今、田舎に向かっている。
車は廃車にしたから、電車である。
親父との話は少し置いておき、あちこちのブログを覗いてみた。
なんと、管さん。
失礼、菅さんの記事を見て、またまた唖然。
間違っても私のブログなど見ていないだろうが、私の指摘した点の表現が、変わっていた。
だから、この記事は菅さんが見ているとした、私の妄想記事である。
とはいえ、あの事故の後、普通は考えられない方法での汚染水漏れ止めを記事にしたあと、材料は同じものでの防止策をとったりしたから、関係者は覗いていた可能性も0ではない。
ただ、材料は同じでも、使い方があまりに素人で唖然としたが。
このあたりは、ご記憶の方もいるだろう。
で、もう一度書いておこう。
・再臨界事故は、いつどこで発生し、どんな詳しい調査をなされていたのですか?
まさか、東海村臨界事故を再臨界事故と勘違いしたわけではないですよね。
・昨年の記事では、当日夕方18時過ぎだったかにメルトダウンしたことを、明確に覚えていると書いていますが、あれは時系列表を見て書いた嘘だったのでしょうか?
それとも、2か月に渡って国民に嘘をついていたのでしょうか。
・武田さんは、どんなアドバイスをしたのでしょうか。
ホウ素化合物の注入に関しては?
・再臨界の可能性は、2日目には、私も考えましたが、特殊なホウ素化合物は誰からいつ届き、いつから使用し始めたのでしょうか。
もし、時があいたなら、なぜだったのか?
・チタンを使った冷却方法は、武田さんからアイデアが出されたと思いますが、なぜトライしなかったのか?
・それとこれは最大の疑問ですが、原発非常事態宣言を、なぜ3時間もほっておいたのか?
・で、ここからは全くの素人の疑問としてとんちんかんな疑問なのでしょうし、応用物理専門の方に訊くのは、中学生に一桁の足し算を訪ねる内容かもしれません。
その失礼をお許しください。
メルトダウンして底に落ちたデブリは、燃料・格納容器金属・燃料被膜金属などの混合物、化合物、または双方の混在になっていたと考えられます。
この際の、再臨界に最も重視されると思われる中性子密度は、いかに推定したのでしょうか?
このあたりが、さっぱり分かりません。
あまりに基本的な話で、笑われるでしょうけど。
ついでに言わせてください。
お盆あたりまで、ほとんど毎日高級レストランや料亭で食事を楽しんでいらっしゃたと思います。
これは、東北の方々に代わって、滋養強壮に努めようという、温かなお心から発したものでしょうや。