ばせば、顔に手が届くあたりまで行ってから、こう言った。
「火ある?」
相手はいよいよ緊張する。
「ダバコ吸いたいんだけど」
そこで、やっと兵士の筋肉が弛んだ。
遠くでそれを見ていた出迎えに来てくれていた友人は、かなり驚いたらしい。
シンガポールはゴミひとつで大変な刑罰を受けると評判だったし、車にイタズラ描きをした外国の少年が、欧米のトップの嘆願があったにも拘わらず、彼らが野蛮としていたむち打ちを執行するところである。
しかしながら、酔っぱらいや違法駐車は30分以内に処分される一方で、酒を飲んでいても正常運転できる場合には目をつぶったり、デパートの中でさえ、カウンターやレジに灰皿があり喫煙できた時期もある。
もちろん空港出口で禁煙なのは知っていたが、いささかオチャメをしてみた。
それから、こんなこともあった。
就職して初めて実家に帰った時だ。
どうも背中に五月蠅いものを感じた。
最初は気のせいかと思た。が、ほとんど特殊能力は消えていたが、場合によっては戻ることもあった。
ローカル線に乗り換えても、場違いな彼はついてきた。
私は思い切って、その男の席の前に座った。
男の顔が蒼白になる、冷や汗が出ていた。
何か知らないが、電子機器を抱えた手が震え、心臓の音さえ聞こえそうになった、
男は夢遊病者のように、ふらつく足で席を変えた。
かなり年を取ってから、そうした職業の方の存在をはっきりと知った。
たぶんあれは、そのたぐいだったろう。
そんな訓練を経て、私は海外に飛び出していく。
最近は、こうしたお化け屋さんにはとんと関りがない。
遊べなくなって、いささか寂しい。
とはいえ、一応は指導を仰いでいる巨大会社の方が、私の深夜の行動まで把握しているのを知ったときは、かなりげんなりしたが。
1000万都市上海に、日本人が100とか200とかしかいなかった時代を知っていれば、日本がいかに自由かを実感できるはずだ。
また、人種差別や階級差別のほとんどないことも。
正直なところ、日本は自由がなく差別も激しいとか、人権無視だなどという話を聞くと、笑ってしまいそういなる自分がいる。
物事を、自分の価値観による損得勘定だけで考える方までいらっしゃる。
溜息しか出ない。
防波堤のある湾内で、戦艦でも動かしていたのだろう。
ある意味平和だが、ある意味迷惑な話だ。
でも、そうした御仁には、何が迷惑なのかさえ理解できない可能性もある。
残念なことだ。