親父は静かな人だった。
しかし、たぶん、大変強い人だった。
私には、とても真似できない道を歩んできた。
ここ1ヶ月のうちに2回ほど田舎にかえったが、私のことを認識できていたかどうか、あやしい。
とにかく、家の者さえ認識できていなかったようだ。
貧しい家だったが、最期は郡のトップになり、晴耕雨読の余生を送っていた。
ひどい息子でごめんなさい。
また、ありがとう。
少しずつだが、、少ない親父との記憶をたどってみよう。
天井でネズミの運動会が毎日開催される麦藁家。
時に、ヤスデが落ちてきた。
が、当時の田舎ではよくあることだった。
父との記憶は、かなり少ない。
だいたい、離れで本を読んだりしている人だったから。
大学に入るまでは世界を全くと言って良いほど知らなかったから、自分の貧しさは理解できなかった。
が、今考えると、すごいことをしていた。
私に学生時代を送らすために、退職金も前払いしてもらっていたらしい。
どんな日々だったかは、今なら予想できる。
退職後は、893世界でもがいている人たちとの交流も広げた。