【親父の記憶2】感情があった | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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昨日は国内・国外とも、大きな地震はありません。
火山は相変わらずイタリア、インドネシア、中米あたりが活発です。


さて、オヤジの記憶の話の続きだ。

親父は、勉強のこともそうだが、母と違ってほとんどのことに関して私に干渉しなかった。

母には何度もぶたれたりしたが、父にはブツどころか叱られた経験もなかった。

だから私は、変な妄想に走った。

この人は俺の父親なのだろうかと。

友人のほとんどが、親父に殴られたとか蹴飛ばされたとかを口にしているのに、私にはその経験が無かったからだ。


が、そんな私も一度だけ父親に叱られたことがある。


それは小学高学年の時だった。

洪水で有名になった小貝川は、子どもの遊び場であり、普通は流れが緩やかな浅瀬で泳いでいた。

が、中学生の兄貴たちは、川が山にぶつかり急に流れを変えるあたりで泳いでいた。

ふかんぼ(深いところ)という名前のそこは、ゆうに3m以上の深さがあり、一度おぼれかけて助けられたことがある。

その日も、私はふかんぼで遊んだあと、近くの草花を見にあちこち自転車をこいでいた。


かなり暗くなってから家に帰る。

と、親父が裏の竹やぶに私を引きずっていった。


私には、なにがなんだかさっぱり分からなかった。

と、親父は思いっきり私の頬にパンチを浴びせた。




この時の感情は、なかなか理解してもらうのは難しいかもしれない。

私は、理由もなく殴られながらも、嬉しくて涙が出た。

と、オヤジはまたパンチをくれた。

何回頬を張られたかは覚えていない。

が、口の中がねばっこくなり、かなり血が出てきたのが分かった。

この時の嬉しさは、父でも怒るのだ、人間だったのだ、俺は愛されているぞという感情から来たものだろう。


後に知ったのだが、私がおぼれたのかと思い、親戚一同探し回っていたらしい。

そんな中、のほほんと帰って来た私だった。



そんなことがあった。

もう一度本気で怒らせたことがあるが、それは大人になってからで、『何だと!』と言われておしまいだった。

が、これは数十年後に私が謝った。



どうもオヤジは殴ったことに対して、私が怒っていると勘違いしていたようだが、これは全く逆である。


本気で嬉しかったのだ。




なお、私が民間企業に行くと知った時は、オヤジは言葉には出さないがかなり怒っていたかもしれない。

とにかく、オヤジ系統は公務員ばかりだった。

その中で、田舎の長男でありながら家を継がないで民間企業に行くと言うのは、オヤジの頭の中にはなかったようだ。

いや、知っていても認めたくは無かったのだろう。

私がとある民間企業(現在は1部上場)に行く折には、家族会議のような状態で、私は半分家出に近い状態で東京に出て行った。

が、後に海外駐在が決まった時は、会社まで来てくれた。


そんな記憶がある。